反省はしていますが、後悔はしていません 6
あとはもう。
「なにしとんじゃあああああああああああっ!」
考えることなんてなかった。
元気は黄色のポールを飛び越して、背中を向ける相手に向かって突進した。持ち前の空手技術で相手の背中を殴打する。「ゴブッ!」という嫌な音が相手の口から漏れ、膝が崩れた。
そのまま元気は相手の肩を掴み、後方へと突き飛ばした。ついで少女と男との間に立ちはばかり、彼女を背中に隠すように立つ。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
「はっ……はい……っ!」
振り向かず元気が尋ねれば、少女は何が起こったか分からないのか、少し間の抜けた声を返してきた。元気はそれには答えず、ただ頷く。
元気が一時も視線を外さずに睨みつけていた男は、くぐもった声を上げながら地面から立とうとしていた。
元気は腰を落とし、臨戦態勢を取る。スカートからのぞくストッキングの足をゆっくりと広げ、地面を掴めないストラップシューズに舌打をしながら、静かに怒り狂う。
やがて立ち上がった男は元気の顔を見るとビクリと体を竦めた。そのときようやく相手の顔を直視した元気だったが、彼の心は怒りに満ちていて具体的に観察するには至らない。それでも相手が年上で、スーツを着ていることだけは頭に入った。
「おい、おっさん」
元気は静かに、けれど熱の篭る声を吐く。
「あんた、何してんだよ」
「ひぃぃぃぃぃっ!」
「こんな暗い公園に女の子引っ張り込んで、何しようとしたんだって、聞いてんだよ!」
「ご、ごめんなさいっ! すんませんでしたぁっ!」
「謝れなんて言ってねーんだよ! ――謝って済む問題でもねーだろーがああああっ!」
ビクビクしながら後ずさる男に、元気の渾身の一撃が入った。
それは真っ直ぐに伸びる正拳突きで、まるで吸い込まれるように尻ごんでいた相手の中心、鳩尾の部分にめり込んだ。
「…………っ!」
声も出ない。
相手はくぐもった音を喉から漏らしながら、ドサリと倒れた。半分意識が飛んでいるのか、白目を剥いてビクビクと体を揺らしている。
元気としてはもう一発ほど食らわせてやりたかったが、次の一撃を入れると警察沙汰になりそうなので、仕方なく攻撃の手を止めた。だからこれだけで気が済むかといえばそうでもないけれど。
とりあえず、相手の身元が分かるようなものは貰っておこうと、元気は近くに放置されていた鞄の中に手を入れる。
それは背に庇った少女には別のことをしているように見えたらしい。
「あの、何を……?」
「ん? 名刺か携帯とか、身元わかるもの探してるの」
「あ、そう、なんですか……」
言いながら、少女は力が抜けたようにふっと座り込んだ。ストンという音を聞いて元気が振り向けば、彼女が自分の両肩を抱いて震えていた。
「だ、大丈夫っ?」
「うっ、ふううううう……っ!」
小さな唇を噛み締めて、少女は頷きながら涙を零す。
元気は何をしてよいのか分からず、ただオロオロと手を揺らすだけだった。
何か、何かしてやりたい。けれど、自分が何をしてやっていいのか分からない。そんな葛藤を持ちながら、それでもと元気がやった行動は。
「ごめんね、怖かったよね……」
自分が着ていた冬用のコートで少女を包み、そっと頭を撫でてやることだけだった。
そっと、壊れ物を扱うように、絹のように細い少女の髪の毛を撫でる。初めての感覚に、不覚ながらもドキドキする。少し鼻を近づければフワリと制汗材の臭いがした。
これは、ヤバイ。
女性に耐性のない元気は、自分の変化に気付いて慌てて手を引っ込めようとした。それに気付いた少女は、凭れていた木から体を起こし、元気の胸へと縋る。
「あなたがいなかったら、私、わたし……っ!」
胸が詰まった。正直完成したお気に入りのエプロンドレスに鼻水をつけてくれるなと思わなくもなかったが、それすらも越えた彼女の嗚咽は元気の心に直に響く。
「もう、大丈夫だよ」
元気はそっと少女の肩を抱き、気持ちが落ち着くまで抱きしめてやった。
そして。
少女がもう大丈夫だといって立ち上がり、元気も続いて立ち上がって膝についた土汚れを払う。そのときにようやく彼女は元気の着ているものに気付いたのか、少し驚いた様子で元気に尋ねてきた。
「あの、あなたは……?」
「へ、変質者ではありませんっ!」
訝しげな彼女の視線に晒され、元気は自分がコートを脱ぎメイド服姿になっていることにようやく気付いた。顔が赤くなる。自分は何をやっているのかと、冷水を浴びせられたようにすーっと血の気が引いていくのがわかった。
「ええと。その、その格好は……」
「め、メイド服です。変質者じゃないんです……っ!」
ワタワタと両手を上下に揺らしながら弁明するが、キーワードは真夜中・女装・メイド服、である。正直、このまま自分が警察に突き出されそうで、元気はさらに青くなった。
けれど少女の口から出てきたのは、これまた難解な別の問題で。
「名前……、。ハンドルネームでもなんでもいいんで、教えてもらってもいいですか?」
ゆっくりと、小さな声で尋ねられた。その声音は彼を責めるようなものではなくて、メイド服の追及から逃れた元気はホッとしつつも、迷って、迷って迷って、こう答えた。
「うーたんです」
なぜ、うーたんなのか。
そう言われれば、こう答えるしかないだろう。
メイド服を作っているときにずっと想像していたコスプレ時の自分の名前。それがうーたんだったのだと。
けれど実際名乗ってみて、うーたんは赤面した。男だとばれている相手に向かって「うーたん」を名乗るのは、彼にとって羞恥プレイともいえた。元気には現在、女装が誇れるものだなんて思ってないのだから。
けれど少女は小さく「うーたん……」と呟くと、とても大切なものを貰ったかのように微笑んで、元気の眼を見ながら気丈に笑ってみせた。
「うーたんさん、有難うございました」
これが、元気が夜道を徘徊するキッカケだった。
悪いヤツが憎いとか、そういう正義の気持ちではない。
彼女に貰った言葉が元気にとってとても温かいもので、そんな気持ちにさせてくれた少女のように幼気な存在が、卑劣漢に襲われる事実が許せなかった。ただそれだけのツンデレだった。
元気は暇を見つけては夜な夜なメイド服を着て町を歩いた。趣味だと言われればそうだろう。メイド服を着ているのだから言い訳もない。
ただ幾人かの暴漢を見つけては成敗した。たまにあの少女のように襲われる場面にも遭遇し、その都度「うーたん」を名乗って助け出した。
そう。
お巡りさんに捕まる、あの日まで。