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転生者は平穏を求める  作者: 橘二乗
第一章
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其の二

 時を戻してある日の昼下がり。本が好きかと問われ、迷い無く頷いたレオナに対してエルミタージュもまた頷き返した。

「うむ。レオナは勤勉だし、親バカの贔屓目を抜きにしてもその歳にしては信じられぬほど冷静だし、頭も良いと私は思う」

「はぁ。ありがとうございます」

 母の意図をいまいち汲みきれず、レオナは何の気なしに返事を返す。

「まだ早いかとも思ったが、近頃の情勢もある。そろそろレオナも魔術の鍛錬を始めても良い頃だと判断する。これに伴い、今まで読むことを禁じていた魔術書の類も解禁する」

「本当ですか!」

 レオナは自らの気分が高潮することを止めることが出来なかった。

 母に魔術を見せられた後、自分にも教えてほしいと嘆願したことがあったが、彼女はレオナの肉体的、精神的な未成熟を理由にそれを拒んでいた。また家にある蔵書の中でも、事故を防ぐために魔術に関連するものを読むことは禁止されていた。

 それがついに解禁される。今か今かとこの日を待ち望んでいたレオナの感情は大いに昂ぶった。

 エルミタージュに手を引かれ、書斎までやってきた。生前ほどとまではいかないが、数多くの本が書棚に詰め込まれている風景を見て、レオナは心が満たされてゆくことを感じた。

 転生前に読んだ数々の本の内容では、剣と魔法の世界というと技術レベルについては基本的に中世程度であることが多かった。当然の如く印刷技術などは存在せず、本の複製手段となると、専ら一冊一冊手書きで書き写す以外にはないのが当たり前であった。

 しかし、新たに生を受けたこの世界には、どうやら初歩的な活版印刷技術程度のものはあるらしく、本の大量複製が可能な地盤があるらしかった。ただし、良質な紙は高級品であるということもあり、一般的に普及しているとは言いがたかったが。

 そんな中、本棚数個分もの本の貯蔵量を誇るこのトライアンフ家はかなり裕福な家庭であるらしい。

 らしいというのも、転生してからの知識は本から仕入れたものと母からの伝聞が全てであり、自分の目で確かめたことが無いからだ。そもそも、この家からすらろくに出たことが無かった。

 そのせいか、現在のレオナの知識はかなり偏っていると言えた。どれほど偏っているかと言うと、自分が住んでいるこの町の規模どころか名前すら知らぬ有様であった。さらに言えば、両親の仕事すら把握してはいない。

 魔術の勉強も魅力的ではあるが、この辺りの基礎知識についても、可及的速やかに向上させてゆく必要があるだろう。

「さて、まずはこのあたりか」

 あれこれと思考をめぐらせていると、エルミタージュが本棚から一冊の書物を取り出した。百科事典のような厚さを持つ、なんとも重そうな本であった。

 エルミタージュに抱きかかえられるようにして椅子に腰を下ろし、本の表紙に視線を向ける。そこには『初級魔術教本』と記されてあった。この世界では魔術は体系だった学問として確立されているようであった。

「はじめに言っておくが、魔術の鍛錬を解禁するとは言ってもそれは私がそばにいる場合のみに限る。教本を読むこともだ。初級の魔術教本とはいえ、未熟者が不用意に扱うと思わぬ事故に繋がる可能性があるからだ。わかるな?」

「はい、母様」

 真剣な面持ちのエルミタージュに、レオナもまた真摯に頷き返した。

「まぁ、私もまだしばらくは基本的に家の中にいるからそこまで気にすることでもないが、しかし所用で家を空けることが皆無ではないからな。もし言いつけを破るようなことがあれば、即座に魔術の鍛錬を禁止する。いいな?」

「わかりました」

「よし。良い返事だ」

 エルミタージュは満足げに微笑み、レオナの髪を優しく撫でた。

 その日からエルミタージュによる魔術の教育が始まった。

 始めに行ったのは魔力そのものを感じ取るための訓練である。

 この世界では人は皆、生まれながらにして身体の内に魔力を宿しているという。これを感じ取れるようになることが、魔術を扱うための最初の一歩ということであった。これは主に瞑想による精神統一によって行われる。

 自らの身の内に宿る魔力を感じ取れるようになった次は、世界に満ちる魔力を感じるための訓練が始まる。

 この世界の――などという枕詞をつけるまでも無く、元の世界には存在しなかった技術であるところの魔術とは、体内の魔力を何某かの媒体を介して体外に解き放ち、これをもって世界の魔力に作用することによって発動するものであるらしい。そのため、干渉を行う対象である外界の魔力を感じ取り、理解することが魔術師としての必須技能であった。

 そして、内と外の魔力を繋ぐ媒体となるものの一つが、たとえばエルミタージュが行ったような詠唱であり、これをコントロールすることが第三の訓練であった。

 体内の魔力を操作し、媒介を通して世界に干渉する。これによって魔術の実現が可能となるのである。

 なお、媒介となるのは詠唱のみに限らず、文字であったり、あるいは動作であったり、極々少数であるが、熟達した者になると視線をもって魔力を介し、魔術を操る者もいるという。

 ちなみに、最も一般的な魔術の発動媒体は詠唱であり、次いで文字である。文字を媒体とした魔術は特に紋章術などと呼称される。

 これからしばらくの間、レオナはこの基本的な魔術の発動プロセスを習得するための訓練に時間を費やすことになる。


「おう、レオナ。お前最近魔術の訓練を始めたんだって?」

 ある日の夜。夕食後、いつものように魔術教本を読んでいたレオナに何者かが話しかけてきた。

 闇を落としたかのような黒髪をもった男性であった。おそらく一八〇センチはあるであろう高い身長と整った顔立ちが目に付くこの男の名はキャピトールという。レオナの父親その人である。

「めずらしいですね。父様が家に帰ってくるなんて」

 レオナは教本に栞を挟みつつ返事を返した。

 この父親は仕事場にこもることが実に多く、家に帰ってくるのは本当に久しぶりのことであった。一日のほぼ全てを家の中ですごすレオナの記憶が正しければ、彼が最後に家に帰ってきたのは一ヶ月以上前のことである。

 一月もの間、家に帰れないとはいったいどのような職についているのか。レオナから聞いたことも無ければ父から教えられたことも無いのでわからないが、過去の記憶を掘り返してみても、長期出張等以外でこれほどまでに長い期間にわたって家に帰れない仕事となると、そう易々とは思いつかない。

「あぁ。仕事が一段落したからな。愛しの我が娘の顔でも見ようと思ってな」

「愛しのというくらいでしたらもっと頻繁に帰ってきてください。おかげで私は父様の顔を忘れないようにするのが大変です」

「おいおい、そりゃあないぜ。冗談でもやめてくれよ」

 キャピトールは大口を開けて笑いながらレオナの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。髪が乱れ、その手の動きにあわせて頭がぐらぐらと揺れる。

 レオナは無表情なまま、なされるがままになっている。

「で、どんな調子よ。訓練の方は」

「まだ基礎的な魔力操作を学んでいる最中ですので、如何とも」

「レオナは筋が良い。私とお前の子なのだということを置いても、上達の速度は目を見張るものがある。近いうちに魔術の発動も可能となるだろう」

 夕食後の洗物を終えたエルミタージュがエプロンで手を拭きながらそう答えた。

 下手に前世の記憶を持っていることが原因で、過去の常識が魔術習得の邪魔になるのではないかと危惧をしていたが、どうやらそのようなことにはならずにすんでいるようであった。それどころか、母曰くレオナの習得速度は平均を上回るらしい。

 あるいは、過去何万冊とも知れず読み重ねてきた、数々の書物によって培われた想像力の賜物であろうか。

「そうか。エルミーが言うなら相当なもんなんだろうな。こいつは先が楽しみだ」

 キャピトールは歯を見せて笑った。年齢の割には屈託の無い笑みであった。

「子供は皆天才だとも言います。今だけのことかも知れませんので、あまり過度な期待はしない方がよろしいかと」

 真顔で言うレオナに、父母は顔を見合わせる。

「レオナよ。お前さんは本当にどこでそんな言葉を覚えてくるんだ。お前と話してると、大人を相手にしてるんじゃないかと思うときがあるぞ」

 キャピトールは苦笑いをしながらそう言った。

「どこでと言われましても。私の知識の源はこの家の蔵書と、あとは母様や父様との会話のみなのですが」

 自分が転生前の記憶を持っているということを、レオナは両親に話したことは無い。そんな突拍子の無いことを言っても到底信じてもらえるとは思えなかったからだ。夢か妄想扱いされるのが精々であろうし、下手をすると病気と思われかねない。

「ふむう。ま、俺の天才性を受け継いでいると思えば、この程度の早熟っぷりは当然と言えば当然か」

 したり顔のキャピトールに対し、エルミタージュはやれやれといった感じに、大げさにため息をついた。

「また始まったぞこいつは。だったら仕事をさっさと終わらせて、もっと頻繁に家に帰ってこんか」

「馬鹿言うな。研究に終わりは無い」

「ならば尚更だ愚か者。いい加減、本当にレオナに忘れられるぞ」

 父が家に帰ってきたとき恒例のやり取りが始まり、これはまた長くなるぞと思ったレオナは黙って静かに本を開き、読書を再開することにした。

 今日もトライアンフ家は平和であった。


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