なつきさんの場合 後編
いやはやまったく、この状況を理解しろなんて無理があると思うのです。
「へぇ、僕の書庫に、居たの?この子が?」
明らかに自分より年下そうな男の子に、『この子』呼ばわりされる私、天原菜月17歳。
目の前に立っているのは、見た目13~14歳程の美がつく少年でした。
ちなみに髪は王子(仮)よりも薄いプラチナで、眼の色は爽快なスカイブルー。
こんな儚いという言葉が似合う綺麗な顔は見たことも聞いたこともありません。
肩につくくらいで切りそろえられた髪がさらりと揺れます。
思わず見入ってしまうのも、仕方がないのではないかと自分で自分を納得させてしまいました。
「うーん、守りが破られた感覚も形跡もないし、どうやって入ったの?」
「それがさっぱりわかんないのですよ」
書庫の入り口を調べていたらしい美少年にひょこりと首を傾げられ、こちらも首を傾げる。
それがわかったら苦労はないのですよ、私も、あなた方も。
流石にそれは口には出せませんが、胸中だけで呟きます。
「ていうか、それなら君、この国の名前も、僕の名前すら多分わかんないんじゃない?
ここはサラスヴェール国、聞いたことは?」
美少年に重ねて問いかけられます。
それにきょとりと首を捻れば、傍にいた王子(仮)に呆れた目線を頂きました。
あ、なんだか疑わしいと思われてそうで遺憾です。
本当に全く聞いたことがないというのに。
「わかりません。
では、あなた方は、日本という国をご存じですか?」
「ニホン?どこかな・・・クルス、知ってる?」
「いえ、存じません」
こちらからも問いかければ、美少年は王子(仮)を見上げました。
王子(仮)はクルスさんと仰るようです。
すっぱりきっぱり、相変わらずの潔さでその問いをぶったぎったクルスさんは、王子と顔を見合わせます。
「・・・では、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアなんかは?」
「わかんないなぁ・・クルス?」
「存じませんね」
日本がわからなくても、この国ならどこの人間でもわかるだろうというところをあげてみました。
しかし、惨敗です。
これ以上他の国の名前を連ねても、きっと同じだということがわかり、項垂れました。
あぁ、本当に、一体ここは何処なのですか。
眉根が下がってしまったのを自覚しながら、出てこようとする涙をぐっと堪えます。
未だ拘束も外してもらえないようですのでこのまま処刑一直線でしょうか。
断頭台があれば然程痛みはないと聞きますが、首吊りはちょっと怖いです。
そもそもそんな酷い死に方、嫌です・・・が、不法侵入者としての私は、なんとも言えません。
完全に不可抗力なのに、です。
「あぁ、そんなしょんぼりしないで。
帰り方がわかるまで、ここに居たらいいじゃない、ね?」
美少年改め王子様の心配げな顔に慰められます。
・・・なに この はかい りょく!
思わず脳内の動きが止まりかけました。
美少年、その仕草はちょっと罪です。
「いや、王子、それはちょっと軽率では・・」
困った顔したクルスさんが咎めるのも尤もです。
だって私は、明らかな不審者、身元なんてさっぱりわからないのです。
そんな私を特に調べることもなく王城に住まわせるなんて、どんな博打ですかと問いたい私でした。
「僕がいいって言ったらいいんだよ」
笑顔で暴君発言を振りかざした王子様に、ちょっと顔が引きつります。
庇って下さるのは嬉しいですが、なんとなく関わったら危ない人種のような気がしてしまいました。
その笑みがなんだか恐ろしいような気すらしてきます。
「それに、この子からは何の力も感じないし、何が出来るとも思えないよ。
クルスだってそう思ったから、両手両足の拘束で済ませたんでしょう?」
「まぁそうですが・・・・」
「・・えーと、どういう意味でしょうか?」
両手両足の拘束だけでも、充分だと思うのですが。
これ以上となると猿轡しか思い浮かびません。
それは激しく抵抗したいと思います。
「うん、見てもらった方が早いかな。
ねぇ君、こういうことって出来る?」
にこっと笑った王子様は右手を顔の横に掲げてみせると、5本の指先全てに火を灯しました。
「へっ・・」
「うわぶさいく」
ぼそっと呟かれた、クルスさんの失礼千万なセリフも耳に入りません。
唖然とするでしょう、なにそれと叫ばなかっただけましだと思いたいです。
思わず問いかける声も震えるというものです。
「あの・・それ、熱くないんですか・・」
「うん、熱くないよ」
「うわぁ・・魔法ですか?」
「君の世界では魔法というの?
こちらでは単に力としてしか認識されてないんだけど」
「・・・炎を出す、水や風を操る等の自然現象への干渉。
無機物や有機物への操作など、物理的に不可能なことを可能にする術を、魔法や魔術と認識してます。
それの定義は色々あるみたいですが、けれど、それらは夢物語というのが一般常識でした」
「ふぅん、わかった」
何がわかったのかはわかりませんが、そういうと王子様は指に灯した火を消しました。
「さっきの話に戻すとね、君にはこういう力がないから、手足を拘束すれば何も出来なくなる。
この世界の人だったら更に封じをかけなきゃいけなくなるんだよ」
へぇー・・?
つまり、ここは一般人も力を持つことが当たり前で?
それがない私は赤子同然ということですか?
「力の大小はあれ、多分この国の小さな子どもでも、君を拘束出来るよ」
王子様ににこやかにそう指摘され、思わず眉間に皺が寄ってしまいました。
なかなかそう言った類のことをすぐに認識するというのは難しいのに、子どもにすら負けるとは。
しかしそういう理由があるというのなら、そうなのでしょう。
こっくり素直に頷いた私に、王子様は言葉を続けます。
「まぁそういうわけだから、別に君をここに置くのもなんら問題はないんだ。
僕も周りもそれなりに力はあるし、これでも人を見る目はあるつもりだから」
自信ありげなそのお言葉、確かに聞きましたよ。
ふむ、ではもし私が見た目とは裏腹に、実は刺客だったらどうするのでしょう。
特別な力などなくても、誰かに害を加えることは出来ないとは思いません。
まぁそこまで馬鹿ではないので、そんなこと問いませんが。
「・・・勿論、害為す存在だとわかった瞬間に殺しちゃうからね」
何も言っていないのに、クルスさんに釘を刺されました。
なにそれこわい。
「クルス、脅さないでよ。
それより、ねぇ、君なんていう名前?」
ちょっと眉根を寄せた可愛らしい怒り方で、王子様はクルスさんを叱ってくれました。
青ざめてふるふると揺れる私の眼をのぞき込みながら、王子様に問われます。
さっきの名残で声はか細くなりましたが、それでもちゃんと答えられました。
「菜月、と申します・・」
「ナツキ?ふぅん、いいね。
ねぇ、僕のことはテオって呼んで?」
「て、テオ王子・・?」
「はいだめー、王子ってつけないで」
「そ、それはちょっと・・」
「だめ。ナツキはテオって呼んで」
「いやぁちょっとそれは・・・じゃ、じゃあ、テオ様で」
「えー」
妥協点を探りつつ答えれば、不満そうに唇を尖らせました。
そんな顔でも美少年は美少年です。
黙って見守るだけのクルスさんにヘルプの視線を投げても爽やかにスルーされました。
酷すぎます。
「いくらなんでも、敬称抜きの呼び捨ては出来ません。
王族の方々と馴染みのない私にだって、それがいけないことだってくらいわかります」
眉根を下げて、力なく抗議します。
身分制度のない国出身ですが、敬うことを知らないわけではないのですよ。
しかし、王子様は不満げな顔を直してはくれませんでした。
可愛らしい頬をぷくりと膨らませているのが大変お似合いです。
「ナツキは別にこの世界の人間じゃないから、そういうの関係ないよ。
僕が良いって言ってるのに、何が嫌なの?」
嫌とか嫌じゃないとかそういう問題ではない気がします。
ていうかこの王子様、あまりご自分の身分に頓着されないのでしょうか。
それはそれで周りが迷惑を被りそうで、なんだか切なくなります。
「・・・王子、赦して差し上げては?
王子を呼び捨て出来るのなんて、王と王妃くらいなものですよ」
流石に先ほどからじっと助けを求めていたら、嘆息されつつもクルスさんが助けてくれました。
しばらく不機嫌そうに眉根を寄せていたテオ王子は、ようやくこちらへ向き直りました。
どうやら諦めてくれたようです。
「・・・じゃ、わかった。それでいいよ。
その代わりナツキは僕付きの侍女とするから。
異論は認めないからね」
・・・・こちらに置いて頂く以上、働かざる者食うべからずです、働くのは問題ありません。
しかし、テオ王子付きと言われても、貴人のお世話なんてしたことがないのです。
粗相をしてしまったら大変なので、是非とも固辞させて頂きたい私でしたが・・。
「もう決定だから。2人が何言っても聞かないからね」
「・・仕方ありませんね」
意固地になったように言い募ったテオ王子に、クルスさんが早々に白旗を上げました。
あの、ちょっと諦めが早すぎやしませんか。
自分でも言うのもなんですが、こんな不審人物、自分の主のそば近くに置いてどうするのでしょう。
まぁ私なんぞが何したところで、痛くも痒くもないのかもしれませんけれど。
しかし、2人が納得してしまえば、私に否やは言えません。
「・・・テオ様、クルスさん、よろしくお願い致します」
「うん、よろしく」
「・・よろしく」
ぺこりとお辞儀をして、ご挨拶。
クルスさんのそっけなさにもだんだん慣れてきたような気がします。
しかしいい加減、拘束解いて頂きたいところですが、これからのことを決めるのに張り切ってしまったテオ王子は勿論、それに付き合っているクルスさんは気づいてくれません。
結局私は、後に私の上司となる侍女頭のマリーナさんが部屋に入ってくるまで、放置されるのでした。
そうして私は、このお城で、王子付きの侍女として働くことになりました。
魔法のような力はあれど、結局帰る道は見つけ出せず、ここで生きていく覚悟をするまであと数年。
それを知るまでにはまだまだ先は長いのです。
ここで拾っていただいて、私は幸運でした。
何はともあれ、天原菜月17歳、右も左もわかりませんが、とりあえず頑張って働こうと思います。
巷で流行りの異世界トリップ。
これは、王子様に拾われた私の場合のお話です。