エピローグ
枯沢悠一が発見した、×××氏による手記
2013年7月7日
僕は禁忌を犯した。
この手記を再び認めることにしたのは、僕自身の犯した罪を告白する為である。この文章を書き終えたら、この手帳がいつか誰かに見つけられることを願い、教会のある部屋に置いておくことにする。
新月の夜になると、過去の過ちを思い出す。その日になるまでは、記憶がすっぽりと抜けてしまったかのように、普通の生活をしているというのに。この現象は、都合のいいように事実をねじ曲げる人間の性だと言ってもいいかもしれない。
てるてる坊主といい、七夕といい、子供騙しにも程があるだろう。
僕はこの罪を罪だと認識することを拒み、記憶の淵から追い出そうとしている。完全に忘れてしまう前に、ここに全てを綴っておこう。
春子と初めて結ばれたのは、満月の夜だった。月を背景に浮かぶ彼女の細いシルエットに魅了されたことをよく覚えている。そして僕達はきつく抱き合い、永遠を誓い合った。
それから数ヶ月が経ち、あの日が来てしまった。初めての日と同じ、満月の夜だった。
春子の帰りが遅かった。日付が変わっても帰宅しないことに業が煮え、普段飲まない酒を大量に飲んだ。すっかり酔ってしまった頃に、彼女は帰宅した。深夜の二時を過ぎていたと記憶している。
臆病で被害妄想の激しい性格が仇となり、彼女を厳しく叱咤した。
僕はあろうことか彼女の浮気を疑っていたのだ。そんなことをする女性だとは思ったこともなかったが、その夜は気が立っていた。
浮気を問い質すも当然否定されるが信用できず、遂に隠し持っていた包丁で春子の左腕を一気に切り落とした。もう誰にも、結婚指輪など嵌めさせることができなくなるように。
悲鳴を上げながらも僕を説得しようとする姿が滑稽に見え、刃を構え直し胸をひと突きした。
血の流れる場所を必死に押さえていたが、春子はすぐに呼吸を辞めた。床に這いつくばる形で倒れた春子と、握られた血塗れの包丁を交互に見ながら、ただ立ち尽くしていた。
気付けば僕は、受話器を持っていた。彼女を殺したという事実を、記憶から抹消したのだ。文字通り跡形もなく、だ。
次の瞬間、地に伏した春子に駆け寄り、大声をあげて咽び泣いた。本心からの涙だった。この時の僕は、何者かに伴侶を殺されたのだと信じて疑わなかったのだから。
自分が第一発見者だと言うと、警察は疑うことなく第三者による殺人だと決めつけた。
悲しみに暮れた僕はそれでも、彼女への揺るぎない恋心を持ち続けていた。予定されていた挙式を無事に終わらせ、春子は正式に僕の妻となった。
彼女との挙式の後に、我が家に訪ねてきた男がいた。豊岡と名乗る男は、春子のことを執拗に問い質してきた。僕はこの男こそが、春子の浮気相手だと勝手に解釈をした。すぐに男を怒鳴りつけ、家から追い出した。
それから僕は一人だった。何をするにも一人だ。妻を失った傷は永遠に消えない跡として残るのだ。それなのに自分が汚した手は綺麗に洗い流しているのだから、皮肉なものである。彼女への最大の後悔は、結婚指輪を渡せなかったことだろう。それさえ叶えば、僕はこんなことを書き連ねる必要もなかったのだ。
あの時失くした指輪が、彼女の元へ届くことを願って─────枯沢悠一
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最近、新月の夜になると毎回のように同じ悪夢を見るようになった。寂れた教会に呼ばれるように吸い込まれ、春子の眠る墓場への扉を開き、彼女を現世から解放してしまう夢だ。この夢を見る度に、酷く嫌な気分になる。
今僕の隣で眠る彼女が、この世から消えていくはずがない。そうさせないためになら、僕は何でもするだろう。
僕は毎日のように教会へ通い、彼女と密会する。二人だけの礼拝堂で夜が明けるまで踊り、夜が明けると教会の地下室へ彼女を連れ込み、共に眠る。休日はそのまま二人で夜まで寄り添いながら眠り続け、時には彼女を抱いた。そしてまた夜になると月明かりを背景に踊り狂う。
こんな幸せな毎日を脅かす夢は、悪夢でしかない。これこそ最も忌むべき未来だ。時がこのまま永遠に動かなければ、また永遠に彼女と愛し合うことができるというのに。
───ああ、待ち望んだ夜が来た。




