迷い子の告白
「奏水さん、お水飲んでください、はい」
「ふぇえ……あ、ありがとうございます……」
お風呂で爆睡したところを琥珀に起こされて事なきを得た奏水は、慣れない襦袢に着替えて居間に戻ってきていた。
中々お風呂から上がってこないことを琥珀が不審に思ってくれなければ溺死していたかもしれない。大げさだがぞっとする話だ。それを思うと全裸でお風呂に沈んでいる姿を見られたのもお安い代償だし、和装の着方がわからなくて裸で一から着付けてもらった恥ずかしさも耐えられる。
そうして湯飲みに水を入れてもらったのをぐびっと飲み干しては「ぷはぁーっ!」と年頃の乙女らしからぬ歓喜の声を上げたところでようやく正気を取り戻た次第だ。
「ええと、いきなりご迷惑をお掛けしてすいません」
「いえ、たぶんお疲れだと思いましたので」
のぼせたついでに食欲を失った奏水に配慮してくれたのか、用意された夕飯はつるんと食べられる冷奴一品だけ。その配慮が身に沁みる。
無心に豆腐を口に入れては水をがぶ飲みする奏水を琥珀は優しく見守っていた。
そんな機転によってようやくまともな思考と体調を取り戻したところで、ようやく本題に入る。
奏水が改まって正座して目線を合わせてきたことで琥珀も今から詳しい話をしなくてはならないと心構えができたらしい。小さな木製の円卓を挟んで二人は向かい合うのだった。
「えっと、まずは助けてくださってありがとうございます。あのままだったら私は行き倒れていました」
「……? 既に行き倒れていたので助けたのですが」
「そ、そうですね。は、はい。まあそうです」
そうだった。そもそも彼女は自分が違う世界から迷い込んだ(であろう)ことを知らない。
まずはこの世界が一体どんな場所なのかを知らなければ。
「早速ですが琥珀さん。今私たちがいるこの国の名前を教えてください」
「はあ……? えっと、ここは華仙です。全部で二十の州からなる神権国家、その中心たる大洲宮がわたしたちの今いる場所になります」
「なるほど、わかりました」
奏水の地理知識の中に華仙などという国はない。そもそも日本語を喋る国など世界中どこを探しても日本しかない。つまりここは日本に似た異世界。そう結論付けるしかない。
だから、できるだけ琥珀を驚かせないようにそれを告げる。
「琥珀さん、落ち着いて聞いてください。私はこことは違う世界から来ました」
「……? 違う、世界……?」
「はい。華仙という国が存在しない、全く違う世界からの迷子です」
案の定困惑する琥珀に対して奏水は必死に説明した。
"別の世界"という概念を伝えることに四苦八苦し、どうして迷い込んだのかもわからないことを嘆きながら丁寧に伝え、時には自分の着ていた洋服を引き合いに出して納得させるなどした。
そのやり取りの間で奏水もわかったことがいくつかある。
最初の言葉通り唯一神である女神の神託の下で司られる国家で、その中心機能をこの場所―大洲宮が担っていること。海で囲まれているため他の国は周りにはなく、ほとんど鎖国のような状態で長らく統治されていること。
そして驚いたのが性別という概念がないことだ。正確にいえば、元の世界でいうところの女性しか存在しない。性別が一つしかないなら、そもそも性別などという概念が不要というのは言われてみればそうだ。先程の守衛も行き交う人も皆女性だったのはそういう理由なのかと納得する奏水。ちなみに好奇心から生殖についても尋ねてみたところ同性間で子を為せるらしい。
「と、とりあえず理解しました。奏水さんの不慣れな様子とか服装とか、色々と納得する要素はありましたし……まだ信じられませんが」
「ですよね。ともかくそういうわけで泊めてもらえるだけでありがたいんです」
「はい、そこは約束した手前きっちりとおもてなしします!」
「えっと、おもてなしまでは求めてないですけど」
なんなのだろうその好意は。
しかし安全な大洲宮の中で夜を明かせるならありがたいことこの上ない。
お風呂から上がって改めて部屋を見渡してみても清潔だし、室温も適温に整えられているし、着せてもらった襦袢だって上等な感じがする。たぶんこの世界の中でも裕福な居住環境になるのだろう。そんな場所にありつける喜びを噛みしめる。
やはり暮らしの基本は満ち足りた衣食住から。
一晩だけとはいえ異界へ飛ばされてすぐの時にこうして安心して過ごせることはありがたいし、何より宿主の好意があることも嬉しい。
というところでやはりその好意の正体が気になってしまい、それとなく探りながらこの国ついて更に訊いてみることにした。
「ええと、この国の人たちって大半はお仕事をして暮らしてる感じですよね? 琥珀さんみたいな人が例外というか、特別というか」
「そうですね。人口のほとんどは仕事でお給金を得て生活しているので、わたしたちのような血税で暮らさせてもらってるのは少数ですね。公務員全般を入れてもほんの少しです」
「ちなみに農業とか漁業とかもたくさんの人が従事してるんですよね? さっき冷蔵庫にお魚とか野菜も見えたので」
「はい、人口の五割程度は第一次産業に従事しています。残りの五割は二次産業と三次産業で半々ですかね。正確な数字は役所でないとわかりませんが」
第一次産業というワードが出てくるくらいには近代化はしているのかと不思議に思いつつ、やはり住環境や街の様子からして技術の進展は不十分に見える。さしあたっては鎖国したままだった世界線の日本が迎えた明治時代といったところか。
となると自分が暮らすとなればやはり農業をしながら時々街に出たりという感じだろうか。そもそも身元を引き取ってくれる里親がいるのかな、と思ったところで公的制度とかも気になった。
「あと、孤児を引き取ってくれる施設とかはあるんでしょうか……?」
「ええ、国が捨て子や親を亡くした子を受け入れている保護施設があります。……そうですね、奏水さんも身元不明ですし親もいませんし、特に問題なく受け入れてもらえると思います。異界から来たとも言わなければ不審がられることもないでしょう」
「あはは……じゃあ私、琥珀さんにはだいぶ不審がられたってことですね」
「え、ええ。そもそも不審がらない方がすごいと思いますけど……」
それはその通りだった。
それでまだ追い出されていない方が幸運である。
琥珀は半分だけ笑みを浮かべたなんとも居心地の悪そうな表情をしていて、でも次の瞬間にはなんだかちょっと寂しそうな様子に早変わりして。
「その、もし奏水さんがお望みならわたしから国の方に直接頼んで保護施設に繋いでもらいますよ。そのような施設は各地にありますし」
「本当ですか? じゃあぜひお願いします」
「……は、はい。わかり、ました……」
「……?」
今後の生活を保障してもらえる申し出。
こんなにありがたいものはないと奏水は二つ返事で頼んだのだが。
(ん……? なんか琥珀さんが変な顔してる)
妙に歯切れの悪い返事、眉をしょんぼりと下げた困り顔のような表情、瞳はなんだか寂し気にうるうると潤んでいる。そんなに何か困ることでもあったのかと不思議に思う奏水。
時空を超えた迷子の保護はそういった施設に任せるのが最適だと奏水自身も思うのだが、琥珀のその仕草はなんだかあまりそれを望んでいないようにも見えて。
(なんか、私も変な気持ちだな。分からないことばっかりで……)
見ず知らずの他人にここまでよくしてくれる理由とか。
そもそもこんな国の中心みたいなところに住んでいる理由とか。
あとは、周りから陰口を言われていた理由とか。
気になって、なんだか知らないといけないような気がして。
思わず口に出してしまった。
「で、あの、琥珀さんにもうひとつ聞きたいことがあって……」
「わたしへの陰口のことですか?」
「……は、はい。すいません、気になってしまって。その、言いたくなかったら言わなくていいんですけど、その、琥珀さん、優しい人なのになんであんなこと、って」
「いえ、大丈夫です。これはわたしの責任ですので、奏水さんに気を遣わせてしまった手前ちゃんとお話ししたほうがよいと思っていました」
柔和な笑みを浮かべていた琥珀の表情に陰が差す。
その表情は悲しいような、苦しいような、けれどなにか救われたくてもがいているような、形容しがたい不思議な表情だった。
「では奏水さん、今晩の宿代と思ってわたしの話を聞いてください」
「はい、お安い御用です」
「ふふっ……わたし、何も知らない子を相手に何を喋ってるんでしょうね……」
喋り出す寸前に浮かんだ笑みはなんとも自虐的なものだった。




