奏水と琥珀
「琥珀さん、少しお話があります」
「……? はい、なんでしょう?」
翌朝、ぐっすりと眠れたのか元気そうに朝ご飯を作っていた琥珀に対し、寝ぼけたまま客人用の寝室から這い出てきた奏水はゆっくりと時間を掛けて朝の準備を整えた。
といっても顔を洗って髪を整えて、朝ご飯の配膳の手伝いをするくらいしか奏水の仕事はなく、あとは焼き魚を調理する琥珀の様子をぼーっと眺めているだけだったのだが。
そうしてこの世界に来てから初めてのまともな食事にありつき、朝食はパン派の奏水だが焼き立てのお魚と炊き立て白米の魅力には即降参でもりもりと成長期の食べっぷりを見せつけ、それを眺める琥珀は聖母のような笑みでにこにこと微笑んでいたわけだ。
ただ、その先の行動は決まっていなかった。
昨晩の話だったら琥珀が奏水を保護施設まで連れていって預けるはずだったのだが、寝る前にあんな大騒動を起こしたため話は吹っ飛び、今のところ琥珀は次の動きを決めかねていた。
そんなわけで奏水からの提案には素直に頷いて、居間の丸机を挟んで向かい合った次第だ。
やたらと真剣な顔をした奏水に琥珀は少し戸惑う。
「あの、私、琥珀さんに助けてもらってすごく嬉しかったんです。こんな身元の分からない迷子なのに、親切にしてくれて、ご飯も作ってくれて、私の話も聞いてくれて」
「いえ、それは……なんだか、そうしたかったので」
「そう、ですか。でも助けられたのは事実です。それに、琥珀さんが優しくてとてもいい人だって知って、私、なにか琥珀さんの助けになりたいと思ったんです」
そう、それが言いたかったこと。
なぜかわからないけど目の前の少女のことが好ましくて、向こうもこちらを好いていてくれて、ならばこのまま二人で過ごしてみたいと思えて。そして助けになりたくて。
だから、奏水は思い切って告げる。
「私をっ、琥珀さんの番にしてもらえませんかっ!」
「…………えっ?」
ぽかんと口を開ける琥珀。
まさか出会ったばかりの異界から迷い込んだ少女が、いきなり巫女を目指すための前途多難な道のりを共に歩みたいと言い出すなんて想像も出来なかった。でも、奏水の目は真剣そのもので、嘘や冗談で言っているようには思えなくて。
「私が琥珀さんの番になります。私の力で……いえ、琥珀さんと私、二人の力で巫女になってみせます。絶対になってみせます。絶対です」
「…………奏水さん、それは、本気で言っているのですか?」
戸惑う。昨晩この世界に来たばかりの少女が? こんな厳しい競争の世界で手を差し伸べてくれる? そんなのなにかの間違いだろう。それに―
「わたし、奏水さんに見合うような人間じゃないですよ。もしわたしをなにか立派な人間と勘違いしているならすぐにやめたほうが―」
「そんなことありませんっ!!」
「――っ!」
それは奏水が人生で一番と言っていいほど大きな声を出した瞬間だった。
人付き合いなんてしなくて、親とも喧嘩なんてすることなく、一人で静かに生きてきた奏水が自分の意思で抵抗の声を上げた。
「琥珀さんはすごい人ですっ、私は一晩過ごしてわかりました、嘘じゃないですっ! それに私にはもう琥珀さんと一緒にこの世界を駆け上がっていく道筋が出来てます!」
「えっ…………」
「私は本気です。琥珀さんを本気で信じようとしてます!」
奏水がそんなに声を荒げている様子を想像だにしなかった琥珀の戸惑いは止まらない。
彼女が言うほど事は簡単じゃない。数多の障壁が立ちはだかる。見せつけられてきた苦難が琥珀の心中には居座っている。
「奏水さん、本気で言っているのですか……? 巫女への道は厳しいです、たくさんの競争相手がいますっ、わたしじゃ乗り越えられない壁がたくさんありますっ」
「だから私が番になるんです。私の力で琥珀さんを何倍にも何十倍にもすごい人にしてみせます。この国全部が驚くくらいにしてみせます」
「でも、わたしはこんな風に弱い人間です、色んな人に見捨てられた駄目な子なんです、きっと奏水さんも嫌になりますっ」
「嫌じゃないです。あと私はこの世界に頼れる人は琥珀さんしかいません。何があっても離れません。離れたら私の命はそこで終わりです。一心同体です」
「で、でもっ、神力がないとこの世界は勝ち抜けませんっ、戦い抜けるほどの力を持った人なんてほんの一握り、狭き門なんです、そんなの天文学的な確率ですっ」
「じゃあ琥珀さん、私の手を握ってください」
おもむろに立ち上がったかと思えば琥珀の隣に座り込む。
そして右手を差し出す。琥珀の右手がおそるおそるそれを掴んで―
「え…………うそ…………」
神力に馴染んでいればいるほど、他人との接触を通してその人間の神力の保有量や質を見抜ける。身体中を流れる奔流の性質とその勢いを自らの触覚と神経で感じ取れる。
だから、琥珀は驚き目を見開いて―
「す、すごい神力っ…………こんなのっ、わたしより多いくらいっ、どうしてっ…………」
「言ったでしょう。私には道筋があります。こうやって武器もあります」
「しかもすごく綺麗であったかい神力……どうして奏水さんが」
「さあ? 女神様に愛されたのかもしれませんね」
「……っ」
その事実に琥珀の心はぐらりと揺れる。
ここまで真剣で嘘のない言葉の数々、感じてしまった超一流の神力、そして自分のことを信じてくれるまっすぐな瞳。それらが初めて会った時から感じていた不思議な好意やあたたかくなる気持ちと重なって、琥珀の心はもうあと一歩で陥落してしまいそうで―
「で、でも……わたしはもう大洲宮で落第生として忌避されていますっ……どうすればっ、奏水さんに嫌な思いをさせずにいられるでしょうかっ……」
それが怖い。自分の嫌な気持ちを奏水に分けてしまうのが怖い。
でも奏水ははぁっと深くため息をついて。
「はあ、琥珀さんってほんと怖気づくタイプなんですね。誹謗中傷なんて無視です。嫌な想いをしたら二人で半分こです。琥珀さんが悲しかったら私が慰めます、私が辛かったら琥珀さんが話を聞いてください。それでいいんです」
「それで……?」
「はい。そんな悲しませるようなことを言うやつらは全部倒しちゃえばいいんです、琥珀さんを謗ったことを後悔させてやりますよ。一生後悔させて忘れられなくしてやります」
そう告げた奏水の表情はとても頼もしくて、昨日まで困って嘆いていた少女とは別人のように見えた。背中からやる気と自信が溢れ出ている。
その姿にぐらりと傾いて滑り落ちる寸前の恐怖と躊躇いは、奏水の両手が琥珀の両手をぎゅっと握りしめたことですっかりどこかへ消えていってしまって―
遂に琥珀の口から前向きな言葉が漏れ出る。
「それで……どうやって巫女になるのですか? わたし、何もできないのにっ……」
「そんなの簡単です。昨日琥珀さんが教えてくれました」
「へっ……? わたしが……?」
その言葉を自信満々で口にする奏水。
「音楽です。音楽の力で成り上がってやりましょう! 私たち二人で演奏家になってこの国の人たち全員に届けます! そうしたら私たちに敵う人間なんていません!」
両手を握りしめる手に力が籠って、でもそれはとても優しい強さで。
「琥珀さん、私が番になります。だから琥珀さんも私に力を貸してください。二人で一緒にこの国中を驚かせるすごい音楽を作りましょうっ!」
なぜかわからないのに、信じられた。
そう告げてくる奏水の言葉を信じたくなった。
昨日あんなに楽しそうに語っていた奏水の姿を思い出して不思議と胸が熱くなった。
この子になら、わたしの人生を預けてもいいと思った。
だから、その手をぎゅっと握り返して―
「……はいっ! 奏水さんっ!」
こうして後にこの国の伝説となる二人の物語が始まったのだった。




