第4話
4.
「……あれ?」
「おう、気が付いたかよ」
奈々は目覚めると、自室のベッドに横たわっていた。
傍らには、机に置いてある物を見分している勝也がいる。
室内に明かりは付いておらず、外はそろそろ日暮れのようで、オレンジ色の光だけが室内に差しこんでいた。
そこまで現状を把握して、奈々は自分に起こった事もついでに思い出す。
身体を起こした奈々は、髪をくしゃくしゃにしながらつぶやく。
「そっか、あたし、こけたんだっけ」
「あぁ。そりゃもう無様にな。しかも頭打って白目向いてたからな。ブッサイクな顔してやがったなー」
「うっさい。白目向いててもイケメンな奴なんていないわよ」
ともかく、頭を強く打って気を失った奈々は、勝也によって運ばれ、今ここにいるという訳だ。
「つーか、何レディの部屋をジロジロ見てんのよ。変態」
「あ? 何を今さら。ガキん頃はよくここで決闘してただろ?」
「そりゃ、そうだけど……」
「相っ変わらず、趣味の部屋だよなー。何だよあの壁のポスター?」
「うっせぇ見んな」
「何言ってんだ。あんなデカデカと貼られて、“見て下さい”って言ってるようなもんじゃねぇか」
「あんたに見て欲しい訳じゃねーよ! あーもうっ!!」
奈々はのけ反るように両手を振り上げ、そのまま両方の拳をベッドに叩きつけた。
そして顔を掛け布団に押し付けながら、呻いた。
「最低……」
今日は本当に、最低だった。
友人との他愛ない雑談から何だか落ち着かなくなって、勝也の前で弱みを見せてしまって、終いにはレース中、こいつが何もしてないのにずっこけて、頭打って、あまつさえ、こいつに部屋まで運ばれる始末……。
(なにやってんだ、あたし……)
「……悪かったわね」
「あ? 何だって?」
勝也は本棚を物色していて、何を言われたか分からなかったらしい。
普段ならここでキレて舌戦の火蓋とするところだが、奈々は繰り返し、言った。
「運んでくれて悪かったわねって言ったのよ」
「は? 別に? ……何だよ。やけに殊勝じゃねぇか」
「……そうね。今日のあたしは、何か変なのよね」
最早、勝也の台詞の上げ足を取る気力も無い。
奈々はそのままベッドに倒れ込んだ。
太陽が沈み、室内は段々と暗くなる。
若い男女が同じ部屋にいて、ベッドがあって、邪魔者は何もない。
なのに、その手の危ない気配は全く無い。
まぁ、当然だ。
勝也にとって、奈々は女では無い。
好敵手。宿敵。人生における最大のライバルであり、幼なじみ。
何の好敵手で、何の宿敵で、何のライバルなのか、もう忘れてしまったけれど、幼なじみ。
その関係のまま、これまで、数々の戦いを繰り広げてきたのだ。
いつ決着がつくかも分からず、いつ果てるとも分からない戦いを、10年も。
だから、勝也は奈々を、襲ったりはしない。
そんな形で全てを終わらせる事なんて望んでないから。
望んでいるのは、きっちりと、しっかりと、シロクロはっきり付くような、決着。
あるいは、これからも永遠に、敵同士として、相対する事。
多分、そうなのだろう。
(こんなになるまで、付き合ってきたあたしもあたしだけど……)
奈々は寝返りを打ってうつ伏せになる。
今頃になって、と言うか、今日になって、気づかされた事がある。
あるいは、思い出した事がある。
そして、色褪せてしまった、思いがある。
枕に顔を埋め、闇の中に去来するのは、過ぎ去った過去と、今日の出来事。
勝也にとって、奈々は女ではない。
では、奈々にとって、勝也は何なのか……。
「勝負……、しばらく止めとくか」
「えっ?」
枕から顔を上げた奈々の視界の先で、勝也は壁のポスターを眺めていた。
ポケットに手を突っ込み、だらけた立ち姿のまま、勝也は、奈々をちらとも見ずに言う。
「いや、お前頭打ったし、しばらく休んどけよ。本調子じゃねぇ奴を潰しても、嬉しくも何ともねぇ」
それに、と、右手をポケットから取り出し、頭をボリボリと掻きながら、続ける。
「今のお前じゃ、絶対に俺に勝てねぇもん。だから、一時休戦」
その言葉は普通、いがみ合っていた者同士が歩み寄り、一時的とは言え争いを止める、奇跡的な時間の事だ。
なのに奈々はその言葉に、言い知れぬ不安を感じた。
歩み寄るどころか、このまま疎遠になってしまいそうな、不安感。
「……何それ? 武士の情け?」
「まぁそんなトコだ。勝負は、まだ付いてねぇからな」
勝也は、もう喋らなかった。
奈々が何か言うのを待つように、ただぼーっとポスターを見るだけである。
「……もう寝る。帰れ」
そう言うと、勝也は黙ったまま、素直に部屋を出ていった。




