はるかさんの場合 後編
・・・えぇ?
すりすり、頭に頬擦りされたまま、ぴしりと固まる。
おっとなんだろう、なんだか今さらりと、聞き捨てちゃいけないようなセリフが聞こえたよ。
為す術もなく船長の言葉を聞きながら、晴香は冷や汗をかいた。
「ずっと見てもらえねぇくらいだったら、いっそ監禁でもしちまおうかなぁとかな。
足枷つけて。首輪でもいいな。
・・・そうしたらあいつらに笑いかけることもねぇ。
俺だけのになるだろ?なぁ?ハル。
お前の名前を呼ぶのも、お前が見るのも、俺だけだ」
ぞくっ
怖気が走ったような気がして、そろりと見上げると、ばちりと視線が合った。
気のせいだと思いたかったけど、よく見たら、目が、マジだった。
あの・・ヘタレ船長どこ行った。
今すぐ帰ってこいと叫びたい。
「えぇっとぉ~・・あの、別に笑いかけるくらい誰にでも」
「・・あ?」
へらりと笑って言い逃れようとしたら、船長の声のトーンがずずんと低くなった。
おっとやばい地雷だったようだ。
無意識に踏んでしまうらしい己を内心で罵りながら、晴香は必死に言い換えた。
「いえっほら、愛想笑いてやつですから、ね?
・・ほんとに好きな人にしか、その・・・笑いかけたいなんて、思いませぐぇ」
「っ!あぁちくしょう、やっぱ独り占めしてぇ」
慌てて言い募った言葉は、途中で潰れたカエルのような自身の声に遮られた。
鍛え上げた体を持つ船長の腕力はそれに見合うものらしく、晴香は自身の内臓を心配した。
当の本人はなんだか身悶えているらしいので、きっと悪い意味ではないのだろうと推測する。
しかし、船長のツボがわからなくて、晴香は一瞬遠い目をする。
今の発言のどこに萌えポイントがあったのだろう。
ぎゅうぎゅう締め上げられながら、知らぬ間にヤンデレ製造機と化していたらしい己を思わず呪った。
・・・いや、まだこれは軽度だ。
今なら戻って来れるはず!
カムバックへたれ!!
「あの、せ、せんちょ」
「なぁハル、やっぱ結婚しちまおうか」
言葉を途中で遮られるのもそうだが、言語が通じてなさそうなのが一番こわい。
異世界トリップしたらしいと知った最初の頃、言葉が通じることに安堵したはずなのにどうしてこうなった。
現実逃避だと自覚しながら、何がきっかけでヤンデレの扉が開いたのだろうと自問自答する。
「ハル?」
「ぐぇ・・ちょ、船長くるしい内臓が出る」
「大丈夫だ、何が出てようとお前は可愛い」
ナニソレー。
訴えたら、嬉しいような複雑なような言葉に宥められた。
出てちゃいかん何かが出てたら、どんなに愛らしいビスクドールでも怖いと思うんだ。
困り顔で見上げてみれば、蕩けそうな笑みが降ってくる。
・・でろでろに甘い顔と声に溶かされて、何も見えなくなっても、きっと私はそれでも幸せだ。
囲われて、船長だけの世界になっても、むしろ喜んで生きていけるような予感がする。
そうわかってしまう自分が居て、余計に背筋が泡立ったような感覚に怯える。
自分の中に、ヤンデレ要素があるだなんて知りたくもなかった。
実は似た者同士なのかもしれない、と晴香は胸の内で密かに泣いた。
「・・あの、あのね・・船長・・私のお話、聞いてくれますか・・?」
「っ!!」
たそがれていた己を叱咤し、精一杯のオネダリ顔と声を作った。
内心、悶えるような羞恥心に犯されて、叫びだしそうになる自分を撲殺しながらその状態を維持する。
不意を突かれたかのようにぼっと顔を赤くする船長につられて、顔が熱くなるも、今はそれを無視した。
今ここで言わねば、ヤンデレ籠の鳥ルート一直線だ。
それでもいいと笑う本能をねじ伏せて、理性が頑張っている。
私は人並みの生活をしたい。
例えそこが海賊船という非日常であろうとも。
誰かに飼われて生きる愛玩ペットなど、性に合うわけもない。
そうだ、それだけは避けねば。
「な、なんだ・・?」
「船長、私のこと、どう思ってるんですか?」
直球で聞かずとも、自惚れじゃなく多分わかる問いを、あえて投げてみる。
せめてヤンデレじゃなく普通の恋人ルートに戻したい。
それが自分にとっても最上の未来なような気がして。
こんな状態でも小賢しく働く自分を内心で唾棄しつつ、船長の反応を待った。
「お、俺・・俺な、お前を拾ってから今までずっと、お前のこと、」
「ねぇ船長・・お前じゃなくて・・名前、呼んでくれないんですか?」
真っ赤になって必死に言葉を綴る船長をわざと遮って、尚も強請った。
そう、小悪魔を狙ってみよう作戦である。
正直このようなことは晴香には苦手分野だ。
今にも鳥肌立ちそうでやばい。けれども、やらねば。
女は生まれながらの女優だって、誰かが言っていたきがする。
「は、ハル・・」
へにゃりとへたれる耳が、船長の頭上に見えた気がした。
おかえりへたれ船長。
船長から見えない位置でにやりと笑う。
ふるふると震える様が嗜虐心をそそる。
自分の中でまた新しい一面が発見されたようで、何故か目に涙が滲んだ。
「ね、船長、ハルカって、呼んで・・?」
更に言い募れば、これ以上ないくらい顔を赤くした。
こんな傍から見れば悪女と言っても差支えない翻弄っぷりだが、内心ではあまりにも自分じゃなくて奇声の嵐だったりする。
ああぁきもちわるーい!!
「は、る・・か・・・」
「せん・・んんっ!?」
・・・あっれー?
このまま撹乱してうやむやにさせちゃうつもりが、何故かキスされている。
・・・・・・・あっれぇぇえええ!!
「ちょ、せんっ・・んー!」
慌てて静止しようとして、尚も続けられる行為に、化けの皮があっさりと脱げてしまった。
ていうか生まれて此の方19年、一度もキスなんざしたことなかったんですけど!
ファーストキスがディープってどういうこと!
「ん、ふっ・・んん・・は、はぁ」
「ハルカ・・・」
長々と続けられたおかげで、すっかり腰砕け。
ぐったりと腕の中で凭れるまま、頭上から降るうっとりとした声を聞く。
ふっ、満足そうで何よりでございますわよどちくしょう。
「よし、ハルカ、部屋行くか。あぁ今日から一緒でいいよな」
「えっ」
「あぁ俺、生きててよかった」
「え、待って待って、意味がわからん!ちょっ、速い!きゃー!!」
それから。
結局晴香は、船長の妻の座に座ることになったらしい。
らしい、というのは、晴香の中にある一般常識としての婚姻に関する事項には掠りもしなかった為、あまり実感が湧かなかったせいである。
結婚式しかり婚姻届しかり、誓いすらしなかったのはちょっと寂しかった。
海賊であるが故、実質法など関係ないということもあり、事実婚という形に落ち着いたのだ。
そうして得た地位から見た世界は、また見えていなかった事実をも晴香につきつけることとなった。
晴香の前ではでろでろに蕩ける顔をする船長が、実は冷酷無慈悲の大海賊として名を轟かせているとか。
実は拾った当初から、部下達には必要以上に晴香と接触しないよう通達しているとか。
それを破ってしまった部下が3日間食事抜きや危険なお仕置きをされていただとか、なんて。
世の中には知らないで良いこともあるのだと、晴香は痛いほど実感したのだった。
けれども、幸せであると言わざるを得ない今の生活の中で、度々こちらに来るきっかけとなった出来ごとを回想したりする。
あの時、もし目を瞑らなければ。
そんなことを考えてしまう自分も居るのだ。
そう、例えば、夫である船長の重い愛に怯えたときなんか。
「・・・おい、ハルカ?何、他のこと考えてんだ。
俺のことだけ見てろよ・・・じゃなきゃ、その眼、潰しちまうか?」
「すみません他の事なんか考えてないからその手に持ってるアイスピック放して!」
・・とにもかくにも、巷で話題の異世界トリップ。
これは、うっかりヤンデレを釣ってしまった晴香の場合。