4話 降りたのに降りてませんでした
「……冷たい」
「さっきまで焼けてたのに、急にこれかよ」
「風が違うわ。熱じゃない。
……皮膚が落ち着く前に、ぞわっと来るわね」
「……温度、下がってます。急激です」
「——落ち着け。
今は“変わった”だけだ。楽だと決めるな」
「決めてない。……でも、
助かったって言いたくなる」
「言いたいなら言えばいいわ。
言ったら、次で裏切られるだけよ」
「やめろよ、その言い方」
「……前だ。光がある」
「え……外?」
「草の匂い、するわ」
「……風が軽い。出口、っぽい」
「——近づく前に、確かめる」
「どうやって?」
「触って確かめる。目は信用しない」
「……鑑定が、濁ってます」
「濁る?」
「対象の性質は拾えます。
ですがこの層は、“場所”が読めません。
距離、上下、出口——そこがノイズです」
「じゃあ鑑定で道は分からないってことか」
「はい。……だから、
手で確かめるのが一番確実です」
「なら、それで行く。目より手だ」
「そうね、触れば分かるわ。
冷たいか、硬いか、濡れてるか。
嘘が混じるのは、たいてい視界よ」
「でも、出口に見えるぞ」
「見える、だけだ」
「……光の輪郭、揺れてます。
熱の揺れとは違います」
「違う、ってこと?」
「断定はできません。
……“出口に見せる仕掛け”の匂いがします」
「匂いでも言うのかよ」
「言います」
「——行く。だが、触ってからだ」
「……ここ、壁です」
「え?」
「出口のはずの場所が、壁よ。しかも——」
「鏡だ」
「……鏡面です。天井も、床も」
「床も? ……うわ、俺が下にもいる」
「あなたの顔、二つあるわね」
「笑うな!」
「笑ってないわ。気持ち悪いだけよ」
「ひどくないか……」
「……反射が増えてます。
奥に行くほど、鏡が“厚い”です」
「厚い?」
「像がくっきりして、距離感が狂います」
「——壁、触れるか」
「……冷たい。滑る」
「私も触るわ。……同じ冷たさよ」
「じゃあ壁は本物ってことか」
「“壁”は本物。見えてる“出口”は、壁の上の絵」
「凄い絵だな」
「凄いから怖いのよ」
「……前、曲がってないのに柱がある」
「柱?」
「……同じ柱、見た。さっきも」
「同じ柱なんてあるだろ」
「違う。欠け方まで同じです」
「——同じ?確認するぞ。」
「……触った。傷、浅い」
「私も。……同じ場所に同じ傷。嫌だわ」
「つまり、戻ってる?」
「戻ってないのに
“戻ったように見せる”方が厄介です」
「どっちも厄介だよ」
「——進む。合図はシンプルにする。
触って確かめる。それだけ守れ」
「分かった」
「承知です」
「いいわ」
「……階段です」
「どこ」
「奥。降りられる」
「階段なんてないわ。壁よ」
「いや、見えるって」
「見えるのは否定しない。——触って」
「触るって、届かねえだろ」
「近づく。走らない」
「……触れました」
「どう」
「壁です。平面です」
「じゃあ階段は幻か」
「……でも、階段の“影”はあります」
「影だけ?」
「影だけです。影が階段の形をしてます」
「影だけ階段って、意味分かんねえ」
「意味が分からないのが、この層よ」
「——意味を作る。触って確かめる。
そうやって進む」
「……足音、増えてます」
「誰かいる?」
「いえ。……自分たちの足音が、
遅れて増えています」
「遅れて?」
「反響が遅い。距離が狂ってます」
「嫌だな」
「嫌でも、言って」
「言ってるよ」
「……床が濡れました」
「濡れた?」
「さっきまで乾いてたのに」
「水なんて——」
「……違う。濡れが“反射”になってる」
「床が鏡になったわ」
「——止まる。床触るぞ」
「……ぬるい。ぬるっとする」
「ぬるい?」
「水じゃない。粘る」
「……来ます」
「何が」
「鏡が、揺れてます」
「……出た」
「床から?」
「床から“伸びた”わね」
「透明……いや、銀色だ」
「……鏡面スライムです。
鏡を広げて、景色を増やします」
「景色を増やすって、戦い方が嫌すぎる」
「触ると、持っていかれます。足を取られます」
「——近づきすぎるな。触られる前に、見分ける」
「見分けるって、見えるものが嘘なんだろ」
「だから、触って確かめる」
「戦闘中に?」
「戦闘中こそよ。——冷やすわ」
「冷やす?」
「鏡は曇る。曇れば、嘘が薄くなるわ」
「三相弾——氷寄り!」
「……床が白くなった」
「結露だ。鏡が曇った」
「……スライムの輪郭が出ました。
濃い部分が“核”です」
「核、どこ」
「右寄り。反射が歪んでます」
「——寄せる。レイ、狭く」
「分かった。踏み込み!」
「滑る! くそっ」
「触った? 何」
「ぬるい粘り。……そこ危ねえ!」
「いい。言えた。——その粘りが“本体”だ」
「……足を取られます」
「取られる前に、凍らせるわ」
「氷寄り、もう一発」
「三相弾——氷寄り!」
「……固まった! 踏める!」
「今だ。核、切る!」
「斬閃!」
「……割れた」
「割れました。鏡面が砕けました」
「……砕けた鏡が、まだ映してるわ」
「映すな、もう」
「——終わらせる。もう一度」
「核、まだ生きてます。奥です」
「奥ってどこだよ、鏡だらけだ」
「触れ!壁際」
「……壁際、冷たい。床、乾いてる」
「乾いてる所が“道”よ」
「道って言うなって」
「今は言っていいわ。今は、嘘が薄い」
「——行く。核まで」
「斬閃!」
「……止まりました。鏡面スライム、溶けました」
「溶けたって言うか、消えたって言うか……」
「……反射が減ってます。息が戻ります」
「よし」
「よし、じゃないわ。まだ目が信用できない」
「……壁、ひび割れてる」
「反射が崩れていくわ。……色が混じった」
「色?」
「桃色……花弁?」
「……鏡の内側から、落ちてきてます」
「落ちてくるって何だよ」
「この回廊、上書きされてます。
次の幻が流れ込んでます」
「……見て」
「何」
「桜……?」
「回廊が、桜で埋まってる」
「花弁が落ちてる。……でも匂いが濃すぎる」
「幻ね」
「幻でも綺麗だわ」
「綺麗だと油断する」
「……床、花弁が積もってるように見えます。
でも——」
「でも?」
「触ると、硬い石です。冷たいです」
「触れ、ってことだな」
「そうよ。触れば裏切られないわ」
「……階段がある。桜の階段」
「触って」
「……触った。石だ。花弁じゃない」
「降りられる?」
「段はある。硬い」
「じゃあ行けるのか」
「行ける“かもしれない”。
降りたらどうなるかは別よ」
「——降りる。だが数える。段数」
「数えるの?」
「同じ階段を踏ませるなら、同じ数にする」
「嫌な推理だな」
「嫌でもやる」
「一、二、三……」
「十、十一……」
「二十……」
「……空気、変わりません」
「え?」
「降りてるのに、匂いが同じです。
桜が濃いままです」
「じゃあ降りてない?」
「降りてます。足の感覚は降りてます」
「でも場所は——」
「……変わりました」
「どこ?」
「水音です」
「水?」
「……湖の中みたいだわ」
「透明だ。壁も床も、水が揺れてる」
「揺れてるのに濡れない。気持ち悪い」
「……音が遅れます。
自分の声が、少し遅れて返ります」
『あ』
「今、俺の声が二回聞こえた」
「言わなくてもわかるわ」
「湖の回廊、ね」
「床は」
「……硬い。濡れてない」
「水じゃない。水に見せてるだけよ」
「じゃあさっきの階段、
同じ階層の別の回廊に飛ばしただけか」
「たぶんね」
「……層紋鑑定を使います」
「また変な札を切るな」
「“変な”ではありません。
……この層は普通の鑑定が濁ります。
層の印だけ、抜いて見ます」
「抜いて見られるのかよ」
「はい。魔力をかなり消費しますが」
「今ここで使う価値は?」
「あります。“降りたのに降りてない”のかだけは、
確かめたいです」
「鑑定します。……層の印は同じです」
「同じ?」
「温度、匂い、反響。
——この階層の“癖”が変わってません。
階段は、同じ層の回廊を回してます」
「降りた感覚だけ渡して、
同じ場所を歩かせてるってことか」
「はい」
「気分が悪い」
「でも、分かった。
——本物の階段は“下から来る冷気”で探す」
「やっぱりか」
「降りたのに降りてないの、最悪だろ」
「最悪、って言うな」
「……じゃあ、最悪じゃない。気分が悪い」
「それでいい」
「よくないわ」
「……羽音」
「聞こえた」
「上?」
「見えない」
「……幻翼バットです。音だけ先に来ます」
「出してきたな」
「出しても出さなくても良いのに」
「迷宮が決めるんだよ」
「——目を奪われるな。触って確かめる」
「触るのは分かったって」
「分かったなら、やる」
「……来た。影が増えたわ」
「影だけ?」
「湖の光が揺れて、影が羽みたいに切れる」
「うざい」
「……叩けますか?」
「叩く必要ある?」
「必要はありません。ですが——」
「ですが?」
「階段の位置が、ずれます。誘導です」
「じゃあ一回、散らすわ」
「風圧——散れ!」
「羽音が遠のいた」
「追わない。——階段を探す」
「……階段、見えます。湖の底に沈んでるみたいに」
「沈んでる階段ってなんだよ」
「触れば分かるわ。行くわよ」
「……触れました。石です」
「段はある?」
「あります」
「また同階層に飛ぶんだろ」
「その可能性が高いです」
「じゃあ何のために降りる」
「出口を探すために、回廊を切り替える」
「迷宮の方が一枚上手だな」
「上手でも、こっちが諦めなきゃいいわ」
「——降りる。段数、また数える」
「好きだな、数えるの」
「好きじゃない」
「一、二、三……」
「十……」
「二十……」
「……水音、遠い」
「消えた」
「代わりに、静かすぎる」
「……見上げて」
「何」
「星……?」
「天井が星空だ」
「床も星だわ。……上下が分からない」
「踏み外しそう」
「床の感触は……」
「……硬い。冷たい」
「冷たい?」
「さっきより、少し」
「……この回廊、温度が下がってます」
「やっと変わった?」
「………深度は変わってません。
でも、冷え方が違います」
「違う、ってことは——」
「“本物”に近い可能性があります」
「——ここで決める。幻の階段は、
同階層を回す。なら、本物の手がかりを拾う」
「手がかり?」
「冷気。霜。匂い。触った時の痛さ」
「痛さ」
「痛いのよ、氷は」
「……星が近づいてきます」
「近づく?」
「反射が寄ってます。距離感が狂ってます」
「だから目を信用しないのよ」
「触る。分かった」
「……階段」
「また?」
「今度は、星でできた階段に見えます」
「見える、だけだわね」
「触ります」
「……石です。冷たいです。ですが——」
「ですが?」
「下からの冷気が弱いです。
階段の“向こう”が見えません」
「弱いなら偽物?」
「断定できません。
でも、さっきの階段と同じ匂いがします」
「同じ匂い?」
「この階層の、鏡の匂いです。
——冷たいのに、作り物の冷たさ」
「作り物の冷たさって、分かるの?」
「分かるわ。肌が拒否しない冷たさよ」
「嫌な表現」
「嫌でも使う」
「……別の階段、見えます。壁際」
「触る」
「……指が痛い」
「痛い?」
「冷たいのよ、これは。さっきと違う」
「……霜、あります。段に薄く」
「本物っぽいな」
「決めつけない。触って確かめる」
「もう触ってんだろ」
「二人で触る」
「……触りました。痛いです。
冷気が下から来てます」
「私も。これは嘘が薄いわ」
「……息、白くなった」
「見えた」
「——一致した。ここは使う」
「やっと“降りられる”階段ね」
「降りたら、また同じ階層だったら殴るぞ」
「殴る相手がいません」
「迷宮を殴れたら良いのに」
「——行く。触って確かめながら」
「行きましょう」
「……冷たい」
「今度は、ちゃんと冷たい」
「寒そうだな」
「——寒そう、で済めばいいけどな」
「……これ、やっと本物よ」




