音楽記録計画 其の四
桜蘭鷲果の朝は遅い。
まず朝八時起床、そこから家事をこなして自宅一階の店舗兼事務所へ下りるのは朝十時前。既に役所や学院が動いている時間になってもなお店は開かず、開店は朝十一時。
海外からの舶来品をはじめとした高級品を取り扱っている店だから、あまり朝早くに開けても人は来ない。金持ちや役人がやってくるのはどんなに早く見積もっても昼過ぎだ。
この店を両親から受け継いで十年ほどになるが、正直そんなに売れているわけでもないのに店が存続できている理由は無論不労所得があるからで、だからこそ舶来品を蒐集することができるし、こうして大洲宮付近の一等地に店を構えることもできている。
そんな鷲果のたまの楽しみ ―というか仕事の一環だが― は海外から訪れたり帰ってきたりした船の元へ赴くことだ。勿論商品を買い付ける最大の機会であるし、諸外国の文化や技術について情報を仕入れることもできる。
乗組員が華仙の者であれば普通に会話し、海外の人間であれば英語で喋る。この国でも貴重な英語話者ということもあり、鷲果の名前や顔は港で十分知れているから交渉や買い付けも容易だ。
昨日は遥か西方の国から舶来した硝子工芸品を購入してきたので、早速店内のケースに入れて展示している。華仙では硝子文化はそこまで発展しておらず、芸術品にまで仕上げるという工房や職人はいない。せいぜい建築の一部だ。
そんなわけで非常に目立つし希少であるし、これは買い手が付きそうだなと期待しながら今日も開店したわけなのだが。
まさか朝一番に客が訪ねてくるとは思っていなかった。
しかもその主は―
「鷲果さん! おはようございますっ!」
「ちょ、ちょっと琥珀、待ってっ、走らないでっ!」
「…………おや、琥珀さんに奏水さんじゃないか。朝から珍しいね」
大洲宮の巫女候補なのだからまた驚きだ。
鷲果と琥珀の付き合いはそれなりに長く、両親に連れられて初めて店を訪れた時の琥珀が大体十歳くらい。そこから時折顔を出しているので付き合いとしては五年ほど。
ただ、今までに来店したのは大体午後の散歩のついでにゆっくりと……という場合がだったので、こうして朝からやって来るというのは実に意外だった。
しかもなにやら息を切らしている。走ってきたのだろうか。
「鷲果さんっ! 今日は折り入って頼みがあって来ました!」
「ほう、何やら気が急いているようだが……」
「……ふう、そ、そうですね。でもっ、鷲果さんのお眼鏡にかなうかもしれないと思いまして! これを受け取ってくださいっ!」
「うむ……これは」
何やら書籍のような紙の束。
自宅で製本したのか手作りのようで、少なくとも印刷所を使った様子はない。
中をぱらぱらとめくれば何やら短編小説のようで、途中には挿絵もある。
はて、これのどの辺りが重要なのか。
そう考えた鷲果が琥珀の真意を問おうとすると、それに先回りするように琥珀が付け加える。
「鷲果さん、この本に神力を注いでみてください!」
「はあ。私はまるで神力は扱えない人間だが」
「それで構いません。むしろそれでこそです。さあどうぞ!」
「分かった。ではやってみるか…………」
手に持ったそれに神力を注ぎ込むように意識を集中させる。
毎朝店の灯りを点ける時と同じ感覚。それをもうちょっと落ち着いて実践する。
この本はなんだか神力の通りが良いというか、店の灯りを付ける時よりも円滑に神力が流れていくような感覚があった。ただの書籍ではないことは分かった。
だが、そんな紙の束から不意に音が流れてくるというのは完全に予想外で―
「――――おぅ!?」
にこにこと微笑む琥珀が見守る中、鷲果は呆気に取られて手中の一冊を見つめるほかなかった。
何の変哲もない本から音が発せられていること自体が驚愕であり、加えてそこから響いてくるのが今までの人生で聴いたこともない音楽だったからだ。
舶来品に触れる中で諸外国の音楽を知る機会はあったし、海外の乗組員がその場で演奏してくれることもあった。間違いなく一般人よりは知識の幅は広いはずだった。
なのにそのどれにも当てはまらない先鋭的な音色が流れてくる。
その衝撃に鷲果は固まってその場から動けなくなった。
人は本当に驚くとその場で立ちすくむなどと誰かが言ったが、まさにその通りだった。
約四分の演奏時間のさなか、鷲果は一言も発せずに呆然としており、音が途切れてから十秒ほどが経過してようやく口を開き―
「……琥珀さん、これは、どういうことだね」
「ええとですね。わたしと奏水で開発した次世代の音楽再生媒体です! 蓄音機とレコードの更に先を行く、手に取りやすい画期的な発明品なのです!」
「ではこの流れてきた音楽というのは」
「わたしと奏水の神楽で演奏している曲ですね。どうでしょう、この国にはない新しい世界を開いていると思うのです」
「ああ……そうだな。本当に、そう思う……」
衝撃的だった。これまで誰よりも早く最先端の文化に触れてきた自負を軽く追い抜いていく存在に鷲果は慄いた。ただ、慄くと同時にどこか興奮している自分もいて―
「……琥珀さん、どうして私にこれを聴かせてくれたんだい?」
「理由はいくつかありますけど、主たるものは新しい文化への抵抗が小さい人に試してほしかったからですね。誰でも神力を注ぐだけで音楽を再生できることが売りの媒体ですが、いきなりこの国の人たちに渡してしまうと怖れが先立ちそうですから」
「そんなもの、よく作ったな……」
「ええ、頑張ったのでぜひともこの国にうまく広めていきたいんです」
それなりに交友のある人間から、いきなり規格外の最新技術を提供されたことへの戸惑いがないわけではないが、こんな面白いものを放っておく気にもならず。
そしてそんな鷲果の思考を先読みしていた琥珀が魅力的な提案を投げた。
「そこでご相談です。この本を活版印刷で大量生産して全国に流通させたいと思うのです。鷲果さんならきっとできますよね?」
その瞬間、鷲果の脳裏には瞬時にビジネスモデルが浮かんだ。
この国の活版印刷所の先導者たる人物とは知り合いだ。両親の代からの付き合い― というかそもそも活版印刷技術をこの国に持ち込んで広めたのが鷲果の両親であった。要するに印刷所へのコネクションはある。
ではまずこの書籍を活版印刷用の印刷板に落とし込み、それを大洲宮近辺に位置する懇意の印刷所へ提供して刷ってもらう。刷ったものは鷲果が郵便を使って各州の印刷所へ配送する。そして印刷所の直販という形で人々へ販売する。これでどうだろう。
要するに奏水と琥珀が出版者、大洲宮の印刷所が製造工場、鷲果が流通業者、各地の印刷所が販売店になる。各地の印刷所は仕入れた分の代金を大洲宮の印刷所へ支払う、大洲宮の印刷所は出荷した冊数に応じて鷲果へ代金を支払う、鷲果はそこから経費と手間賃を抜いたものを奏水と琥珀に支払う。決して悪くはない流れだ。
早速その構想を琥珀と奏水に語って聞かせれば、二言なく乗っかってくる。
二人とも自分たちの音楽に自信があるからこそ躊躇しなかった。
「鷲果さんの仕事であれば間違いないでしょう、乗りました!」
「でも私は売掛金照合は抜からずやるから。許すな取りこぼしってね」
「はは、二人とも中々気合が入っているようで頼もしいよ」
そう言いつつ早速鷲果の手は会計のすぐそばにある電話の受話器を握っていた。
無論掛ける相手はこの地の印刷所の主であり、長年懇意にしている知人でもある。
(はえー、この国にも電話ってあるんだね)
(はい。まだまだごく一部ですが使用できる環境があります。鷲果さんは物好きだけあっていの一番に使い出したそうですが)
小声でひそひそ会話しながら鷲果の様子を見守る二人。
口調は明るいし調子も良さそうなので大方良い方向に行くだろうとは思っていた。
いたのだが、まさか自分たちが思うよりも早く話が進むとは思っていなくて―
「よし、それでは今から印刷所に行こうじゃないか」
「…………へ?」
「向こうの主が興味を持っている。話は早いうちに進めた方が良いしな」
「え、めちゃ早ですね。そんなにうまくいくものなんですか……」
「奏水、その『めちゃはや』が何なのかは知りませんがとりあえず流れに乗っておきましょう。幸い今日はこの先の予定はありません」
「そ、そうだね」
そしてあっという間に店じまいを始めてしまうところが不労所得者の道楽っぽいなあと思う奏水だった。




