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第8話:遠い夏の日 (後編)

ちょっと長い

1943年10月 夏も終わりを告げ、秋の涼やかな風が吹く季節。この年、日本は学生を戦地に送るための行事として出陣学徒壮行会を各地で行った。

そしてこの町からも孜を含む数十人の男子学生が学徒兵として戦地へ赴く日が近づいていた。


「白狐様、居る?」


孜が数日ぶりに神社を訪れた。


「おぉ孜、元気にしておったか。」


狐の少女、稲荷の神もそれに気づいて駆け寄る、背丈はもう孜の方がずっと高かった。

2人はいつものように神社の裏の広縁に座って話していた。


「中々顔見せられなくてごめん。色々と戦の事で忙しくて。」


「分かっておる、中々顔を出せぬ孜の代わりに千代が良くここに来ておった。」


「千代が?」


孜の幼馴染千代は町一番の美女と言われるほど成長していた。


「あぁ、しかしなぁお主が戦に行くというので来るたびに泣いておったぞ。千代の父親も戦に行っておる、世の流れで不安の声は出せぬにしても、千代の心は不安で押しつぶされておるじゃろう。その上馴染みの孜まで戦に、儂には慰めの言葉しか送る言葉はできなかったがのう...。」


「そうだったんだ...」


落ち葉が境内の廊下にひらひらと落ちて、沈黙の時間が流れる。


「僕は...」


「ん...?」


「いや、やっぱりなんでも無い色々と決心がついたよ、ありがとう白狐様。」


孜力良く立ち上がる。


「この国のためだとしても戦で死ぬ気は無い、生きてこの国のために戦う。でも、もし僕に何かがあったら千代を、よろしく。」


孜は白狐様に頭を下げてそういった。


「たわけ、生きて帰って礼の一つや二つでも言いに来い。儂はここでずっと孜が帰ってくるのを待っておるぞ。」


狐の少女は頭を下げた孜の頭に背伸びして、頭を抱いた。

それから数日後学生達は各自戦地へ送られる日がやってきた。孜達の町から少し離れた町の港に迎えの輸送船が停泊している。皆、戦地へと赴く我が子に激励の言葉を送っている。

孜も自分の母親に最後になるかもしれない挨拶をして、辺りを見渡す。来ている千代を探した。


「孜...!」


千代の声だ。

港の向こう、船の船首のほうからこちらに向かってきている。


「千代!」


孜も千代の方へ駆け寄った。

急いで来たのか、千代は息を切らせていた。


「大丈夫...?」


「ごめんなさい...、白狐様の神社にお参りしてたら遅くなってしまって...。」


「千代、白狐様から聞いたよ心配して泣いていたって。」


「当たり前です...!私の父も戦に行ってしまって連絡が取れないし...。それと、これを...。」


そう言って千代に渡された小さな紙封筒の中にはお守りが入っていた。


「これは?」


「白狐様からのお守り、死んで向こうに行ったら白狐様が叱りに行くって言ってました...。どうか、無事で...。」


千代は薄らと涙を瞳に溜めていた。


「心配してくれてありがとう。」


「感謝の言葉がいつも遅いです...孜は!」


涙をこらえた表情で微かに千代は孜に笑顔を見せた。


「千代、こんな時に言うのもあれだけど...。」


「はい...?」


「僕が無事に帰ってきたら、結婚しよう。」


千代はそれまで溜めていた涙がぽろぽろと頬を伝って落ちた。


「いつも大事な事を言うのが遅いです...孜は...。」


「ご、ごめん...。」


「いいえ...! では、孜が帰ってくるのを待っています...!」


その顔は喜びに満ちているように感じた。

それから孜他の学生も輸送船に乗り込み、港に集まった皆に手を振って別れを告げた。

数日後、千代の元に孜から手紙が来た。

自分の配属先と訓練内容、戦地の状況を記した日記のようなものだった。

これに返信する形で千代も孜に手紙を綴った。千代は戦需工場で働きつつ、それからはずっと手紙で連絡を取る日々が続いた。しかし、突然手紙が送られて来なくなってしまった。次第に町から出兵した学徒兵の戦死公報(戦死した事を知らせる書類)が送られてくることもあって、千代は不安に駆られる日々であった。そして追い討ちをかけるように千代の父が戦死したとの手紙が送られて来た。


「そうか父親が...なんと言って良いか...。」


「はい...孜からももう数ヶ月手紙が来ていませんし...。」


「手紙を送れるような状況ではないのかもしれぬ...まだ孜が死んだとは決まってなかろう...。」


千代は普段表に出さない辛さをこの神社に来ては涙を流していった、それを稲荷の神が慰めるのがほぼ毎日のように続いた。

そして1945年8月15日。

ラジオから玉音放送が流れ、孜からの連絡が無いまま日本は敗戦、終戦を迎えた。

それから数日後のある日の事。

神社への供え物である稲荷寿司を持って千代が階段を上っていると、自分の居る数十段先に人影が見えた。


「参拝の人...?珍しいなぁ。」


そう思いながら、一つ一つ階段を登って行くとそこには狐の少女ともう1人の男性らしき人が立っていた。

そして、その人影に千代は心当たりがあった。


「孜...?」


ふと急に力が抜けた手から、稲荷寿司の乗った皿を落とす。

ぱりんと割れたその音に気付いた白狐様はこちらに目をやって、それにつられるように、その音の方に向かってその男性は振り向いた。

そしてその顔を見た千代の目に涙が浮かんだ。振り向いたその顔は紛れも無く、孜だった。


「孜...!」


落ちた皿を他所に無我夢中で走って、孜の元に駆け寄った。


「孜...!孜...!」


泣きながら孜に駆け寄った千代の口からは彼の名前しか言葉が出てこなかった。


「ごめん、千代...こっちの耳が聞こえないんだ...。」


孜は戦で千代のいる側、右耳の聴力を先の戦で失っていた。


「遅くなってごめん...、ただいま。」


2人は抱き合って、互いの無事を確かめ合った。そしてそれを涙は流すまいと、白狐様は見守っていた。

その後、孜は千代に手紙を送れなかった理由を話した。戦地に来ていた物資や郵便配達の輸送機があったのだが、激戦になるにつれ輸送機が撃墜されるなど近く事さえ許されない状況になっていたという。そして、戦地で千代の父に会ったことも孜は話した。


「千代のお父さんが亡くなる前の日に千代と結婚する話をしたんだ。千代のお父さんは"するのは構わないが、結婚したかったら生きて帰れ"と言ってくれたよ。」


「そう...だったんですか...。」


「それで次の日、最前線で戦っていた僕達は一時撤退するために移動しようとしたんだけど、敵の攻撃が激しくてその場に残って敵を足止めする役目を数名の兵士と千代のお父さんが受け持ったんだ。僕もそれに加わろうとしたけど、千代のお父さんに"娘を頼んだ"って言われて...それで...。」


孜は俯き、言葉が詰まる。


「ありがとう...孜...父さんの事話してくれて。」


肩を落とす孜を千代は優しく慰めた。

そして程なくして2人はあの時の約束通り結婚。

孜はそれから教員になる為の勉強をして、地元の小学校の教師となった。

そして数年後、千代は子供を授かり、後に今の涼太の父になる男の子を出産した。

2人は結婚してからも白狐様の神社に訪れては近況報告をしたりした。

今日は息子を白狐様に初顔合わせだ。


「早う、早う子を見せろ!」


「はいはい!、ほら白狐様ですよ〜」


「どれどれ、おぉ~勉にそっくりじゃな。」


千代が抱いた赤子を白狐様に近づけると、顔をくしゃくしゃにして泣いた。


「白狐様が怖いってさ!」


「なんじゃ!怖い顔などして無かろう!ほれほれ〜、白狐様じゃぞ〜」


稲荷の神が顔を近づけると今まで以上に大泣きした。


「ぐぬぬ...。」


「でも、泣くって事はこの子にも白狐様が見えているんですよ。」


千代は赤子をあやしながらそう言った。

それからずっとずっと、月日は流れて。

孜達に孫が出来た、そう"涼太"である。


「もう孫か!」


「もうって...あれから何十年経っていると?」


孜がそう言う。


「儂にはお主達の子に泣かれた時から数日しか経っていないようにも思うぞ?」


「私も孜...お爺さんももう良い年寄りになってしまいました。白狐様は昔と全く変わっていませんが。」


ふふふっと笑いながら千代は言った。


「人の人生は短く儚いのう...。」


「近々孫を見せに来ますよ。」


「今度は泣かれぬように、何か策でも打っておこうか...。」


しかしその数日後、孜は朝目覚める事なく永眠、老衰であった。

稲荷の神が孜達の孫、涼太を見るのは孜の葬式が終わった後の事であった。


「あの戦を生きて帰ってきた孜も、所詮人の子か...。」


「私達は100年も生きられません、それが人間ですから。」


静かな夏の夜に、千代と白狐様が縁側で話している。


「余り悲しんでおらんように見えるが?」


「正直、一度あの戦の時に死んだものと思っていましたから...。」


「確かにのう...。」


「そういえば、懐かしい物がお爺さんの部屋にありました。」


そういって千代が取り出したのはボロボロの小さな紙封筒だった。


「これは...。」


千代に渡されたその紙封筒を開けると、中には色あせたお守りが入っていた。


「戦に行くお爺さんのために、白狐様が作ったお守りです。」


「今まで大切に持っておってくれてたんじゃな...。」


白狐様が褪せたお守りを握るその手を、千代が両手で握った。


「あの人は貴方様のおかげで、生涯最後まで生きられたのです。本当に感謝しています。」


千代の瞳には勉の葬式の時でさえ流さなかった涙で潤んでいる。


「千代...。」


「どうかこれからも、私達やこの町の皆を見守りください。」


それから数年後、あの夏の日と同じ出会いが再び始まるのであった。



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