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はなさんの悪魔 中編2

賛否両論、あると思います。

反論などはメッセージでお願いします。

招き入れられた室内は、暗い赤を基調とした、典雅な様相をしていた。

どうやら店主の私室らしく、現在ファナと俺はテーブルに座り、店主自らが淹れた茶でもてなされている。

それにしても、これから身売りする本人とは思えないほど、そこでのファナは場違いに見えた。

悪魔と呼ばれる俺にそう見えるのだから、店主にどう見えるかなど推して知るべし、だ。

にこやかな笑みを絶やさず、怯えや不安など微塵も窺えない。

年若い娘、おまけにこれから身売りをする予定の娘らしからぬその様子に、店主も警戒してか表情を緩めようとはせず、おかげで辺りを漂う空気が非常に硬い。

これくらい俺にとってはなんていうこともないが、人にとっては違うだろう。

その様を傍観者のごとく見やり、どうしたらこのような豪胆な娘になるのだろうなどと思う。

今までの長きに渡る生の中で幾人もの人間と関わったものだが、ファナのような人間には出会ったことがなかった。

人の生育になど欠片も興味がなかったせいもあってか、俺にとっても、たぶん店主にとっても、ファナは不可解な人間だっただろう。


「・・さて、話を聞かせてもらおうかしら。

 なぜ、自分からここへ来ることになったのか、詳しくね」


客人の為に茶を淹れたあと、自分の為に淹れたそれを優雅な仕草で一口含み、店主はそう口火を切った。

ファナをじっと見据える目は厳しい。

それは多分、ファナがあまりにも常識とはかけ離れているからだろう。

通常、娼婦になる娘というのは、食い扶持を稼ぐ為売られてきた娘や孤児なんかが大半だ。

望んで身売りをするような者など皆無に等しい。

この国では性に対してあまり縛りがないとは言え、誰とでも寝ると思われるのはやはり不名誉なことだったはずだ。

もちろん、その中でも酔狂な輩は多かれ少なかれ居る。

俺はそういった人間に召喚され、しばらく己が利益の為にしばらく仕えたこともあった。

だが、基本的には誰だって、好いた相手以外に身を許したくはないと考えるのが普通だ。

必要に迫られなければ、こんな仕事など。

娼婦たちの本音はこんなところだろう。

そしてこの店主とて、今はここに居るが、己の境遇に満足しているわけではないようだ。

故に、店主の目に、ファナは異質に映る。


「えぇ、わたくしの理由は簡単なことですわ。

 現在住む家もなく、保護者もなく、人ひとり生きていくのにはお金が必要でしょう?

 わたくしは訳あって、あまりこの国の事情に通じておりません。

 普通に生活するにも少々問題がありまして」


胡散臭いほど爽やかに、にこりと微笑んで言い終わったファナに対し、店主の厳しい目は剥がれない。

不似合いなほど悠然と相手の言葉を待つファナを、じっとファナを見つめ黙ったままの店主。

異様な雰囲気が辺りを漂うのを、ただ俺は黙って見守るだけで。


「・・ここを選ばずとも、街には住み込みの仕事がいくつかあったはずでしょう。

 この町の人間は表の者なら比較的面倒見の良い人間が揃ってる。

 何故、この仕事を自ら選ぶの」


真面目に答えろ、とその目が言っている。

口からでまかせとまでは言わないが、真実を話していないと思って疑わない目だ。

ファナは笑顔を崩すことなく、それに答えた。


「何故、ですか。いけませんか?」


ふふふと朗らかに笑う声が、ぴしりと何かが軋む幻聴が聞こえた気がした。

店主の顔が、目線が、周囲の気温を下げているように思ってしまう。

人間にそのようなことが出来るわけがないと知っていて、尚。


「わたくしが自ら身売りするということが、異質であるということは承知しております。

 では、逆に教えていただけませんか。何故いけないのでしょう?

 はしたないですか?見苦しいですか?親からもらった体を粗末にするなと?

 確かに表の仕事でも雇ってもらうことは可能でしょうね。

 そのように生きる術は知っております。

 偽りを重ねればやさしい人たちは騙されてくれますもの。

 えぇ、外道と言われようと構いませんわ。

 それでも尚この仕事を選んだのは、己の益の為です。

 いけませんか?」


反論を挟ませることもなく滑らかに言い切ったファナは、未だに笑顔を崩してはいない。

いないけれども、その目は笑っていなかった。

そして、対峙する店主もまた。

なんだこいつら。

ただの人間の癖に、揃って一体何を背負っているんだ。


「己の益とはどういうことなの。

 この仕事はただ金払いが良いだけでないと知っていて?」


「えぇ、もちろんです。

 甘い汁を吸うのならそれに危険が伴うのも当たり前ですから。

 知らないことも多いですから、先輩方にご教授願うこともあるでしょうけれど」


「・・・傲慢ね。その変な自信は一体どこから来るのかしら」


「自信があるわけではありませんわ。

 わたくしが持っているのは、この身ひとつだけ。

 自由に出来るのも、この体だけです。

 だからこそ、わたくしはこの仕事を選びました。

 他の仕事と比べてみて、選択肢のひとつとして。

 これは、立派に仕事のひとつでしょう?」

 

 あなたは、マダム・リアン、あなたはこの仕事を、汚れだとは仰らないでしょう?


静かに告げられたその言葉に、不意を突かれたように店主が黙り込む。

ファナは、娼婦という表立って口には出来ない仕事を、他の『表』の仕事と同様だと考えているのだ。

職業のひとつとして、選ぶ選択肢があっても良いのではないかと。

今やファナは笑うこともなく、目を逸らすこともなく、まっすぐに店主を見詰めていた。

それが、真実、心の底からそう思っているのだと、店主に悟らせる。


「・・・・」


「こうすることが悪だというのなら、それは必要悪であるとわたくしは考えます。

 わたくしは己の体を軽く見積もっているわけではないと思うのです。

 この身一つしか持っていないわけですから、それを使って生きていけるのなら何でもしますけれど。

 でも、この仕事がなければ、売られてくる娘などは路頭に迷うか奴隷となるかでしょう。

 こういうところがあることは大事だと思うのです。様々な意味で。

 もちろん、そのような事態にならないことが第一です。

 現状で難しいのですから、前向きに考えることが肝要ではありませんか?」


最後まで淀みなく話し終えたファナを、店主はただ黙って見つめるだけだった。

暫しの後、彼女はひとつ重苦しい溜息を吐くと、初めて苦笑する形で顔を歪めた。


「・・説得力ある、とは間違っても言えないわね。

 でも、いいわ。ファナと言ったかしら。

 あなたを雇ってあげましょう。

 でも間違えないで。

 目的を達成したら、この店を出ること。

 約束できないならここに置いてはおけないわ」


「えぇ、約束しますわ、マダム・リアン。

 これからよろしくお願い致します」


「それから、そこの」


「・・・俺か」


店主の言葉に、にこりと了承したファナにひとつ頷くと、店主は俺に目を向けた。

瞬く間に鋭くなった目線は、警戒しているからか、不信故か、はたまた地顔か。


「あなたは護衛として雇います。

 休みの時はファナの傍には居てもいいけど、客がいる時間帯は寄り付かないように。

 ファナ、あなたも、いいわね?」


「えぇ、もちろん」


「・・・了解した」


返事を渋っていたら、ファナが肘で脇腹を小突いてきたので、不承不承答える。

何故、俺が主以外の命を聞かねばならんのだ。

そう思ったことは確かだが、ファナがそれを望むのなら、と黙って引き受けた。


こうして、ファナと俺は娼館で雇われることとなり、部屋も別々に与えられた。


ファナは上階の空いている部屋を。

俺は地下の小部屋を。

別段眠る必要もなく休息をとることもないため、部屋の広さに否やは言わない。

が、引き離されたことは大いに不満だった。


その夜。


俺は、客の入りが収まり、人間が寝静まった明け方に部屋を抜け出し、ファナの部屋へ侵入した。

明かりを落とされた暗い部屋の中、夜明けの光に照らされて、空を見上げるファナがいた。


「・・なぁに、ここには来るなって言われたでしょうが」


「客が居ないならいいんだろう」


「そういう問題じゃないのよ、バカね」


「人間の通りなぞ知らん」


「・・まったく」


静かな声音と、落ち着いた雰囲気を纏ったファナは、昼間の面影もない。

ベッドの上に座り両膝を抱えたファナは、空を見つめてこちらを見ようとしなかった。

俺はベッドの近くにあった小さな椅子に腰かけ、ただファナをじっと見つめる。

ファナが俺を見ようとしなくても、俺がファナを見ていられたらそれでよかった。


「・・おい」


「なに?」


暫く沈黙が続いて、ふと疑問が口を突いて出た。


「何故、この仕事を選んだ」


「昼間言ったでしょ」


「それだけじゃないだろう」


「それだけじゃないから、どうだっていうの」


まっすぐ前を見つめたままのファナは、酷く頑なだった。

悲嘆に暮れるわけでもなく、苦悩しているわけでもなく、ただ夜明けの空を眺める。

前を見据えていながら、今のファナはすべてを拒絶してるようだった。


「自ら体を売るってことが浅ましい?汚い?

 別に誰にどう思われようと構いやしないわ。

 どう思われようとあたしがしようとしていることは変わらないもの。

 でも、こうすることが悪いことだとは思わない。

 あるもの使って何が悪いの?粗末にしているつもりもないわ。

 あたしは何も持ってないのよ。住民票も保護者も家もお金も信頼なんて不確かなものも。

 表で生きていくには、あたしはあまりにも不安定なの」


そこまで言って、ようやくファナがこちらを向く。


「昼間、あたしが言ったことが詭弁だなんてわかってるわ。

 そもそもマダムの質問にきちんと答えてすら居ないもの。

 マダムだって説得されてくれただけ。

 ガキの答弁で出来ることなんてたかが知れてるし。

 この店を選んだ本当の理由はね、ここが単に身売りを商品の目玉にしているわけじゃないから。

 娼婦にはランクがつけられていて、彼女たちは思い思いの術で客を持て成す。

 あたしの元の世界でも似たようなところが昔あったのよ。

 (くるわ)というそこには、体を売る遊女がたくさんいた。

 そこでは、体を売るのはもちろん、それ以上に手練手管を用いて遊女は客を持て成したのだって。

 歌や舞、三味線や(こう)やお座敷遊びで楽しませたり、言葉や態度を客ごとに使い分けてね。

 体だけじゃない、持てる頭脳や技能をフルに使って、彼女たちは生きていたんだよ。

 この店も、そういうところがあるって聞いて。だから選んだ」


真っ直ぐにこちらを射抜く目が、夜空を映したように輝いている。


「あたしはあたしのこの体だけしか持ってない。

 でも、ここでは寝るだけが女の仕事じゃないのよ。

 それは全て、あの人の努力でそうなったの。

 その話を聞いて、あの人の下で働きたいって思ったし、あたしはここで、あたし自身を試してみたいって気持ちもあった。

 自分ひとりでどれだけ出来るか、それによってあたしの今後の指針を決めるつもりで。

 甘いかもしれないけど、自分で想定出来なかったリスクは自分で被る覚悟は出来てる。

 ガキだって笑ってくれたっていいよ。でも、もう決めたの」


あの人、とは店主のことだろう。

そんな態度を欠片も見せなかったファナが、心のうちでそんなことを思っていたとは。

人間なんてやはり不可解なものだ。

揺るがないファナの目を見て、俺は一つ溜息を吐いた。


「お前がそう決めたのなら、反対はしない」


そう告げると、ファナの眉尻が困ったように下がった。

声音も少し小さくなり、申し訳なさそうに見つめてくる。


「・・ごめんね、振り回して。

 本当なら家なしになった時点で開放してあげるべきなんだよね。

 でもここ、政府の高級官僚も立ち寄る店なのよ。

 特に魔術師にお得意様が多いらしいの。

 あたし、出来る範囲で元の世界に帰れる道を探すつもり。

 その目途がついたら、あなたを解放してあげるわ」


その言葉に、俺は頷かなかった。

ただ黙りこくった俺を尻目に、ファナはもう寝るから、と意に介すことなくベッドに潜り込み、本当にそのまま寝てしまった。

部屋の主が寝静まったあと、ファナが言っていたことを内心で反芻し、今後どうするかを定めた。

望みを叶えるためには、今しばしの時が必要だ。

俺は音を立てることなく、夜の闇に紛れその場を後にした。


密やかに始められたゲームは、どちらが勝つのか。

それを思うだけで、暫く暇つぶしには事欠かないとほくそ笑む。


しばらくはファナが望むとおりにしてやろう。


だが、逃がしてやる気など欠片もない。


お前は俺のものだ。



下僕たる悪魔の思考など欠片も知る者はなく、その日も夜は静かに更けていった。

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