残されたもの
第4章 残されたもの
枯沢悠一が発見した、×××氏による手記
2013年6月9日
春子は、また連れ去られてしまった。あの教会に、生き埋めにされてしまった。
ああ、春子。
2013年6月10日
春子に会いに行った。土の中で埋まっていた彼女は、寂しそうな顔をしていた。
僕が助けようとしても、彼女は首を振るだけだった。
「ここにいたい」
そう言った。
虚無感と共に家に帰り、知らない男から貰った箱を開いた。
中を覗いた刹那、僕には満面の笑みが広がっていた。
四角の枠から飛び出した小さな彼女が、僕に笑いかけた。
2013年6月11日
昨日まで見ていた、墓場にいる彼女は、偽物の女だったに違いない。春子が僕と一緒にいたくないなど、言う筈がない。
結婚式に出ていた彼女も、春子ではなかったのだ。
春子はずっと、この黒い箱の中にいた。
そうに違いない。
2013年6月12日
結婚指輪を無くしてしまった。何処にやったのだろうか。
しかし、もう、いい。
彼女は永遠に、僕と一緒にいる。
指輪の繋がりなど、届かないほど近くに。
◇
闇に沈む世界は、光を一時的に失ったに過ぎない。時間が経てば、眩い程の日光に視界を遮られることだろう。
しかしこの教会だけは、世界から切り離されたように、どこか現実離れをしている。この空間から僅かでも時の流れを感じることができない。どこまでも昏く、どこまでも暗黒だ。
二つの部屋をくまなく調べたが、この教会で起こった事件を解明する糸口となる何かは、依然として見つからなかった。
最初に入った部屋は待合室、その左側は倉庫だ。
待合室にはもうできるだけ入りたくなかった。己を奮い立たせ探索に向かったが、やはりこれといって気になるものは何も見つからない。
黴の臭い、舞い上がる埃、そしていつ再来するやも知れぬ悪魔。全てにおいて嫌悪を抱いてしまう。
一通り見て回り、早々に部屋を抜け出した。
倉庫は古本が日に焼けたような臭いが充満していた。決して安価ではない品が立ち並び、侵入者を歓迎する雰囲気ではなかった。しかし、その部屋はどこか寂しさが漂い、玩具のぜんまいが切れたように静止している。
この教会自体が、いつの日からか元の色を失い、崩れ果てた。姿形は変貌してゆくのに対して、建物の時は止まったままだ。まるで時計の針が再び動き出すのを恐れているように。
変化を畏怖しているのだ。
それが教会の意思なのか、ここに住まう者たちの願いなのかは分からない。腕だけになった花嫁を置き去りにした人間の心が、この不可思議な現象を作り出したのかもしれない。
可能性は幾らでも考えられるが、その事を言及していたら夜が明けてしまう。僕は二つの部屋を調べ終え、再び廊下で休憩をとっていた。
僕に今起こっている出来事は、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか。僕はこれが夢であることを望んでいる。しかしその一方で、偶然だとしてもここに誘われてしまったからには、その理由を知っておきたいという感情が少なからずあることも確かだ。
この街外れの廃墟に招待状を出した者は、何かしらの意図があって僕を選んだのだと想像する。
他人ではいけない、僕でなくはならない頑固たる理由を懸命に考えるも、過去この場所に来た憶えはなかった。まず、存在すら知らなかったのだから。
しかし、僕の記憶は極めて曖昧だ。数日前の食事を思い出せないことと同じように、ここに来たことも忘れてしまっているのかもしれない。きっと友人の結婚式か何かで訪れる機会があったのだろう。そう解釈すれば、漠然とした疑問は幾つか残るが、一応納得もゆく。
冷や汗に似たものが首を流れ落ちる。袖で拭い取り、ため息をついた。ここに来てもう何回ため息をついたのだろう。本当にその行為で幸せが逃げてゆくのなら、もう残った幸せが底をついているはずだ。
深く考えるよりも、実際行動すれば自ずと答えは見えてくる。そう自分に言い聞かせた。未だに回復しない脚を無理矢理立たせ、闇が蔓延る廊下を見やった。
確か、左端の部屋は入れなくなっていたから、残っているのは左から二番目の部屋のみである。門扉は鍵さえ手に入れば開くことができるのだから、この先の道も存在するはずだ。
あの門の先に答えが待っているのではないか、その思いは始めからあったが、更に濃くなりつつある。
ゴールは近い。希望が少し見えただけでやる気が出てくるのだ。こればかりは、単純な性格でよかったと思う。僅かな希望を吸い取るように、大きく息を吸った。
◇
左から二番目の部屋も、簡単に入ることができる。地下室まで到達する人間など、滅多にいないと思い鍵穴を設置しなかったのだろう。
しかしここに初めて───初めてではないのかもしれないが───来た僕が、簡単にここまで来てしまったのだから、その考えは甘かったようだ。
扉を開くと、そこが書斎だとすぐに分かった。
壁の両側に隙間なく並ぶ本棚。その中には僕には到底理解できないような文章ばかりの本が入れられていた。
本棚に挟まれる形で置かれたデスク。こちらもやはり相当年数が経っているが、木製でないことが幸いしたのだろう。形はそのまま保たれている。ただ、金属が錆びて脆くなっていることは見て取れた。
その下の床には絨毯が敷かれている。黒が混ざったような濁った赤色だ。端は解れ、糸が茶色いフローリングの上に散らばっている。表面のパイル糸の他に、四種類の糸で織られているウィルトン織りはかなり丈夫だが、長年ここに放置されていたとしたらこの状態も頷ける。
礼拝堂のレッドカーペットは毛氈といい、羊毛を圧縮したもの───簡単に言えばフェルトだ。毛氈はそこまで耐久性がないから、あんなに無残な姿に成り果てたのだろう。
デスクの上は物で溢れかえっている。山積みの紙や本の上にまた埃が重なっている状態だ。机の端に追いやられたライトスタンドは当然機能しない。
関連のなさそうなものから床に下ろしてゆく。中世の思想家の本や、文学雑誌、新聞やチラシなど様々だ。
その途中に見つけたのは、黒い皮の手帳であった。大きな傷もなく、読むのには支障が無い筈だ。
手帳に触れると、早速求めていた物が見つかった。ページの間から鍵が滑り落ちてきた。ありふれた小さな銀色の鍵だ。これがあの大きな門扉を開けるとは甚だ疑問だが、大きな収穫であることには間違いない。もしかしたら他の場所の鍵かもしれないため、ズボンに突っ込んでおく。腰に巻いていたバッグを思い出し、そこに入れ直した。
他にも鍵が見つかる可能性があると考え、再び紙の山の除去に精を出した。黴臭い本を机から下ろすと、大分片付いた。まだ乱雑に倒された小物はたくさんあるが、それをひとつひとつ見ていく。中に鍵が紛れているかもしれないからだ。
陶器の天使の置物、猫モティーフのコースターなど可愛らしいものから、よくわからない人形まである。奥深くまで探ると、僕の一番求めていたものは見つからなかったが、最後に残ったのはひとつの写真立てだった。その硝子の大部分は、中の写真を隠すように蜘蛛の巣状にひび割れている。
読み取ることのできる情報は非常に僅かであった。
背景は教会の外の左側にある時計塔の前であろう。そこに若い男と、あの悪夢に出てくる花嫁が並んで写っている。男には俄かに僕の面影があるが、殆ど割れ目で見えないから、真偽は不明だ。
しかし僕はまだ独身で、結婚をしたことがない。家にもたった一人で住んでいる。それでも疑問は拭えず長い時間様々な考察をしたが結局、この写真と黒い手帳の持ち主は同一人物なのではないかという安易な考えに落ち着いた。
数分後に手帳を開けば答えが見つかることに気付き、中途半端な探偵の真似をしていた自分が恥ずかしくなった。
ひと息つき、手帳を慎重に開いてゆく。一頁目から、横書きにびっしりと書き込まれている。定規で線を引いたような文字からは病的なほど几帳面な性格が伺える。下の行線に沿って文字が揃えられているのは、流石にやりすぎだが。
最初の方は日付と簡単な日常のことについて書かれ、特に興味を引かれる文章は無かった。しかし、ある日を境に日記が途切れてしまっているのだ。再び書き始めたと思えば、ぱったりとやめてしまうこともあったり、不定期になっている。
文字も殴り書きになり、その人物に何か精神的な変化をもたらす出来事があったのだろうと推測する。
その頃に的を絞って読み込んでいく。懐中電灯片手に細かい文字を読むのは難儀な作業だった。
少し読むだけで、この文章を書いた人物が写真の男だと判断することができた。
春子───あの花嫁は春子という名前なのか───と呼ばれる女性と二人で暮らしていた彼は、ある日突然その彼女を亡くした。彼の精神は孤独に蝕まれていくのが手に取るように分かった。
この教会では亡くなった人間とも結婚式を挙げることができ、教会の裏側には墓地があり、そこに埋葬することができると序盤に書かれていた。
彼はそのことを思い出し挙式し、春子を埋葬したのだろう。その後の彼の精神状態は異常なものであった。死んだ妻をまだ生きていると錯覚している。しかし無理もないだろう。挙式の数日前に、生涯を共に生きると約束した女性が死んだのだから。
心苦しい思いと彼への同情を抱きながら、最後の頁をめくった。
荒々しい文字で書かれた文字に、僕は自身の目を疑った。綴られた言葉のひとつひとつが、剥き出しになった心臓に、硝子の破片となって突き刺さってくる。指に刺さった棘を取り除こうとしても難しいように、僕の脳に引っかかった針がチクチクと痛む。
───こんなこと、ある筈がない。
そこに広げられた手帳の内容が、どうしても信じられないなかった。心拍数が上がり脈は踊り、目も霞む。先刻埃を吸い込んだときのように咽せ混み、ついには部屋の一角で胃の中の異物を吐瀉物として吐き出した。
まさか、そんな───
僕はまだ読みかけの手帳を忌々しい物を扱っているかのように放り投げ、咄嗟に部屋を飛び出した。濡らした雑巾を何者かの手で絞られているかのように痛む。
こんな理不尽な物語があっていいのか。僕には理解が出来なかった。奪われた幸せを取り戻したいと願う気持ちは誰にでも存在する。しかし、自分の手で奪った幸せを、無かったことにできるはずがない。見かけは同じ形をしていても、どこか歪んでいる。
そう、割れた鏡を集めて組み立て直しても、必ず隙間が空いてしまうように。
行き先は決まっていた。ゆっくりとした歩幅で歩きながら、これから目にする事実を想像し、恐怖に喘いだ。出し切った筈の異物がまたこみ上げてくるのが分かる。
───嗚呼、それでも僕は行かなくてはならない。
これが絶望からか、使命感から来るものなのかは分からないが、前進を拒んでいる僕とは別に、何かが僕を駆り立てているのだ。
気付けば僕は、暗闇の廊下の中央に位置する大きな門を目の前に、鍵穴を見つめていた。
ここを開けば、求めていた解答を得ることができるだろう。震える手で腰の鞄を開き、銀に輝く小さな鍵を取り出した。
巻きつけられた鎖に付けられた南京錠に鍵を差し込む。ここで鍵穴が回らなかったら、全てが悪夢だったのと笑い飛ばし、帰路につこうと思った。しかし無情にも、鍵穴は低い音をひとつ立て、南京錠がタイル張りの床に滑り落ちた。
門は見た目よりも構造は単純で、軽い力で開いた。押し扉ではなく、引いたら開く扉だった。
約三メートルの門扉の先には、一人が動ける範囲しかない上りの石階段。階段でない部分はコンクリートの壁になっている。
もう恐怖は抑えつけられる限度を当に超えていた。歯は小刻みに音を鳴らし、肌は震える。まるで身体中の毛穴が開いたようだ。
階段を上り終える頃には、背筋が冷える程の汗をかいていた。不思議なことに、この建物の中で六月の湿気は感じられず、汗に濡れてもそこまで不快ではないのは幸いだ。
階段の頂上にはまた扉があったが、こちらに鍵は掛かっていなかった。
覚悟を決め、僕は渾身の力を込めてノブを回し、ドアを開いた。




