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はなさんの悪魔 中編

「ディアボロ、明日、この家出ようか」


ぽつり、呟かれた声に、無言でそちらへ顔を向けた。

ファナは椅子に座ってぼうっと虚空を見つめたまま、こちらを見ない。

何を考えているのかは大体察しがつく。

しかし、何を思っているのかは、わからなかった。



3日前、ファナの師匠が死んだ。


高齢だが頑強な身体を持ち、自分が良ければそれで良いという高慢な男だった。

召喚術の権威として名を知られていながら、田舎に隠遁して研究に没頭した変わり者。

3年前、ファナを拾ったのも、単に気まぐれから来たものだったという。

そんな男が、得意であったはずの召喚術で命を落とそうとは誰が思うだろう。

1年前、ファナが俺を召喚した頃よりほんの少し後のこと。

男は気紛れに異界の化け物を召喚しようとし、結果、己の驕りによって一生消えぬ傷を負った。

異界の獣が持つ毒をその身に受けた男は、即死はしなかったものの、それは長い時間をかけて男の身体を蝕んでいったのだ。

ここ数週間は起き上がることも出来なくなっていて、死ぬのも時間の問題だった。

ファナはその間、家事や仕事、師匠の看病に走り回った。

召喚術は、俺を喚んだその一度きりで、二度としようとはしなかった。


やがて、ファナの必死の看病も虚しく、老召喚士は眠るように逝った。


死んだ爺のことなど放っておけばいい。

そう思ったことも事実だ。

しかしそれをファナに告げることはしなかった。

言葉で直接聞いたことはなくても、ファナはあの男を慕っているようだったからだ。

世界を越えて、誰かわからぬ者に召喚されたファナが、事情など何もわからず戸惑うばかりだった時。

そこにふらりと現れ、気紛れとはいえ自身を拾い、知識と生きる術を与えてくれた男に恩義を感じるのも無理はないことだと、頭では理解していた。

男が死んだあと、ファナは男の身体を清め、遺品と身の回りの整理をし、男の家族に連絡を取った。

男とファナがたった2人で住んでいた屋敷は、もともと男が個人で所有していたものだ。

しかし男にも妻子や親類がいたらしく、この屋敷も、彼らのうちの誰かに相続されるとのことだった。

そうなると、弟子としてここに住んでいたファナの身を置くところはなくなる。

必然的に、冒頭のセリフに繋がるというわけだ。


「何処へ?」


「とりあえず、街へ行こう。宿付の仕事探さなくちゃ」


「お前が願えば、俺が養うぞ。勿論対価は頂くがな」


「それはしない」


ばっさりと切り捨てられた言葉は、喉の奥で消えた。

本当は、対価などいらない、俺がそうしたかったんだと、この時何故言えなかったのか。

素直にそう告げていれば、何かが変わっていたのかもしれない。

希望的観測などくだらないと吐き捨てていた過去の自分と、今の自分の違いは何なのだろう。

しかし最大のチャンスを逃してしまった後は、二度と彼女に告げることも出来なかった。

逃がした獲物は大きかったと、この俺が歯噛みして悔しがることになるなどと、この時の俺は知らなかった。


結局。

ファナは、男が死んでも、涙一粒零すことはなかった。

俺に頼ることすら拒否しながら、歯を食い縛り、ただただ前を向いていた。

まるで、悲しむことを恐れるように、忙しさに感けて逃げていたようにも見えた。


街に降りたファナはいくつかの店を回ったあと、何を思ったかとある娼館へ赴いた。


「雇って下さいませんか。こちらの男もつけて」


門番宜しく立ち塞がった屈強の男に、いきなりそう告げる。

戸惑う相手をじっと見据え、二の句を告げない。

そうして極限まで男が困惑したと見るや、にっこり笑って、逃げ道を与えた。


「・・・・と、ここの主の方にお伝え願えません?

 なんなら、直接お話しさせていただけると、手間も省けるしあなたにもご迷惑がかからなくて良いのですが」


何に気圧されてか、門番はごくりと生唾を飲み込んだかと思うと、すぐに中へ飛び込んでいった。

存外肝の小さい奴だったみたいね、とファナが呟いていたのは、聞こえなくて幸いだったかもしれない。

無駄に肝が据わっているファナに言われたら、この世界の男は形無しだろう。

後ろに居た俺が気になるくらい、その時のファナは何か目に見えない重圧を背負っていたように思う。

逃げるように店内へ去った男に内心で同情していると、その当人が顔を顰めたまま、戻ってきた。

ふとその背後を見ると、ほっそりした人影が、大柄な男の影に隠れるようにあった。

門番は自分の定位置へ戻りながらも、店主をちらちらと気にするそぶりをしている。

そんな男を鬱陶しげにちらりと見やり、女は男の影からするりと出てきた。

現れた娼館の主は、黒い艶やかな髪を持った、ファナよりも十年ばかりを重ねた、小柄な女だった。


「・・・あなたが、入店志願者?」


少し掠れた、艶やかな声が問う。

ファナはまたにこりと笑うと、応えを返した。


「えぇ、初めまして、マダム・リアン。わたくし、ファナと申します。

 突然の非礼をお許しください。

 本日は、わたくしをこちらで雇っていただけないかと思いまして、参りました」


もし雇って頂けるのでしたら、今ならこの男も付けますわ。


にこにこしながら、そんなことを宣う。

まるで叩き売りのようなセリフに、ぴくりと頬が引き攣った。

もう少し、物の言いようがあっただろう、と後ろから小突きたかったが、ぐっと我慢をする。

今、ファナはこの目の前の店主と、交渉しようとしている。

本来、自ら体を売ろうなんて娘はそうそういるものではない。

大体が女衒や誰かの紹介だ。

その際、店の人間と交渉するのも、その紹介者が基本となる。

突然の闖入者に、店主は猫のような目を眇めて注視した。


「・・いいわ、中へおいでなさい」


暫し黙考していたようだが、結局店主はファナを招き入れるようにしたようだった。

店主の許しを得たファナはにこりと微笑み、軽く会釈をし、店内へと足を踏み入れた。

俺もまた黙ってファナの後に続くと、背後でばたんと扉が閉まる音がする。

まるでそれが、二度と逃げられないよと誰かに告げられたような気がして、眉間に皺が寄ることは否めなかった。

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