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新月の夢

1章 新月の夢



枯沢悠一が発見した、×××氏による手記

2012年8月20日

 僕と彼女は結婚式会場を、あの教会に選んだ。

 何年も前から、彼女はここで式を挙げたいと言っていたから。

 やっと彼女の望みが叶う。

 とても嬉しそうにウエディングドレスを選んでいる姿が可愛らしかった。

 教会の後ろは、小さな墓場だった。

 挙式を前にして死んだ花嫁や花婿を弔う為に作られたものらしい。

 僕たちには必要のないものだろうが、これには何かしら惹かれるものがある。

 この命がなくなったとしても、彼女は僕と結婚してくれるのだろうか。




 ◇



 夢を見た。

 僕に手を伸ばす女が、目の前にいた。

 黒髪に透き通るようにきめ細かい肌。白いヴェールに包まれた美しい花嫁が僕を誘っている。

 手を伸ばそうとするとすり抜けて行き、僕はそれを追いかけていく。

 暗闇の中に佇む教会に吸い込まれてゆくのだ。

 光を通さないステンドグラスは酷く無感情だった。

 紅い床を音を鳴らさずに歩く彼女に導かれるままに進む。

 女に脚が無い事は、不思議と気にならなかった。

 立ち止まった彼女は僕の輪郭を包み込むように両手で触れ、虚ろな瞳を向けこう囁く。

「一緒に踊りましょう」

 耳許で響くその言葉は、鼓膜を震わせ脳を溶かす程甘い。

 魅惑的な彼女に手を引かれ踊り続ける。光の届かない新月の夜に。


 ◇


 またこの夢だ。

 汗でじっとりと湿ったベッドの中で、僕───(から)(さわ)(ゆう)(いち)は小さく唸り起き上がる。

 枕元の目覚まし時計を確認すると、針は午前二時を指していた。

 草木も眠るという時間帯だというのに、あの夢の所為で目が冴えてしまった。

 汗の染みた寝間着を脱ぎ捨て、木製のクローゼットからワイシャツを取り出す。

 不意に目に入ったカレンダーを、ワイシャツに腕を通しながら覗く。

 今日は六月七日土曜日だということがすぐに分かった。

 今日は何か特別な日なのだろうか。

 覚えのない印が日付の数字に大きく付けられている。

 六月は、じとじとした湿っぽさといい、いつまでも明けることを知らない梅雨といい、どうも好きになれない。

 背後の壁にある窓を開ける。汗を冷やしてくれるような涼しい風を待ち侘びていたというのに、部屋の中には何も吹き込んで来なかった。

 残念という気持ちより先に、こんなものだろうと肯定してしまっている自分がいる。

 どうせこのまま無理矢理ベッドの中で目を閉じても、却って苦痛を強いられることだろう。

 眠気が襲ってくるまで、深夜の徘徊を楽しむとしよう。


 ここの街に移り住んでから、五年の月日が経った。

 仕事の為に引っ越してきたに過ぎず、ここについては何一つといっていいほど知らない。

 勿論、五年が経過した今でも知ろうとすらしていないのだから、通勤の為に通る近所の街並みをぼんやりと憶えているだけだった。

 こんな夜中に、この街を今頃徘徊しようなどと思い付いた僕自身に驚いている。

 今日は月が見えない、新月の夜だ。

 そう言えば、あの夢を見る日は決まって新月の夜だったことを思い出す。

 新月から新月、あるいは満月から満月の期間を(さく)(ぼう)(げつ)という。

 (さく)とは新月、(ぼう)は満月を指す。

 朔望月は約一ヶ月であるから、月に一回の頻度であの夢を見ていることになる。


 懐中電灯やら必要最低限なものを小さな鞄に詰め込み、白いワイシャツの上から黒いジャケットを羽織る。

 六月といってもまだ肌寒い日が続いている。

 月曜日からはまた仕事が始まる。風邪を引くわけにはいかなかった。

 ()(たく)が終わり、玄関から外に出る。

 自宅を振り向くと、黒い大きなシルエットが、闇夜の所為か更に巨大に見えた。

 二十五でまだ独身だというのに、何故僕は一軒家など建てているのだろう。ローンもまだ長い。

 しかし稼げる時には稼いでおかなければならないのだから、我儘は言ってられない。

 今頑張れば、老後が楽になるのだと安易な考えでローンを組むなど、浅はかな考えだったのだろうか。


 気が付けば、一本道を闇雲に歩き続けているところだった。

 懐中電灯一つの灯りを頼りに、脇目も振らずに歩いている。

 幸いこの時間には小雨すら降っていない。この世界に響くのは僕の靴の音だけだった。

 道も分からないというのに、何者かに引っ張られるように足は進む。

 抵抗する気にもなれず、導かれるまま歩いていくと、いきなり道が細くなった。街の外れにでも来てしまったのだろうか。

 とても同じ街とは思えぬほど、そこは見慣れない光景だった。

 月が見えないため、余計に異世界に迷い込んでしまったように思える。


 ぼんやりと大きな建物の影が見えたところで、足は止まった。

 ゆっくりと見上げた視線の先には、よく知っている場所が映り込んできた。

 ここに教会があるなど、聞いたことがない。

 驚きと戸惑いが交差する。

 もっとも、自身の情報量など微々たるもので、信用はできないのだが。

 まさかあの夢の狙いは、僕をここに連れてくることだったのだろうか。

 先の尖った数メートルの黒い柵、正面には長い石階段がある。こちらからみて左手には大きな鐘のさがった時計塔、右手には十字架の大きなモニュメントが点在している。

 間違いなくここは、毎回のように見る悪夢の教会だ。

 違いを敢えて挙げるとすれば、美しさが廃れていることであろうか。

 目の前の建物は、所々に蔦が這い上がり、心なしか全体的に(すす)けて見える。



 ◇



 夜の教会は不気味な存在感を放っている。

 帰ってしまおうかと思った。しかし辺りを見渡しても知らない風景で覆い尽くされているために、簡単に家路につくことはできないだろう。

 それよりも、あの夢の真相を突き止めたいという好奇心のほうが勝っていた。

 緑の蔦の絡まる柵に手を掛けると、あっさりと開いてしまった。

 こんなにすぐ開いてしまう扉が今まで開いていなかったとすれば、ここにはもう長らく訪問者がないのだろう。

 綺麗に生え揃っていた芝生は、他の雑草に居場所を奪われ死んでいる。生い茂った草花を掻き分けながら進むと、やっとのことで石階段に辿り着いた。

 階段は至る所が崩れ、上るのも困難だ。何度も足を踏み外しそうになる。

 頂上に着くか着かないかのところで上を仰げば、四本の柱が立っていることが分かる。その柱をくぐり抜けた奥に、入り口と思わしき扉があった。

 両開きの扉に手を掛けたとき、ふと嫌な想像をしてしまった。

 この扉の向こうには化け物がいて、僕を今か今かと待っているのではないか。

 それとも誰かに罠にかけられて、閉じ込められてしまうのではないか。

 こんなことばかりが頭に浮かんだ。そこが僕の悪い癖なのだ。何もかも悲観的に考え、被害妄想をする。

 書類によく書かれる、性格に難があるという言葉は、このことを指していたのだろう。


 扉には鍵は掛かっておらず、楽に開けることができた。勿論化け物が襲ってくることもなかったため、安堵のため息をつく。

 懐中電灯を照らしながら中を見回すと、床はよく見るヴァージンロード。両脇には観客用の席がきちんと設けられていた。

 頭上には大きなシャンデリア。

 正面の壁の中央は十字架にくり抜かれたはめ殺し窓、その左右の窓はステンドグラスだった。

 教会の様子を見ているうちに、ここがただの教会(チャーチ)ではなく、チャペルであることが分かった。

 ここはただ結婚式をするための式場なのだろう。宗教とは全く関わりがなさそうだ。

 しかし、それぞれに光を当てながら近づいてみると、異様さが浮き彫りになった。

 ヴァージンロードの赤いカーペットは、刃物で引き裂かれたかのようにボロボロだ。

 観客席は木材でできていたのだろう。虫に喰われ(いびつ)に変形している。飾られていたらしい花も、全て灰のように真っ黒に枯れ果てている。


 何よりも衝撃だったのは、教会の祭壇の上にあったものが棺桶だったということだ。


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