ふゆこさんの場合
生まれ育ってはや15年。
反抗期も手伝って、色々して参りましたし、色んなところへ行きました。
普通の女の子よりは、御転婆だった自覚もあります。
正直に言えば、先生たちには多大なご迷惑をかけておりました。
しかし、しかしですよ、このような事態はさすが酷いのではないかと思います。
・・・神さま、異世界に飛ばされちゃう程、私は悪い子だったのでしょうか。
――――――――とかなんとか、モノローグっぽく悲嘆に暮れていた時も確かにあったと後になって振り返り、我ながら馬鹿だなぁなんてことを思う。
しかしそれも今やどうでもいいことだ。
大事なのは、今、これからなのである。
そしてその未来は、己が切り開いていくしかない。
芙由子は、こちらへ来て10日めで、ある種の悟りを開いていた。
それから2週間。
芙由子は厭きもせず、今日も己の願いを叶えるべく、行動に移していた。
「いや、言い訳なんていらないし。まじもう何でもいーから、帰して」
「そっそれは出来ません」
「帰せっつってんだろ、出来ねぇじゃねんだよやらねぇんだろお前ら。なぁ?」
「ひっ」
「ちょい、そこのおまえ、人の顔見て悲鳴上げるとかなんなの。ざっけんなよ、誘拐犯のくせに」
「ぎゃーとばっちり!すみませんすみませんすみません謝りますっ」
だからお願い胸倉つかまないでー!
「・・・・何度見ても、変な図ですねぇ・・」
「「「さ、宰相様ぁぁあああっ助けて下さいー!!」」」
「あん?ちっ・・何よ、文句あんの」
「いえ・・・とりあえず、フユはその手を放してあげてくれませんか」
かつんと靴音を響かせて現れた男は、着いて早々、目の前の光景に大きな溜息を吐いた。
フユと呼ばれた少女が捻りあげていた白いローブの男の胸元を、舌打ちしながらもぺっと解放すると、男は流れに逆らうことなく床に沈んだ。
確かにこの光景は傍から見ても異常であった。
何しろ、まだあどけない幼さの残る風貌の少女に、大人の男が胸倉を掴まれ、凄まれていたのだから。
おまけに、よく見ればその周りにも、また2人の白ローブの男たちが床に転がっている有様だ。
先ほどからずっと、終わらない押し問答を繰り返していたせいで、フユの機嫌は今底辺を這っている。
愛らしい顔を凶悪に歪ませて、眼光鋭く宰相に縋りつく男たちを睨み据えた。
「まじこいつらなんなの?役に立たねーわへたれだわ。神官とか名前ばっかりじゃん」
「そう言うのなら、連日攻め立てるのはやめてあげてくれませんか」
「ははっ。ぜってぇやだ」
「まぁフユ、そのように女の子が汚い物言いをするのではありませんよ」
「・・・アリーシャさん」
忌々しげに吐き捨てたフユの言葉に、白い神官服を纏った男たちが落ち込んで床に縋りつく。
しかし、宰相の後ろに続いて現れた母親程の年齢の女性に窘められ、フユはバツの悪い表情になった。
不服そうな顔を隠さないのは若さ故か、フユの気性がまっすぐであるせいなのか。
アリーシャはフユへと近づくと、先ほどまで暴れていたせいで乱れた衣服を整え始めた。
「い、いいよ、アリーシャさん・・そんなんしなくても」
「いいえ、なりません。ただでさえそのようにはしたない格好をしているのですよ。
これ以上乱れさせては周りの為にも良くありませんからね」
フユの着ているものは、フユが生まれ育った世界のもので、中学校の制服だ。
多少着崩して改造しているせいで、スカートは膝より10センチ程上くらいの長さ程度だ。
フユにしてみれば当たり前で、むしろ生温いくらいであるそれが、こちらの世界の感覚で言えば非常識であり、有体に言えば破廉恥だと思われる。
それを教えられて尚、フユはこちらの世界の衣服を断固拒否していた。
比較的早く懐いたアリーシャにも、そこだけは押し通している。
気まり悪げに、しかし緩々と抵抗していたフユは、やがて諦めたのか大人しくなった。
他人には傍若無人に振舞うフユも、何故かこのアリーシャには敵わないのだ。
それは、自身の母親を彷彿とさせるからかもしれない。
「フユ、もう夕食時です。
宜しければ、陛下が共に食事をしないかと仰っておられますが」
ひと段落ついたとみた宰相が、フユへと声をかけた。
フユはまだアリーシャにされるがままになっていたが、その言葉に瞬時に返事をした。
「やだ」
即ち、拒否の意。
つーんと顔を明後日の方向に向けて、わざと宰相の方を見ようとしない。
それを予想していたのか、苦笑した宰相が了解したと首肯しようとした、その次の瞬間。
「フユ!!」
ばあんっと派手な音を立てて扉が開かれ、また新たな人物が現れた。
フユはそれを視界に入れると、瞬時に嫌そうに顔を歪める。
アリーシャは相手の登場を見て少し後ろに下がってしまった為、遮ってくれる壁もない。
せめてもの抵抗と宰相の背に隠れるも、侵入者に腕を掴まれあっという間に引き出されてしまった。
「・・陛下、また執務を放棄なされたのですか」
「ちょっ触んないでよ!馬鹿王!いい加減あたしを家に帰せっ」
じたばたと暴れるフユをものともせず、愉悦に口の端を歪めた男は、フユの体を軽々と腕の中に収めた。
宰相が胡乱な眼で見つめることすら意に介せず、ぐりぐりとフユの頭に頬を擦りつける。
勿論、その前の宰相の台詞はまるっと無視だ。
「うぎゃあやめろ変態っ!ロリコンっセクハラー!!」
「ははは、お前の為なら変態にもなろう」
「意味わかんねーから!いやぁあ変なとこ触んなうざいきもい変態いぃいい!!」
「あぁ、お前の声は相変わらず可愛らしいな」
「きっしょいんじゃーーーーー!」
「陛下・・・」
最早諦めてはいても、宰相は涙が出てくるのを禁じ得なかった。
何が悲しくて、主君がまだ幼い少女を襲う姿を見なければならないのだろうか。
くっと眉根を寄せて耐える姿はなんとも様になるのだが、本人の心痛は如何ばかりであろう。
神官達ですら、何ともいえない顔でその光景を遠巻きに眺めている。
アリーシャは侍女頭としての立場故か顔には出さないが、笑顔が非常に固い。
その内心は推して知るべしである。
そして捕まえられた当の本人は、往生際の悪さを発揮して、尚も逃れようと足掻いていた。
「まじありえない・・・何なのほんと・・!」
ぐぐ、と自身の身に回された王の腕から逃れようとしながら、フユが呻く。
どれだけ叫ぼうが暴れようが、王の手からは逃れられないことを、こちらへ着て10日目の日に、嫌という程思い知った。
それでもフユは大人しく構われる気も、ここに残るつもりもない。
猪突猛進型のフユの頭には、抵抗あるのみだ。
「フユ、夕飯は共に」
「やだっつーの!何回言わせんだよ!あんたと一緒なんかぜってー嫌!!」
「ふむ、つれないところも愛いものだが」
嬉々として自ら誘いを口にした王に、即座に否やを唱える。
言葉をぶった切られてもにやにや笑う王に、寒気が止まらない。
「きもいいぃいいっ鳥肌たった鳥肌!アリーシャさーんっ!
ごみがここにいるから今すぐ捨ててきて!そっこーで灰になるまで燃やして!!」
「フユ、陛下をごみ呼ばわりはいけませんよ」
「だってごみだよこんなロリコン!こんな有害物質放置しちゃだめだよ!!」
「フユ・・・・陛下・・・」
「はははまったくフユは愛らしいな」
「いやぁああまじ話通じない!もういやっ帰るっ家に帰るうぅううう!!還せよ馬鹿ー!」
フユが全力で抵抗するも、軽く王に往なされる始末。
宰相はフユの暴言についても王の振る舞いについても、言葉にならない様子で遠くを見つめていた。
アリーシャは一度フユを窘めたあとは、また置物のごとく控えている。
遠く離れたところに避難しつつそんな光景を見守っていた神官達は思った。
何このカオス。
そもそも、実際にフユを召喚したのは、ここに居る神官達である。
当初、彼らの目的は『王の癒しとなる存在』を、異世界から呼び寄せるといったもので。
今はこのような姿でも、以前は賢王と称えられる程、執務には非常にまじめに取り組んでいたのだ。
むしろまじめに取り組み過ぎて周りからその身体を心配される程、身を粉にして働いていた。
そんな姿を見ていた者たちは、せめて何か王の支えとなってくれるものがいないかと考え、思いついたのが召喚術だった。
初め、神官達の想定では、ふわふわもこもこの小動物が居ればいいだろうくらいの認識だったのだ。
まさか召喚陣が誤作動を起こし、異世界の人間を召喚してしまうとは思いもしなかった。
そして、その人間を王が異様に気に入ってしまうということも、もちろん想定外の出来事で。
本来ならばすぐに還してあげるつもりだったのだ。
王が、お気に入りを異世界に還すことを拒むまでは。
「いい加減触んなって言ってんだろーがぁあ!」
「フユに触れないなどしたら我は死んでしまう」
「変態は死ねっ今すぐ崖から飛び降りて死ね!」
「つれないな、フユは。そこもよいのだが。
しかしフユの世界ではこういうのをツンデレというのだろう、知っておるぞ」
「誰がいつデレたってんだよきもいこと言ってんじゃねー!」
つーかどっからそんな言葉仕入れてきてんだよ!
糠に釘。
暖簾に腕押し。
フユの言動すべてが王にとっての喜びに取って代わるため、抵抗は初めから意味を成さない。
それを知りながら、宰相やアリーシャ、周りの者たちは、フユに忠告をしようとはしなかった。
何故なら、それは王から止められているからだ。
曰く、今のままのフユが好ましいとかで。
宰相などは、告げたところでフユのことだ、大して変わりはないと思っているが。
「さ わ る なぁああああ!!」
「うーん、やはりフユは良い。癒される」
フユの頬にすりすりと己の頬を寄せ、恍惚とした表情を見せる己が主を、宰相はもはや遠くを見るような眼で見つめた。
何がどうしてこうなったと、この2週間、毎日考えた。
初めは、異世界から召喚された少女の処遇について、王の気が済んだ段階で還せば良いと思っていた。
フユはこちらに着たばかりの頃、現実を理解出来ないのか、呆然自失状態だったのだ。
抜けがらと言ってもいいふぬけたその様は、王に若干の憐みを抱かせただけだったのだから。
召喚陣は調整もあって、すぐには起動出来ず、10日の猶予が必要となった。
そして、帰還予定当日である10日後、それは一変した。
帰還出来る喜びか、光の灯らなかった瞳に生気が宿り、フユはまるで別人になったように変わった。
それが本来の彼女であることは理解も出来たが、本当に呆然自失の時とは180度違う様だったのだ。
宰相は勿論、府抜けた彼女を知る人間は皆一様に驚いたが、それだけなら全く問題はなかった。
だがしかし。
最大の誤算は、王がその姿を見て、完全に見る目を変えてしまったことだった。
「なんなのっまじいい加減にしろこのばか!仕事しろよ!!」
「休憩だ」
「とかいって1時間前にも来ただろーが!!」
王の腕に抱き上げられたフユが、顔を真っ赤にして怒鳴る。
それが怒り故か、王の顔が非常に近いせいかは、本人しかわからないが。
小柄で華奢な体躯の何処からそのような怒声が出るのか、見当もつかない。
桜色の小さな唇から零れるのは、大体にして罵詈雑言だ。
少女の見た目には非常に似合っていない、野蛮で下賤な言葉である。
そんな言葉を駆使する異世界の少女は、けれど決して人に危害を加えたりしないようだった。
脅しはするし、胸倉を掴んだりはヒートアップするとしてしまうこともある。
しかしフユの性根が真っ直ぐで、実は存外純粋であることを、今は皆が知っていた。
だからこそ、王に溺愛される彼女に対し、この王城で働く者達は基本好意的だ。
そして好意には好意で返すのが、フユという少女である。
ただし、その中に、王が含まれていないのは言わずもがな。
「・・・・・・・疲れた」
散々叫び、暴れたフユは、今や王の腕の中でぐったりとしている。
あぁ、やはり今日もフユの負けか、と宰相は内心で呟いた。
王は成人男性であり、おまけにそれなりに鍛えている。
その力に、非力な十代の少女が敵うわけがないのだ。
涙ぐましいフユの努力は、大抵水の泡となることを、フユ以外は理解していた。
彼女はそれを知っていても、頑として諦めようとはしなかった。
元の世界へ還りたいと、そればかりを望むのだ。
しかし王はフユを気に入っていて、彼には正妃も側妃もいない。
故に、彼女が望むなら、きっと王は誰に反対されようと、フユを正妃に据えるだろう。
むしろそれこそ、王が望んで止まないことなのだから。
そうなれば、彼女は悠々自適な生活を手に入れられる。
玉の輿もいいところだろう。
普通の女性ならばそれを選ぶと思っていた宰相は、未だに拒むフユが不思議でならなかった。
「・・・陛下、ついでと申してはなんですが、お食事を先に召し上がっては?」
フユが抵抗しない今が好機、このまま連れて行ってしまえと暗に告げてみた。
その言葉を聞いたフユがぎらりと睨みつけてきたが、早々に諦めたようで、すっかり王に身を任せている。
実際、今は夕餉の時間を過ぎた頃だ。
フユも空腹を感じたのだろう、ちらりと王を窺い、べしべしと王の腕を叩いた。
「・・・ご飯、食べるから、離して」
「そうか、では」
「ちょっ・・・」
フユの言葉に、王がひとつ頷いて、くるりと踵を返した。
もちろんフユはまだその腕の中である。
王の行動に、反射的に突っ込みかけて、フユは諦めたように嘆息を零した。
相当疲れているらしい彼女の様子に、宰相が苦笑を湛える。
そうして決して口に出すことなく、内心だけでフユへ話し掛けた。
曰く、
もう、逃げられないのだから、諦めてしまいなさい。
・・・と。
宰相は王が立太子した頃からの付き合いで、彼の性格を誰よりも理解していた。
周りには生真面目が過ぎると思われていたようだが、実際は少し違う。
ただ、やることが執務以外になかっただけなのだ。
他に興味を持つこともなかった為に、ただただ執務をやり続け、幸いなことに能力も有ったのか、賢王と称えられる結果になったに過ぎない。
王はこの国も民も、己すらも興味がなかった。
それは今も変わらず、唯一関心を寄せるのは異世界から来た少女のみ。
つまり、王にとっては、今やフユ以外は取るに足らないものなのだ。
フユと国を天秤にかけた場合、王は迷いなくフユを選ぶだろう。
けれどもそんな事態になることは、万に一つの可能性としてしか有り得ない。
そうなる前に、己が阻止するつもりであるからだ。
そして、だからこそ、思う。
抵抗することを諦めて受け入れたほうが、フユの精神的にも良いはずだと。
王がフユを手放すことは絶対にあり得ないのだから。
彼女は、生涯、王が先に死なない限り元の世界には帰れない。
ご機嫌で食堂に向かう王と不承不承な面持ちで運ばれるフユを見送りながら、宰相は彼らとこの国の未来を思って、今日も1人嘆息するのだった。
こうして、フユ―――――芙由子は、知らないうちに異世界にて捕らわれた。
彼女がそれを知るのも、今後彼女がどのように生きていくのかも、ただ神のみぞ知る。
とにもかくにも、現世で話題の異世界トリップ。
これは、蜘蛛の糸に絡め捕られるように1人の男に捕まってしまった、芙由子の場合のお話である。