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仲間は、離れたくらいでは変わりません

作者: はてな小僧
掲載日:2026/09/19

 朝、冒険者ギルドへ入ると、依頼板の前にいたラウルがこちらに気づいて手を上げた。


「おはよう、ミリ。今日は討伐の気分だったから、この二枚取ってきたけどどうする?」


「おはようございます。ラウルが決めたんじゃないんですか?」


「候補を決めただけ。勝手に受けたら怒るだろ」


「それは怒ります」


「ほらな」


 ラウルが持ってきたのは、街道近くの森に出た赤牙狼三頭の討伐と、北東の山に棲みついた岩飛竜の討伐だった。


「私は赤牙狼がいいです。こっちなら今日中に戻れますし」


「俺もそっちかな。三日休んだあとに四日も出るの面倒だし」


「だったら、どうして岩飛竜も持ってきたんですか?」


「報酬がいいから。それに俺が行きたくなくても、行きたい奴がいるかもしれないだろ?」


 ニヤニヤしながらラウルが横に目を向けるので、私もつられてそちらを見ると、マテオは岩飛竜の依頼書を手に、真剣な顔をしていた。


「却下。昨日まで肩を休めてた奴が、岩飛竜の突進をその盾で受ける気?」


 イネスに言われ、マテオが顔を上げた。


「もう治った」


「治ったばかりでしょうが。また同じところを痛めたら、今度は三日じゃ済まないわよ」


 マテオはイネスを見たあと、岩飛竜の依頼書を置いた。


「残念だったな」


 ラウルが笑っても、マテオは何も答えなかった。


 赤牙狼の依頼書を最後まで確認していくと、二日前の目撃情報で気になる記載を見つけた。


「これ、三頭の討伐になっていますけど、二日前に子連れの目撃情報がありますよね。親を含めると数が増えている可能性があります」


「ミリ、こういうところは本当に細かいよな」


「こういうところ以外もちゃんとしてます」


「昨日、手袋片方忘れてたけど?」


「……あれは取りに戻りました」


「出発する前にもう一度確認しろよ」


「はい」


「三頭より多いとしても、俺はこっちでいいけど。二人は?」


「私も構わないわ」


 マテオも頷いた。


「じゃ、赤牙狼で決まり。受けてくる」


 ラウルが受付へ向かうと、私は出発前に持ち物を確認した。昨日補充した矢に予備の弦、水筒、財布、それから昨日忘れた手袋も今日は左右とも揃っている。赤牙狼が三頭より多いなら矢はもう少しあったほうがいいので、ギルドを出て向かいの武具店で一束買い足した。


 戻る頃にはラウルも依頼を受け終えていて、イネスは鞄の中の薬を確認し、マテオは盾の留め具を締め直していた。私も買ってきた矢を収め、四人の準備が整ったところで町を出た。


     ◇


 街道を二時間ほど歩き、昨日荷馬車が襲われた場所に着くと、道の端には車輪が大きく逸れた跡が残っていた。その先では草が広く押し潰され、荷馬車があったと思われる場所の周囲には乾いた血と獣の足跡が残っている。


 足跡は街道から森へ続いていた。


 ラウルを先頭に森へ入ったものの、土の上でははっきりしていた跡も、落ち葉が積もった場所では途切れてしまう。少し先まで探していたラウルが戻ってきたので、私も近くの木の根元まで範囲を広げると、泥のついた葉の先に前脚の跡が残っていた。


「ラウル、こっちにあります」


 呼ぶと、ラウルが私の隣まで来てしゃがんだ。


「奥向きだな。このまま行ってみよう」


 再び跡を追っていくと、地面が緩やかに下った先で細い水の流れに出た。水際の泥には何頭分もの足跡が重なっていて、その中には一回り以上小さなものもある。


「子供のもありますね」


「みたいだな。ミリの予想、当たりそうだ」


「当たらないほうが楽だったんですけど」


「そりゃそうだ」


 水際から森の奥へ続く足跡を追い、しばらく進んだところで、前を歩いていたラウルが足を止めた。


 すぐ後ろにいたマテオが背負っていた盾へ手を伸ばすのを見て、私も弓を手に取った。木々の向こうで枝の折れる音がしたあと、低い唸り声が聞こえてくる。


 ラウルが口元へ指を立てた。


 足音を立てないように近づくと、木の幹の向こうに赤黒い背中が見えた。一頭が倒れた鹿の腹へ頭を突っ込み、その横では別の赤牙狼が鹿の脚を咥えて引っ張っている。奪われた一頭が牙を剥くと、周囲にいた赤牙狼も頭を上げた。


 鹿の周りには五頭の成獣がいて、その奥にはさらに二頭がいる。少し離れた木の根元には成獣より一回り小さな二頭がいて、一頭が鹿へ近づこうとすると、そばにいた大きな個体に鼻先で押し戻された。


「……三頭じゃないですね」


「だな。子供を入れて九頭か」


 小声で答えたラウルがマテオへ目を向けると、マテオは背中から盾を下ろして左腕へ固定した。イネスも杖を手にしたので、私は矢筒から一本抜いて弓につがえる。


「いつも通りで。その都度必要な指示があれば出す。行くぞ!」


 ラウルの声を合図に、マテオが盾を構えて木の陰から出た。ラウルもその右側から群れへ近づいていくので、私は二人の背中が重ならない位置まで左へ移り、少し後ろではイネスが杖を構える。


 鹿を食べていた一頭が最初にこちらへ気づき、低く唸って頭を上げた。それにつられて周囲の赤牙狼も次々と顔を向け、奥にいた二頭は子供を一頭ずつ背後へ庇うように立った。


 手前から二頭が飛び出し、一頭はマテオへ真っ直ぐ向かい、もう一頭は右へ膨らみながらラウルへ向かった。私はマテオへ向かう一頭に狙いを定めたものの、走るたびに頭が上下しているうえ、正面には盾がある。無理に射るより、マテオが受けたあとを狙ったほうがいい。


 弦を引いたまま待っていると、赤牙狼が地面を蹴ってマテオへ飛びかかった。盾にかかった前脚を右へ流され、勢いのついた身体が横へ崩れたことで首が露わになる。そこへ矢を放つと耳の後ろへ深く刺さり、赤牙狼は落ち葉を巻き上げながら倒れた。


 次の矢へ手を伸ばしたところで、前方からいくつもの足音が重なって聞こえた。残っていた三頭がまとめて動き、二頭はマテオへ向かっている。ほとんど並んで迫る二頭を見て、このままでは一頭を流しても、もう一頭まで受けられないと左へ狙いを移した。


 間に合うかと弦を引く。


 その足元で土が弾けた。


 イネスの魔法に前脚を取られた赤牙狼が頭から地面へ突っ込み、もう一頭だけがマテオの盾へ飛びかかった。正面から受け止めたマテオの靴底が土を削り、盾の上には赤牙狼の頭が出ている。そこなら外さないと眉間へ矢を射ち込んだ。牙を剥いていた身体から力が抜け、盾の前へ落ちる。


 息を吐きながら次の矢を抜くと、イネスが転ばせた一頭が起き上がろうとしていた。けれど、その前にはもうマテオがいる。盾の縁を頭へ叩きつけられた赤牙狼がよろめいて横腹を見せ、そこへ狙いを移しかけた。


「ミリ!」


 ラウルの声に反応して右へ向くと、一頭の赤牙狼が彼の横を抜けようとしていた。ラウルのすぐ前にも別の一頭がいて、そちらを相手にしたままでは追えない。


 木と木の間へ身体が出るのを待って矢を放つ。肩に刺さったことで走っていた赤牙狼の前脚が乱れ、ラウルがその隙に距離を詰めたところまでは見えたが、私の近くでも唸り声が上がった。


 さっきマテオが殴った一頭が、盾の横からこちらへ抜けようとしている。マテオがすぐに進路を塞いだものの、赤牙狼は身体を左右へ振って抜け道を探していた。弦を引いたまま射線が開くのを待ち、盾の横から首が覗いたところへ矢を放つ。


 赤牙狼が崩れたところで息を吐き、次の矢をつがえながら周囲を確認した。いつの間にかラウルの足元にも二頭が倒れていて、手前にいた五頭はすべて動かなくなっている。


 何本続けて引いたのか、弦を押さえる指先が少し熱い。握り直して奥へ目を向けると、残っていた二頭の成獣はまだ子供たちの前にいて、低く唸りながら牙を見せていた。


 ラウルとマテオが距離を詰め始めたので、私は二人の間から狙える位置を探して左へ動いた。呼吸が少し上がっていたが、狙いをつけるのに困るほどではない。位置を決めて弓を構えたところで、成獣の一頭が子供を鼻先で押した。


 二頭の子供が森の奥へ駆け出し、それを追って成獣の一頭も背中を向ける。もう一頭はその場に残り、私たちとの間へ立ちはだかった。


「子供はいい! 親を狙え!」


 逃げる一頭はすでに木々の間へ入りかけていた。走る身体と木の幹が何度も重なるため、焦って射っても当たらない。次に射線が通る場所を待ち、二本の木の間へ身体が出た瞬間に矢を放つと、後脚へ深く刺さって赤牙狼が大きく体勢を崩した。


 それでも倒れず、足を引きずりながら子供たちのあとを追って森の奥へ消えていく。


「追うぞ!」


 ラウルが走り出す。


 残った一頭へ目を向けると、マテオがすでに盾を向け、その後ろではイネスが杖を構えていた。二人なら任せていい。私も次の矢をつがえ、乱れた呼吸を一度整えてからラウルのあとを追った。


 落ち葉に残った血を辿っていくと、ほどなくして負傷した赤牙狼と、そのそばに残っていたもう一頭に追いついた。こちらに気づいた二頭が向きを変え、マテオが正面から一頭を受け止める。もう一頭はラウルへ飛びかかろうとしたところで足元の土が跳ね上がり、体勢を崩したところへ私が矢を射込んだ。


 マテオが押さえた一頭をラウルが仕留め、私が射たほうもイネスの魔法で動きを止めてから倒す。残った子供もそのまま追い、ほかに赤牙狼がいないことまで確認してから、最初に群れを見つけた場所へ戻った。


「結局、九頭いたな」


「三頭のつもりで来なくてよかったですね」


「本当にな。さて、九頭分か」


 ラウルが倒れている赤牙狼を見回す横で、イネスはもう討伐証明を取る準備を始めていた。私も手伝おうと短剣を出すと、こちらを見たイネスが先に口を開く。


「ミリは矢を拾ってきなさい」


「こっちを手伝ってからでもいいでしょう?」


「先に拾ってきたほうがいいわよ。暗くなってから探すつもり?」


「分かりました。先に行ってきます」


 戦った場所を回って使った矢を拾っていったが、最後まで一本だけ見つからなかった。射ったあたりをもう一度探そうと戻りかけたところで、少し先の茂みから出てきたマテオが一本の矢を手にしていた。


「これか?」


「あ、それです。どこにありました?」


「あっち」


 マテオが指したのは、私が探していたところより少し奥だった。差し出された矢を受け取ると、マテオが鏃のあたりを指で示す。


「欠けてるぞ」


「あ、本当だ。木に当てたときかな」


「鏃、交換しておけよ」


「分かりました。ありがとうございます」


 回収した矢を持って戻ると、討伐証明を取る作業はかなり進んでいた。イネスが私に気づいて顔を上げる。


「全部あった?」


「はい。最後の一本はマテオが見つけてくれました」


「なら、こっち手伝って」


「はい」


 イネスの隣にしゃがんで残りの作業を手伝い、最後の一頭を終えたところで、ラウルが集めた討伐証明を数えた。


「よし、終わり。帰るぞ」


「お腹すきました」


「俺も。今日はどこ行く?」


「私はどこでもいいですよ」


「マテオは?」


「肉」


「イネスは?」


「帰りながら決めればいいでしょう」


◇


 採集用の小さなナイフを根元へ差し込み、周囲の土ごと持ち上げると、目的の薬草は根を切らずに抜けた。土を軽く落としてから採集袋へ入れ、近くに同じ葉がないか辺りを見回す。


「こっち、もう少しありそうです」


「取りすぎるなよ」


「分かってます」


 少し離れたところで周囲を見ていたラウルに返し、岩の脇に生えている薬草の前へしゃがんだ。


 今回受けたのは、ダンジョンの下層に自生する薬草の採集依頼だった。必要な量さえ集めれば終わる依頼なので、四人で固まって探すより少し範囲を広げたほうが早い。それでも姿が見えなくなるほど離れることはなく、顔を上げれば、向こうで採集袋を確認しているイネスと、その少し先に立つマテオが見えた。


「ミリ、そっちはどれくらい?」


 イネスに聞かれ、採集袋を開いて中を確かめる。


「あと少しです。そっちは?」


「同じくらい。ここで集まりそうね」


「じゃあ、終わったら帰れるな」


 必要な分を採り終えて袋の口を閉じようとしたところで、通路のほうを見ていたマテオが顔を上げた。


「何か来る」


 私もそちらを見ると、四人がここまで歩いてきた通路の奥から、硬いものが地面を擦るような音が聞こえてきた。


「魔物?」


「分からない。片づけろ」


 ラウルはそう言いながら剣へ手をかけた。私も採集袋を鞄へしまって弓を持ち、もう一度通路へ目を向けると、さっきより近いところで同じ音が響く。


「こっちに来てるな」


 採集場所の先は行き止まりなので、戻るには音のするほうへ進むしかない。ラウルを先頭に来た道を戻り始めたが、しばらくもしないうちにラウルが足を止めたので、何か見えたのかとその先を覗く。


 通路の奥で動いたものは、ここまでに何度か遭遇した魔物とは明らかに大きさが違った。壁の陰から太い脚が現れ、続いて見えた身体が通路のほとんどを塞ぐ。


 ラウルが剣を抜いたのを見て私も弓を構えたが、まだ向こうはこちらに気づいた様子はない。声を出さずに様子を窺っていると、隣に来たイネスが私の腕に触れ、わずかに身を寄せた。


「あれ……」


 耳元に落とされた声にイネスを見ると、彼女は階層主がいるほうから目を離さないまま、さらに声を落とした。


「ここにいる魔物じゃないわよ」


 私にも見覚えがあった。実際に戦ったことはなくても、ギルドで情報は確認している。あれがいるのはここではなく、もっと下の階のはずだった。


「階層主……?」


 思わず漏れた声に反応したのか、階層主がこちらへ身体を向けた。


「気づかれた。下がれ」


 ラウルの声に採集場所のほうへ下がりながら矢をつがえる。階層主がいるのは、私たちが帰るために通らなければならない道の途中だ。このまま奥へ下がっても逃げ道はなく、どこかであれを退けなければ帰れない。


「どうする?」


「やるしかないだろ。ここじゃ横を抜けられない」


 ラウルが答える間にも階層主は近づいてくる。身体が大きいせいか動きはそれほど速く見えなかったが、一歩進むたびに距離が大きく縮まり、マテオが盾を構えて前へ出た。


「マテオ、正面から受けるな! 止めなくていい、逸らせ!」


 赤牙狼を受けたときとは違い、マテオもその場に踏みとどまろうとはしなかった。突き出された前脚を盾で外へ流しながら身体を横へ逃がし、空いたところへラウルが斬りつける。


 剣が当たった場所を見て矢を放ったが、鏃は硬い表皮に浅く刺さっただけだった。


「硬い!」


「見れば分かるわよ!」


 イネスが杖を向けると、階層主の前脚の下で地面が大きく隆起した。赤牙狼なら転ばせていた魔法でも、巨体がわずかに傾いただけで踏み直される。


 それでも一瞬止まったことで、ラウルとマテオが距離を取る時間はできた。私も次の矢をつがえながら狙える場所を探したが、正面からでは目くらいしか思いつかない。


「ラウル、目を狙います!」


「分かった。こっち向ける!」


 ラウルが右へ回ると、階層主の頭がその動きを追った。こちらから片目が見えなくなり、狙いを変えようとしたところで、太い尾が壁にぶつかって石が飛び散った。


 その一つがラウルの近くへ落ち、彼が足を止める。


 階層主が向きを変えた。


 ラウルがすぐに横へ動いたものの、階層主はそのまま追い、前脚を振り下ろした。剣で受けられる大きさではなく、ラウルが後ろへ跳んで避けると、爪が地面を抉って土と石が跳ねる。


「ラウル!」


「大丈夫だ!」


 返事を聞いて弓を引き直す。階層主はラウルへ身体を向けたことでこちらに横顔を見せており、今なら目を狙える。動きを追いながら機会を待っていると、マテオが反対側から盾を叩いて音を立てた。


 階層主の頭がそちらへ動きかける。


 その前に矢を放った。


 矢は目のすぐ脇へ刺さり、階層主が大きく頭を振った。外したと思って次の矢へ手を伸ばしたが、こちらを探すように動いていた頭が止まり、残った片目が私を捉える。


「ミリ、下がれ!」


 言われる前に距離を取ろうとしたが、後ろにはもう採集していた場所が迫っていた。階層主がこちらへ踏み出すのを見てさらに下がり、背後を確かめると、数歩先で通路が終わっている。


 逃げる方向がない。


 ラウルが横から斬りつけ、イネスの魔法が階層主の足元を崩したことで、こちらへ向かっていた巨体が一度止まった。マテオも反対側から近づき、私から注意を逸らそうと盾で前脚を叩く。


 階層主がマテオへ向き直ったので、私は壁際を通って三人のほうへ戻ろうとした。


 その途中で、階層主が身体を大きく振った。


「危ない!」


 振り向いたときには、太い尾がすぐそこまで迫っていた。避けようとして足を引いた瞬間、横から肩に強い衝撃を受け、身体が地面へ投げ出される。


 何が起きたのか分からないまま顔を上げると、さっきまで私がいた場所にラウルがいた。


 その身体を階層主の尾が捉えた。


「ラウル!」


 鈍い音とともにラウルが壁際まで飛ばされるのを見て、起き上がるとすぐに駆け寄った。ラウルは壁にもたれるように倒れ、脇腹を押さえたまま息を詰めている。


「ミリ、離れて!」


 イネスの声と同時にマテオが階層主との間へ入り、盾を構えた。ラウルを起こそうと腕へ手を回すと、ようやく彼が顔を上げる。


「……俺はいい。下がれ」


「何言ってるんですか。立てます?」


 答える代わりにラウルが腰の袋へ手を入れた。何を探しているのかと思った次の瞬間、取り出した石を私の手へ押しつけられる。


「ラウル?」


 手のひらに触れた石が光った。


 何が起きたのか確かめる間もなく、足元が消えたような感覚に襲われた。


「え――」


 伸ばした手はラウルに届かず、次に足の裏へ固い地面が触れたときには、目の前にあったはずの壁も、階層主も、三人の姿もなくなっていた。


 勢いのまま膝をつき、手をついて身体を支える。


「ラウル?」


 返事がなく、顔を上げる。頭上には空があり、周囲には見たことのない木々が続いていた。


「イネス! マテオ!」


 立ち上がって呼んでも返事はない。辺りを見回しても三人の姿はなく、そこでようやく、ラウルが最後に私の手へ押しつけた石を思い出した。


 転移石だ。


 どうして私に……


あの場所には逃げ道がなかったし、万が一のためにラウルが持っていた転移石も私に使ってしまった。ラウルは怪我をしていたし、イネスとマテオも残っているのに。


 なのに、なんで私だけがここにいるの。


 すぐに戻らなければと焦りだけがつのるが、ここがどこかもわからなかった。


 周囲に人の姿はなく、道らしいものも見当たらない。せめて近くに町か村があればと思って耳を澄ませても、聞こえてくるのは風で葉が揺れる音ばかりだった。


 このままここにいても何も分からない。


 鞄を開いて中を確認すると、採集した薬草と水筒、予備の弦は入っている。矢筒にもまだ矢は残っていた。転移する前に落としたものがないことを確かめてから弓を持ち直し、まずは人のいる場所を探すことにした。


 少しでも周囲を見渡せる場所がないか探して歩き始めたが、木々が邪魔をして遠くまでは見えない。適当に進んで同じ場所へ戻るのも困るので、方角を変えずに歩けるよう目印になる木を決めながら進んでいると、しばらくして水の流れる音が聞こえてきた。


 音のするほうへ向かうと、木々の間から川が見えた。


 川幅はそれほど広くないものの、水の流れははっきりしている。岸へ下りて辺りを見回したところで、少し先の土が踏み固められていることに気づいた。


 近づいてみると、そこには何本もの轍が残っていた。


「道……」


 これなら人のいる場所へ行ける。


 轍をたどってしばらく歩いていると、前から馬車が近づいてきた。道の端へ寄って御者に声をかけ、冒険者ギルドのある町を尋ねると、このまま進めば二時間ほどで着くという。


 礼を言って教えられた道を進み、ようやく町へ着いた。門を通って大通りを歩いていくと、剣と杖を組み合わせた見慣れた印が見つかったので、そのまま冒険者ギルドへ入る。


中へ入ると、そのまま受付へ向かって鞄から冒険者証を取り出す。


「すみません。転移石で飛ばされてきたんですが、ここがどこなのか分からなくて」


「転移石ですか? 冒険者証を確認してもよろしいですか?」


「はい」


 差し出した冒険者証を受け取った女性は、記載されている所属を確認すると、受付の下から地図を取り出して広げた。


「こちらが今いる町です」


 指された場所を見ても、すぐには分からなかった。自分がいた町を探して、そこから国境を越え、女性が示した場所まで目で追っていく。


「……ここ、隣国ですよね?」


「はい」


 思わず地図を見直したけれど、場所が変わるはずもない。


 転移石でどこへ飛ばされるかは分からない。それでも、せいぜい知らない町か、遠くても国内のどこかだと思っていた。まさか国境まで越えているなんて考えてもいなかった。


「転移石って、こんなに遠くまで飛ぶことがあるんですか?」


「この国には魔力の濃い土地が多いですし、転移石も元々この国で作られたものですから、行き先を指定しないものはこちらへ引かれることがあるんです。国境付近で使われたのでしたらあの辺りは魔力の濃い場所がありますので通常より遠くまで飛ばされたのかもしれません」


 それなら、ここまで飛ばされた理由は分かる。でも、自分で三人のところへ戻っていては間に合わない。


「あの、ここから私がいた町のギルドへ連絡できますか?」


「できますよ。国外ですので中央ギルドを経由することになりますが、何かお急ぎですか?」


「仲間が三人、ダンジョンに残っているんです」


 女性の表情が変わり、すぐに詳しい状況を尋ねられた。


ダンジョンの名前と階層、残っている三人の名前を伝えた。階層主が本来いるはずの階層から上がってきたことや、帰り道を塞がれていたことも、聞かれた順に答えていく。


「こちらから緊急の救助要請を送ります。向こうで確認されれば、近い支部から救助隊が向かいます」


「お願いします。できるだけ早く……ラウルは怪我をしてるんです」


「すぐに手配します」


 私がここから戻るよりも、救助隊に向かってもらうほうがずっと早い。三人がどうなったのかを確かめることはできないけれど、今は任せるしかなかった。


「国境まで戻るには、どのくらいかかりますか?」


「歩いて向かうなら、ふた月やそこらでは着きませんよ。馬車でも、乗り継ぎがうまくいってひと月半ほどです」


「そんなに……」


 地図を見たときに遠いことは分かっていたけれど、実際に言われると、すぐには帰れないのだと改めて思い知らされた。


 何度も馬車を乗り継ぐなら、今持っているお金だけでは足りない。馬車代だけではなく、途中の町で泊まる宿代も食事代も必要になる。


 救助要請は出してもらったのだから、三人のことは救助に向かってくれる人たちに任せて、私は確実にみんなのところへ戻ろう。


「この国でも、冒険者の依頼は受けられますか?」


「他国から来た方はこちらで活動登録をしていただく必要がありますが、依頼の受注は可能ですよ」


 登録料を聞くと、それなら払える金額だった。


「お願いします」


「では、こちらに記入してください」


 渡された用紙の登録名にはカミリアと書き、必要な項目を順に埋めていった。活動名の欄まで来たところで手が止まる。


 ラウルたちのところへ戻るために冒険者を続けるなら、三人といたときと同じ名前がいい。


 活動名の欄に『ミリ』と書き、残りを埋めて受付へ戻した。


 冒険者証と登録料を渡すと、女性は用紙と一緒に持って奥へ入っていった。受付の前を離れて待っていると、しばらくして名前を呼ばれた。


「お待たせしました。登録は完了しました」


「ありがとうございます」


 返された冒険者証を受け取って確認すると、この国でも活動できることを示す印が追加されていた。


「ランクはこれまでと同じAランクとして扱われますので、こちらでもAランクまでの依頼を受けられます。ただ、討伐依頼を受ける場合は、依頼の内容をよく確認してください」


「何か違うんですか?」


「こちらにしか生息していない魔物もいますし、同じ魔物でも地域によって性質が違うことがあります。初めて見る魔物でしたら、受付で確認していただければ資料をお出しします」


「分かりました。ありがとうございます」


 冒険者証をしまって依頼板へ向かい、貼られている依頼書を順に見ていく。採集や護衛は見慣れた内容が多かったが、討伐依頼には名前を知らない魔物も混じっていたので、分からないものを避けながら今日中に終えられそうな依頼を探した。


◇


「イネス! マテオ!」


 目を開けるなり起き上がろうとして、身体が動かなかった。腕に力を入れても上体を起こすことができず、それでももう一度名前を呼ぶと、すぐ近くで椅子を引く音がした。


「ラウル?」


 聞こえた声に顔を向けると、イネスが寝台のそばまで来るところだった。


「イネス……マテオは?」


「無事よ。今はギルドに行ってる」


 二人とも生きている。そのことに息をつきかけて、すぐにもう一人の姿がないことに気づいた。


「ミリは?」


「ミリも生きてるわ」


「どこにいる?」


「……隣国よ」


「は?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「隣国?」


「そう。あんたが使った転移石で、そこまで飛ばされたみたい」


「なんでそんなところまで……」


 ミリをあの場から逃がすために転移石を使った。どこへ飛ぶか選べないことも分かっていたが、まさか国境まで越えるとは思っていなかった。


「それ、本当にミリなのか?」


「間違いないわよ。向こうのギルドにたどり着いて、私たちの救助要請を出してくれたの。私たちがここにいるのも、そのおかげ」


 ミリは生きている。


 その言葉がようやく実感を伴ったところで、ラウルはもう一度身体を起こそうとした。


「だったら迎えに――」


 力を入れた途端、身体の奥まで響くような痛みに息が止まった。腕にも思うように力が入らず、結局、身体を起こすことすらできない。


「何してるのよ!」


「いや……行かないと」


「行けるわけないでしょうが。あんた、一週間も意識が戻らなかったのよ」


「……一週間?」


「そうよ。救助されてからずっと意識が戻らなかったの」


「そんなに経ってたのか……」


 その後、治療師に診てもらい、長距離を移動できるようになるまで半年ほどかかると聞かされた。今は一人で起き上がることさえできないのだから、どうしようもない。


 ラウルが治療を続ける間、イネスとマテオはミリが救助要請を出したギルドの場所や、そこまでの道程を調べていた。


 そして半年後、ようやく長距離を移動しても構わないと許可が出ると、三人はミリが救助要請を出した隣国の町を目指して出発した。


 とはいえ、半年近くまともに動けなかったラウルを連れているため、急ぐことはできなかった。乗合馬車を乗り継ぎ、ラウルを休ませるために町へ数日留まることもあれば、次の馬車を待つこともあった。それでも旅を続けるうちに、初めの頃より長く移動してもラウルが疲れを見せることは減っていった。


 そうして自国を横断して国境を越え、三人が隣国の中央ギルドがある首都へたどり着いたのは、町を出てから半年ほど経った頃だった。


     ◇


 最初の町に着いてから三週間ほど経った頃、私は宿を引き払った。


 朝のうちに冒険者ギルドへ寄って世話になった受付の女性に挨拶をしてから、町の外へ向かう乗合馬車に乗る。次の町までは二日。途中で一泊することになるけれど、そこまでの馬車代と宿代を払っても、しばらくは困らないだけのお金を残して町を出ることができた。


 次の町でも、着いた日のうちに冒険者ギルドへ向かった。


 依頼板には知らない魔物の名前がいくつか並んでいたので、それを避けながら見ていくと、街道沿いの森で増えた角兎の討伐が目に入った。こちらへ来る前にも何度か倒したことがある魔物で、依頼書に書かれている数も多くない。


 その紙を外して受付へ持っていき、翌朝には町を出た。


 森へ入って一時間ほどで最初の角兎を見つけ、そのあとも足跡を追いながら依頼書に書かれていた数を倒していった。最後の一頭から討伐証明を取って立ち上がり、周囲にほかの気配がないことを確かめてから、使った矢を拾っていく。


 一本、二本と回収し、最後の一本も草の間から見つけて拾い上げたところで、少し離れた場所を見た。


 誰もいない。


 前なら、私が矢を探している間にイネスたちが討伐証明を集めていた。見つからない矢があればマテオが一緒に探してくれることもあったし、全部終わればラウルが帰るぞと声をかけていた。


 今は、討伐証明もまだ私の鞄の中には入っていない。


「……先にそっちでした」


 誰に言うでもなく呟いて、倒した角兎のところまで戻った。


 必要な分を集め、もう一度忘れたものがないか確認する。矢も揃っているし、討伐証明も取った。あとは町へ戻って報告すれば、この依頼は終わりだ。


 弓を背負って歩き出してから、そういえば今日は一度も誰とも話していないことに気づいた。


 そうだった。今は一人なんだ。


 立ち止まっていても仕方がないので、そのまま来た道を町へ戻った。


 それからも、やることは大きく変わらなかった。


 依頼を受けて報酬を貯め、次の町へ向かう。進みたい方向と同じ場所へ行く護衛依頼があれば引き受けることもあったし、条件の合う依頼がなければ、予定より長く同じ町に留まることもあった。


 初めのうちは依頼板に知らない魔物の名前を見つけるたびに受付で資料を借りていたけれど、何度か同じ魔物を討伐するうちに、確認しなくても受けられる依頼は少しずつ増えていった。


 ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎても、まだ帰り着くことはできなかった。


 季節が一つ変わる頃には、最初にこの国へ飛ばされた場所からずいぶん離れていた。


 その日も依頼を終えて宿へ戻り、部屋の机に弓を置いて弦を確認した。傷んでいるところがないことを確かめてから矢筒を開き、使った矢を一本ずつ見ていく。鏃が緩んでいた一本を脇へよけ、残りを戻したところで、机の端に置いていた紙が目に入った。


 昼間、ギルドで次の町へ向かう馬車について聞いたときに教えてもらった出発時刻を書いたものだった。


 明日の朝に出る便がある。


 今いる町でも、もう何日か依頼を受けることはできる。けれど、次の町までの馬車代を払っても手持ちには余裕があるし、ここに残らなければならない理由もない。


 以前なら、明日町を出るかどうかを四人で話して決めていた。


 今は私が決めればいい。


 脇へよけた矢の鏃を締め直して矢筒へ戻し、明日の朝すぐに出られるよう荷物をまとめる。最後に財布の中身と冒険者証を確かめてから、出発時刻を書いた紙も鞄へ入れた。


 翌朝、宿を出て馬車乗り場へ向かった。


 初めて一人で町を出たときには、これでいいのかと何度も荷物を確認した気がする。今も忘れ物がないかは確認するけれど、一度確かめたものを何度も開け直すことはなくなっていた。


 乗合馬車へ荷物を載せ、空いている席に座る。


 やがて馬車が動き出して町の門を抜けても、私はそのまま次の町までの道を眺めていた。


 町へ着けばギルドへ行き、依頼を受け、次へ進むためのお金が貯まればまた町を出る。


 そうしていくつもの町を通り過ぎながら、私は少しずつ国境へ向かって進んでいった。


 次の町に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 乗合馬車を降りて冒険者ギルドへ向かい、受付で冒険者証を差し出す。これまでの町でもしてきたように、滞在中に依頼を受けたいと伝えると、職員は冒険者証を確認していたが、何かに気づいたように手を止めた。


「ミリさんに伝言をお預かりしています」


「私にですか?」


「はい。ラウルさん、イネスさん、マテオさんという三名からです」


 一瞬、聞き間違えたのかと思った。


「三人から?」


「こちらの国のギルドに、ミリさんが立ち寄ったら伝えてほしいと連絡が回っています」


 それなら、三人は無事だったんだ。


 それだけではない。国外から救援要請を送ることはできても、こうした伝言まで送ることはできないと言われた。三人からの伝言が届いたということは、この国まで来ている。


「三人は、今どこにいるんですか?」


「伝言には、中央ギルドまで来ているとあります。ミリさんがどこかのギルドに立ち寄ったら、自分たちは無事だと伝えてほしい、と」


 三人とも生きている。ラウルも助かった。それどころか、私を探してここまで来てくれた。


 帰らなければと、そればかり考えて進んできたのに、三人もこちらへ向かっていた。


「中央ギルドにいるんですね?」


「伝言が出された時点では、そう伺っています」


 それなら、今も中央ギルドにいるはずだ。


 私がどこかのギルドに立ち寄れば伝言を受け取り、そこから返事をすることはイネスも分かっている。私が移動を続けているのに、自分たちまで中央ギルドを離れてすれ違うようなことをするはずがない。


「こちらから、三人に伝言を返すことはできますか?」


「できますよ」


「では、私も無事だということと、これから中央ギルドへ向かうので、そこで待っていてほしいと伝えてください」


「分かりました。今いらっしゃる町も一緒に伝えておきますね」


「お願いします」


 三人が待っている場所は分かった。あとは、私がそこまで行けばいい。


「中央ギルドまでは、ここからどのくらいかかりますか?」


「乗合馬車なら、乗り継ぎを含めて五日ほどですね。明日の朝に出る便がありますよ」


「明日の朝……」


 五日なら、途中で乗り継ぐ馬車の運賃を合わせても今の手持ちで足りる。ここで依頼を受けてお金を貯めてから出発する必要はなさそうだった。


「その馬車は、どこから乗れますか?」


 乗り場と乗り継ぐ町を教えてもらい、私は冒険者証を受け取った。ギルドを出る前に依頼板を見るのがいつの間にか当たり前になっていたけれど、今日はその前をそのまま通り過ぎ、明日の馬車を確認してから宿を取った。


 翌朝は、いつもより早く目が覚めた。


 まだ出発まで時間があるのに、もう一度荷物を確かめてしまう。弓も矢もあるし、冒険者証も財布も入っている。忘れ物はないと分かっているのに落ち着かず、結局予定していたより早く宿を出た。


 乗り場にはすでに何台かの馬車が並んでいた。行き先を確かめて荷物を載せ、席に座って出発を待っていると、やがて御者が手綱を取り、馬車がゆっくりと動き始める。


 ラウルたちと離れてから、ずっと三人のところへ戻るために移動してきた。それなのに今は、三人のほうも私を探してこの国まで来てくれている。


 あと五日で会えると思うと、さっきまで何度も確かめた荷物がまた気になって、私は膝の上に置いた鞄の口をもう一度確認した。


 それから二度馬車を乗り継ぎ、五日目の午後、ようやく中央ギルドのある町へ着いた。


 馬車を降りると、私は荷物を背負って中央ギルドへ向かった。五日前に三人がここにいると聞いてから、会ったら何を言おうか何度も考えたはずなのに、建物が見えてくると何も浮かばなくなって、いつの間にか足だけが速くなっていた。


 扉を開けて中へ入り、大勢の冒険者の間を見回す。


 先に見つけたのはイネスだった。


 少し離れたところでマテオと話していて、その隣ではラウルが立ったまま二人の話を聞いている。何か言ったマテオにラウルが笑い、イネスが呆れたように口を挟んだ。


 それを見たところで、足が止まった。


 あの日、壁際で動けなくなっていたラウルが笑っている。階層主の前に残してきたイネスもマテオも、いつもと変わらない顔でその隣にいる。


 呼びたかったのに声が出なかった。


 代わりに目の奥が熱くなって、三人の姿が滲んでいく。ここまで来たのに近づくこともできずにいると、ふいにマテオがこちらを向いた。


 目が合ったまま、マテオの動きが止まる。


「……ミリ?」


 その声にラウルとイネスも振り向いた。


「ミリ!」


 ラウルに名前を呼ばれた途端、堪えていた涙が頬を伝った。


 三人がこちらへ向かってくる。急いで目元を拭ったけれど、最初に私の前まで来たイネスは、そんなことには何も触れなかった。


「遅い!」


「え?」


「どれだけ探したと思ってるのよ!」


「ご、ごめんなさい」


「謝るところじゃないでしょうが!」


 怒られたと思って反射的に謝ると、さらに怒られた。その後ろでラウルが笑い出し、マテオまで口元を緩めている。


「……三人とも、無事でよかったです」


 ようやくそれだけ言うと、さっきまで怒っていたイネスが何も言わなくなった。私の顔を見たまま口を閉じ、しばらくしてから大きく息を吐く。


「こっちの台詞よ。あのとき、どこに飛ばされたのかも分からなかったのよ」


「私も、あんなに遠くまで飛ばされるとは思ってなくて……」


「でしょうね。救助されたあと、あんたが隣国のギルドから救助要請を出してたって聞いたときは、何がどうなったのかと思ったわよ」


 イネスの言葉を聞いて、あのとき出した救助要請がちゃんと届いていたことを初めて知った。こうして本人の口から聞くと、ようやくあの日の出来事がつながった気がした。


「間に合ったんですね」


「間に合ったわよ。あんたが出してくれなかったら、どうなってたか分からない」


「よかった……」


「だから、もう泣かないの」


「泣いてません」


「さっき泣いてたでしょうが」


 目元を拭ったばかりなので言い返せずにいると、その後ろでラウルが笑った。


「まあ、無事に会えたんだからいいだろ」


「誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ」


「俺?」


「あんた以外に誰がいるの」


「待ってください。ラウルのせいじゃ――」


「ミリは黙ってて」


「はい」


 反射的に返事をすると、ラウルが吹き出した。


「ラウルも黙りなさい」


「はい」


 今度は私が笑ってしまった。


 イネスに睨まれたラウルが口を閉じ、その隣ではマテオが何も言わずに私を見ていた。目が合うと、マテオは一度だけ頷く。


「無事でよかった」


「マテオも」


「ああ」


 それだけ言って、マテオは私が背負っている荷物へ手を伸ばした。


「持つ」


「大丈夫ですよ」


「今まで一人で頑張っただろ。もういい」


 せっかく収まったはずの涙が、また滲んできた。何か返そうとしても声が出てこなくて、目元を押さえている間に、マテオは私の肩から荷物を外してしまう。


「……ありがとうございます」


「ああ」


 マテオはそれ以上何も言わず、私の荷物を持った。


「また泣いてるじゃない」


「これはマテオのせいです」


「俺か」


「そうです」


 マテオは困ったようにラウルを見るけれど、ラウルは笑っているだけで助ける気はないらしい。イネスまで笑い始めたので、私も目元を拭いながら笑ってしまった。


「久しぶりに四人揃ったんだし、いつまでもここに立ってるのも邪魔だろ。宿に戻らないか?」


「その前に聞きたいんですけど」


「何?」


 ラウルへ近づいて、もう一度その姿を見る。歩いているし、さっきから普通に立っている。それでも最後に見たのは、私を庇って壁まで飛ばされ、起き上がることもできなくなった姿だった。


「怪我は、もう大丈夫なんですか?」


「ああ。長くかかったけど、今はもう大丈夫だ」


「本当に?」


「本当に」


「ラウルの『大丈夫』は信用しなくていいわよ」


「イネス?」


「長距離を移動してもいいって治療師から許可が出るまで、半年かかったんだから」


「半年……?」


 そんなにかかっていたとは思わずラウルを見ると、困ったように笑われた。


「だから、今は大丈夫だって」


「でも、半年もかかったんですよね?」


「今は治ってる」


「無理してここまで来たんじゃないですか?」


「してないって。ちゃんと許可が出てから来たし、途中でも散々休まされた」


「当然でしょうが」


 すぐにイネスが返すと、ラウルは肩をすくめた。


「……ありがとうございます」


「なんでそこで礼になるんだよ」


「だって、ここまで来てくれたから」


 ラウルが何か言おうとした横で、イネスが先に口を開いた。


「六年も一緒にいた仲間を、あんなわけの分からない別れ方したまま放っておけるわけないでしょうが」


「ああ」


 マテオも頷く。


「ミリだって、ずっと俺たちのところに戻ろうとしてたんだろ?」


 ラウルに聞かれて頷いた。


「はい。最初は、もっと早く戻れると思ってたんですけど」


「それが、こんなところまで飛ばされてたんだもんな」


「まさか一年以上かかるとは思いませんでした」


「こっちもよ。ラウルが動けるようになるまで半年かかるし、そのあとも無理させられないし」


「悪かったって」


「別にそこを責めてるんじゃないわよ」


 イネスに返されて、ラウルが苦笑する。


「とりあえず宿に戻ろうぜ。話したいことも山ほどあるし」


「そうね。ここじゃ落ち着かないわ」


 ラウルとイネスが歩き出し、私もそのあとに続いた。隣では、マテオが私の荷物まで持って歩いている。


「宿に着いたら、今までどこにいたのか全部聞くからね」


「全部ですか?」


「全部よ。どこに飛ばされて、何してたのか、一年分」


「長くなりますよ」


「こっちだって一年分あるわよ」


「じゃあ、先に飯だな」


 マテオが言うと、ラウルが頷いた。


「そうだな。ミリ、何食いたい?」


「え、私が決めるんですか?」


「一年ぶりに会ったんだから、それくらい決めろよ」


「急に言われても困ります」


「じゃあ適当に入るか」


「それなら最初から聞かないでください」


 ラウルが笑い、イネスが呆れたようにため息をつく。マテオは私の荷物を持ったまま、先に扉へ向かっている。


 ずっと三人のところへ戻らなければと思って、一人で町を移り続けてきた。


 その三人が今はすぐそばにいて、これから一年分の話をするらしい。


「ミリ、置いてくぞ」


 先に扉のところまで行ったラウルに呼ばれ、私は足を速めた。


「今行きます」


 三人に追いついて、そのまま四人で中央ギルドを出た。


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