はなさんの悪魔 後編
それから、ファナは何度か店主と打ち合わせをした後、一緒に店の人間と引き合わせられた。
店で働く娼婦は20名、娼婦見習いは8名、下働きが6名、護衛が4名、店主補佐が3名プラス店主だ。
補佐をしている3名は皆元娼婦で、店を立ち上げた頃から居る古参らしい。
一人が会計を担当し、二人が娼婦たちの教育を引き受け、店主が総括をしているようだ。
そこに今後はファナと俺が追加され、総勢44名になった。
この界隈ではそれなりの規模になるこの娼館。
人間に紛れることなど朝飯前だが、人と馴れ合う気は毛頭なかった。
普段、護衛4名が交代制で店の前に陣取る。
初日に出会った男はルフと言い、店舗立ち上げ時からいる古参の一人だという。
もともとは店主と昔馴染みであり、ちょうど仕事がなかったことから引き受けたのだとか。
俺にとってどうでも良いそんな情報は、何故か懐かれたルフ本人から聞いた。
何を思って俺に構うのかはわからないがルフは護衛の立場からか妙に事情通だった。
どうやら古参であることも加え面倒見が良いこの男、店の娼婦たちから慕われているらしい。
正直、その気になればそのくらいはすぐ手に入るというような情報ばかりではあったが、誰から聞いたというその根拠を手に入れる絶好の相手だ。
おまけに、ファナに周りの人間にはくれぐれも疑われないよう厳命を受けている。
主以外の人間などに興味など沸かないが、それを守るためにはそれなりに人の中に溶け込む必要があると知っている。
ルフは黙っていても俺の世話を焼こうとする上、多少そっけない態度をとっても問題はない。
一人で孤立していれば目立つが、こればかりはルフのおかげと言えなくもなかった。
「おい、ディア、明日の番のことなんだがな」
仕事がなくぼうっとしていると、ルフに話しかけられた。
今日は一番年若いレニーが番をしており、明日が俺の番だ。
護衛の統括をしているルフはその辺の調整や手配も引き受けており、たまにこうして変更されたことや注意事項を伝えてくる。
適当に相槌を打ちながら、俺の意識は今頃店を走り回っているであろうファナのところへ行っていた。
娼婦として勤める前に、店主は研修と称してファナに雑事をさせ、時間を見つけては性技や手練手管というものを教え込んでいるらしい。
ファナが客を取るのは今日から一週間後。
その日、どんな客がファナの初客となるのか。
そう考えるだけで、腸が煮えくり返るような心地を覚えた。
ファナは俺のものだ。
誰にも譲ってやる気などない。
・・だが、そうは言っても、今は動く時期ではないことを知っている。
暗い願いを孕む腹のうちを隠しながら、初見せの日も俺は普段通りに振舞うことを選択した。
まだその時ではない、今だけなのだと自分を説得するのはあまりにも馬鹿らしかった。
後日、初客となった男は密かに始末をしたが、それをファナに気取られるほど無能ではない。
ファナの客になった人間は皆殺しにしたいところだったが、それではファナの仕事が成り立たない。
俺は他所で憂さ晴らしをしながら、ただただ来るべき日の為に耐え忍ぶ羽目になった。
・・・悪魔が己の本能から眼を背け、あげく耐え忍ぶなどと。
お笑い種もいいところだ。
その後、娼婦として勤め始めるようになったファナには、少しずつだが順調に常連がつくようになっていった。
しかし己の獲物に手をつけられながら自分は横で指を銜えてみているという現状に、それからまた数ヵ月後には我慢の限界を突破した為、今では時折人間に化け、客としてファナの元へ通っていたりする。
誰にもバレてはいないようだが、それでも週2・3度の訪問に抑えている。
ただそれは、少し失敗だったかもしれない。
ファナの味を知ってしまっては、独占欲も渇望も留まることを知らなくなったからだ。
もともと、悪魔という種は己の本能に忠実に出来ているため、そこを制御するということは当然不得手だ。
本能に逆らっているということになるのだから、その苦しみは筆舌に尽くし難いものがある。
おまけに、欲しい獲物はすぐ手の届く範囲にある。
これで我慢をし続けろなどと、拷問に等しい。
ローテーションを組んでいるため護衛としての順番は必ず巡ってくる。
その間に別の人間がファナに触れているのかと思うと、無意識に館を火の海にしてしまいそうになる。
ここまでファナに入れ込んでしまうとは思いもしなかったが、正直面倒なことなど考えないのでどうでもいい。
早くこの手に、ファナを手に入れなければ。
今日も今日とて、門の前に棒立ちになりながら、そのことばかりを考えていた。
そうして人に混じりながら過ごしていくうちに、やがて時は移ろう。
ファナが娼婦になってから、はや1年。
俺がファナに召喚されてから、2年の月日が流れていた。
ファナは店の五指に入る人気娼婦となっており、俺はルフの片腕のような扱いになっている。
この1年で何が変わったのかと言われれば、俺は何一つ変化はしていない。
人間の時の流れは俺には早すぎて、日々を何気なく過ごしていたら、瞬く間に過ぎてしまったと言える。
しかし、成長期であったファナは変わった。
髪は艶やかに腰元まで流す様はそのままだが、前髪を額の真ん中で分けている為か、あどけなさが抜けた。
表情やしぐさなど、仕事柄、色気が出てきたと言ってもいいだろう。
当然男を誑し込む手管も磨かれ、黙っていれば花に集る虫がわんさか寄ってくる。
ただ、口を開けば昔のままのファナだ。
人間にとってはそのギャップがいいというものもいるが、ファナの良さなど俺一人が知っていればいい。
幸いにして、多少人間を消したところでファナの人気は衰えない。
金を落としてくれる人間だけは避けているからだ。
ファナの益を損ねるような真似はしない。
金を貯めていずれはここを出るのだと、ファナは俺に語っていた。
異世界への渡航は未だ諦めてはいないようで情報を集めているようだが、成果が芳しくないのだろう。
ずっとここで娼婦をしているつもりはない、金が必要なだけ貯まれば別のところに行く。
それがファナの言だから、俺はそれに従うのみだ。
しかし順調に小金を貯めていくファナを尻目に、俺は別のとあることに気をとられていた。
数ヶ月前から、ファナが何かを思い悩むようなそぶりを見せていること。
ファナは悩みを語らない。
周りに取り入るために日常のよくあるような愚痴を口にすることもあるが、本心を曝け出すようなまねはしない。
一人黙って考え、メリット・デメリットを考慮し、そして自分自身で決断するのが常だ。
それはファナがこちらの世界では頼るものがないからだと知っている。
故に、部屋で一人になったときにぼんやりと考え事をしているファナを見ると、また何かあるのだろうと想像はついた。
あれはファナの師匠が死んだときの、ファナの様子と酷似しているから。
口を出すことなく、ただ黙って見守ること、2ヶ月。
その日、ファナは非番だった。
週に1度ローテーションで回ってくる非番は娼婦たちにとっては貴重なものだ。
毎日体を酷使している故に、体を休ませる者、買い物に出かける者、余暇の過ごし方は様々だ。
ちょうど珍しく俺も非番だった為に、ふらりとファナの部屋へ向かった。
留守である可能性は高かったが、そこは俺とファナの関係性。
召還主がどこにいるかなど、手に取るようにわかるのだ。
いつものようにノックもせず、ファナの扉を押し開けた。
突然の侵入者を意に介すことなく、ファナは自分のベッドに上体を起こした形で横たわり、ぼんやりと中空を見つめていた。
「・・・ファナ」
一度声をかけても、反応はない。
俺は扉を閉めると黙ってベッドに近寄り、傍に腰を下ろした。
「・・・・ディアボロ。あのね、決めたの。聞いてくれる?」
「何をだ」
俺がそこに落ちついた後すぐ、ファナが話し出した。
こちらを見ないまま。
次に告げられた言葉に、俺はすぐに言葉を告ぐことが出来なくなった。
「あなたとの契約を、ここで破棄する」
部屋の中に、つかの間沈黙が流れる。
破棄する、だと?
「どういうことだ」
「仮契約してたの、破棄しよう。
それで、魂の契約を結びたいの。だめ?」
一瞬、ファナが何を言っているのかわからず、がちりと体が固まった。
こいつは何を言っているのか、自分でわかっているのか?
食われてもいいと目の前にご馳走が投げ出されている気分になった。
「それがどういう意味なのかわかって言っているのか」
ファナの眼前に進み出て、無理やり目を合わせる。
しかし、その目を見て、悟った。
すべてわかって言っているのだ、ということを。
「知ってる。
召喚術自体はあなたを呼んでからしなくなっても、知識だけは増やしていたから。
ねぇディアボロ。あたしのお願い、聞いて」
するり、ファナの細い指が頬を掠める。
他の人間と同じように誘惑されたところで、悪魔の俺には関係ないはずだった。
それが、焦がれたファナであるとなると、話は別だ。
俺は馬鹿みたいにファナから目を離せなくなった。
まったく、とんだ魔性の花だ。
「あたしの全てをあなたにあげる。だから約束してちょうだい」
他のことはいいけど、あなたの心のことで嘘はつかないで。
あたしを守って。
絶対ひとりにしないで。
全部守れるなら・・・あたしを喰らっていいよ。
徐々に小さくなる声は、ファナが両腕を俺の首に回し肩口に顔を寄せたことで、逆にはっきりと聞こえるようになった。
何が心境の変化のキッカケになったのかは知らないし、知る必要はない。
だが、俺にとっては渡りに船だ。
ファナを抱き寄せて、密着する。
かねてより願ったものが、ついにこの手の内に。
以前交わした仮の契約は、互いにただの口約束レベルの拘束にしかならない。
魂の契約というのは、互いの魂に刻み付ける最上級の契約だ。
それをしてしまったら、死んでからも逃れることは出来ない、悪魔にとっては最悪のもの。
けれど俺にとっては、逆に歓迎できるものだ。
これで、ファナの全てが本当に俺のものになる。
もう他の誰にも分けてなどやらない。
ファナの他愛ない願いもわがままも、これからは全て俺が叶えてやる。
「本当に、いいんだな」
目と目を合わせて、最終確認をする。
これから契約の書き換えをすると、ファナの身に何が起こるかはわからない。
最悪記憶がなくなることもあり得る。
魂の契約というのは、それだけ代償の大きいものなのだ。
それに当然、俺と契約をすれば元の世界に帰ることは出来なくなる。
全て承知の上かと、俺は最後の優しさを見せたのに。
「いいよ。ねぇディアボロ、あたしをあげるから、ずっとあたしと生きて」
真っ直ぐ、夜空のように深い黒色の瞳がこちらを見返す。
その言葉と共に、羽が触れたような軽いキスを送られた。
・・・くそ、煽りやがって。
あぁ俺の主。
おまえが望むことは、全て俺が叶えよう。
だがこれで、おまえはもう俺から逃れられない。
おまえの全ては、俺のものだ。
そうして、俺はファナを喰らいながら、契約の書き換えを行った。
今までの分も含めて思う存分喰らった結果、ファナは翌朝起き上がることも難しそうだった。
しかし非番は1日のみ。
仕事に対してまじめなファナは、休むことなんかしないと豪語していたが、契約を書き換えたせいか突然昏倒し、そのまま意識を失う羽目になった。
そうなるであろうことを知っていた俺は、焦ることなく店主に多少虚偽交じりの報告をし、1日休みをもぎ取った。
魂の契約は、脆弱な人間には相当な負担になるようだ。
眠っているファナの中で、何が起こっているのかはわからない。
目覚めた彼女が、以前のままでいられる可能性は遥かに低い。
俺を覚えているかもわからない。
だが、それでもいい。
全て起こることは受け入れよう。
例え記憶がなくなっても、ファナがファナであることは間違いないのだから。
それに、ファナはもう俺のものだ。
・・・・・・逃げることなんて、許さない。
華が目覚めるまで、あと数時間。