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深夜零時の決意

「ふぅ……これで私の素晴らしい音楽講義の第一章が終了したわけですが、そろそろ休憩が必要ですね。ではお水を持って来ましょう」

「ま、待ってっ、待ってくださいっ! もっ、もう無理ですぅっ……!」

「え? 自分から語れと言ってきた琥珀さん? もうギブアップですか? まだ音楽制作の『音』の字すら掘り切れていませんよ? 今晩は夜通し講義です、いいですね?」

「まってぇっ……本当にもう無理ですっ、奏水さん止まってくださいっ……! わたしがっ、変に煽ったわたしが悪かったですごめんなさぁいっ……!」


はた、そこで気付く。

目の前の異世界少女、なんだか涙目になっていないか?(実際は数時間前から涙目だったが奏水は気付いていない。)


「…………」


あれ、もしかして一宿一飯のお礼をすべき宿主を泣かせた……?


「…………」


あっ、やば。


「…………あ、ああぁぁっ!? 琥珀さんっ、ごめんなさいっ、私勢い余って喋り過ぎましたぁっ!! すいません、もうしませんっ、寝ましょうっ、睡眠を取りましょうっ!」

「……や、やっと止まったぁっ……奏水さんこそ獣ですっ、すっごくあぶない獣ですぅ……」

「ひぃっ……宿主に私はなんたる無礼をっ! 誠に申し訳ございませんっ、琥珀さんっ、もうお布団に行きましょう目が死んでますお水飲んでからちゃんと寝ましょうそうしましょう!」

「はいぃ……そうしますぅ……」


ふらふらと台所に向かっては水を一杯飲み干して戻ってきた琥珀の瞳からはハイライトが消えていた。完全にイかれてしまった時の目だ。奏水が徹夜でDTMに向き合って気付いたら月曜日の朝になってて絶望した時の鏡に映った目と同じ色をしている。


そんな限界寸前の宿主を支えるべく肩を貸して寝室へ向かえば、大きめのサイズの敷布団が部屋の一段高いところに敷かれていて、さながら簡易的な畳ベッドの様相を呈している。

そこに足を引っ掛けそうになりながらも布団へダイブした(倒れ込んだとも言う)琥珀は枕に顔を埋めて動かなくなり―


「…………ええと、本当にすいません。このようなこと、二度といたしません……」

「い、いいんですっ……止まってくれたからぁっ、もう大丈夫ですぅっ……」

「いや全然大丈夫じゃないですよ声から疲労の色がぷんぷんと」

「そ、そうでしゅねぇ……」


眠すぎて見事に噛んでいる。舌っ足らずな語り口が実年齢より幼く感じさせる。

この少女の助けになれないか考えていたはずなのに、結局迷惑を掛けただけで落ち込む奏水。


けれど、次の琥珀の言葉にしぼみかけの脳みそが急に反応して―


「かなみさん……そんなにおんがくがしゅきなら、演奏家にでもなればいいのにっ……」


…………


「かなみさんのおんがくっ、わたしは聴いてみたい、でしゅけど……」


…………


「くぅー、すぴぃぃ……」


疲れ果てて眠ってしまった琥珀を前に、奏水は考える。


演奏家 ― なってみたいと思ったことはある。

今までの自分の人生を丁寧になぞるように振り返る。


幼稚園の鍵盤ハーモニカを触った時にすごく楽しいと思って楽器に興味が出た。

だから小学校に上がる時にピアノを習い始めた。親のお金は山ほどあったから何も反対されずにお稽古に通えた。レッスンは厳しかったけど色んな曲が弾けるようになって楽しかった。


そうしたら今度はアコースティックギターにも興味が出て、親のお金ですぐに買って教則本を見て練習し始めた。小学生だったから放課後の時間はたっぷりあった。

音楽の授業で合唱をしてみて歌も習ってみたいと思ったけど、自分の声を聴くのがなんだか気持ち悪くてやめた。吐き気がして辛くてとても聴いていられなかった。お世辞にも綺麗な声じゃなかった。


そうしたら今度は曲を作る職業の人がいると知ってそっちに興味が出た。

ショパンとかベートーヴェンみたいなクラシックもそうだけど、ポピュラー音楽とか、ジャズとか、ヒーリング音楽とか、世界中の郷土音楽とか、色んな曲を書く人が世界中にたくさんいると知った。


その頃には自分の銀行口座に何千万円とお金があったから高いパソコンを買って、DTM―デスクトップミュージックという魔法みたいなソフトウェアを手に入れて夢中で曲を書いた。これ一個あれば世界中どんな音楽も作れる、自分の弾けない楽器だって使える、歌が必要になれば機械が歌ってくれる。


このファンタジー以上の夢みたいな玩具を使って過ごす時間は何百時間にも及んで、中学に上がった頃にはもうすっかり音楽の虫になっていた。学校から帰ったら着替えもせず制服姿のまま画面に向き合う日々。帰宅部だろうが、友達がいなかろうが構わなかった。


ただ、そうしているうちに少しだけ虚しい気持ちが募っていった。

自分の好きな音楽を作り上げて満足したとしても、ちょっと動画サイトに上げて褒められてみても、自分が一人前の音楽家になれていない気がした。一人で音楽をやり続けることに寂しさを覚えたのだと自己分析した。


でも頼れる人は周りにいなかった。親は助けにはならない。友達はいない。

ネットの向こうには怖くて手が出せなかった。人付き合いを蔑ろにしてきた人生のツケだった。


だから全部諦めて、もうずっと一人で部屋の中で好きなものを作り続けていくのだと決めた。大人になったら仕事をして、休みの日に音楽を作って、そうしていつか歳を取って死ぬのだと思った。



でも、こうして異界に迷い込んで人生の全てが綺麗に書き替えられてしまって。

でも、今目の前にこうして自分に優しくしてくれる少女がいて。


その事実が全て頭の中で結びついた瞬間に奏水の脳はひとつの答えを弾き出した。


音楽家、そして演奏家になっていつか表舞台に立ってみたいと思っていた奏水。

誰かと番になってこの世界の頂点へと駆け上がることを使命とされた琥珀。


もし、二人で手を取り合ってすごいことができたら。

たとえば、この世界にないすごい音楽を作って二人で舞台に立てれば。


二人の願いは同時に叶えられる。

そしてそれを叶えるための資質が二人にはある。


巫女候補として国に見初められるほどの神力をしたため、その優秀な才を認められた琥珀。

機転が利いて物事の吸収も早いなんてのは先程の音楽講義で質問を投げ返してくる彼女の言動から容易く読み取れたし、教養と理知に富んでいることは想像に難くない。


そして今、奏水の身体中を流れている今までにない不可思議な力の奔流。

まるで血液のように自然に全身を行き交い、しかしそれでいて確かに温かさと力強さを感じるこの流れの正体は間違いなく神力だろう。この世界に転生してから徐々に馴染んできた身体ははっきりとその存在を感じ取れるようになっていた。


ここまで舞台道具が揃っている。

となれば、やってみるまでだ。


「琥珀さん、私、あなたの助けになってみせます」


いつの間にか寝顔をこちらへ向けていた琥珀にそっと囁き、寝室を後にした奏水。

深夜零時過ぎの小さな部屋の中、奏水の瞳は確かに強い光を帯びていた。

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