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少女と宮殿潜入

「え、ええと、私はここにいていいんでしょうか」

「大丈夫ですっ……た、たぶん」


琥珀と名乗る少女に助けられた奏水は、彼女に手を引かれるままにあの大きな宮殿都市の内部へ踏み入っていた。


気を失って倒れていた川のほとりから歩いて数分ほどで到着したその都市の入口は、やはり壮大としか思えない巨大な鉄扉を備え付けた門で、その端で佇んでいる守衛の女性がギラリと目を光らせるから奏水は慄いて少し足が止まりそうになった。


そんな奏水を琥珀はぐいぐいと引っ張って詰所まで連れて行けば、なにやらこちらに聞こえぬように守衛とこそこそ喋ってからさっさと門を通過してしまう。

その行為がなんだか急転直下という感じで付いていけない奏水。しかし、そんな奏水の困惑をよそに琥珀はずんずんと都市の中を突き進んでいく。そんなわけで早歩きになる彼女に合わせて足を早める奏水なのだった。


(うわあ……なんか映画の中って感じ。建物は木造なのにすごく豪勢で華やかだし、通る人もみんな和服で綺麗な感じだし……)


目の前の琥珀の着物姿に気を取られていたが、そんな和装の人間がたくさん集まっているともう圧倒されるというか、余所者感よりも先に壮大ですごいなあという感心が先に来る。


きょろきょろと辺りを見渡しながら先に進めば、今度は建物が途切れて日本庭園とでもいうべき和風の庭が広がるから奏水は目を見開いて驚くことになった。ささやかな小川から丁寧に手入れされている苔の絨毯から幽玄さを放つ枯山水まで、こんなものは現代日本ではどこに行っても見ることはできないだろう。


奥へ奥へと進んでいくにつれて人影は減っていき、いよいよ庭園も抜ければこの都市の中央と思しき最も厳かで、それでいて華やかさも誇示する宮殿の内部へと踏み込むことになる。

入口の門扉でまたしても立ちはだかる守衛を軽い会釈でスルーした琥珀は、そこでふと立ち止まって奏水の方を振り返って―


「奏水さん、この先はかなり人目を集めてしまうのですが……あまり気にせず、わたしに付いてきてください」

「えっと、はい。まあ私のこの格好は目立つと思いますし……」

「いえ、そうではないんです」


てっきり自分の制服姿を好奇の目で見られるからだと思っていた奏水はそこで戸惑う。他になにか目立つ理由でもあるのだろうか。


「……? ま、まあ、私はどちらにしろ琥珀さんと一緒に行くしかないので」

「わかりました。ではしばらくの辛抱です」

「……?」


ますますわけがわからなくなる奏水を琥珀は一層増した手の力でぎゅっと握って引っ張り始める。そんな門の先は宮殿に付随する小さな建物がいくつも並んだ、まるで高級住宅地か何かかと思わせるような整然とした光景で、それらが宮殿を取り囲んでいるから魔法の儀式でもするのだろうかと変な想像が膨らむ。五芒星を描いて魔法陣を作るみたいな。


ただ、そんな妄想から奏水を現実に呼び戻す声が周囲からちらほら聞こえてきていた。

初めは気にならなかった。けれどやたらそれが目立ってノイズみたいで、あまりにも鬱陶しいからつい耳を傾けてしまって―


「あら、あの落ちこぼれが変な子を引き連れてますわよ?」

「しかも見たことのない服装に奇妙な髪型、あれはどこか悪い生まれに見えるわね」

「まあ、とうとう番が見つからないからと低俗な民に手を出して……」


(ん、落ちこぼれ? なんのこと? っていうか番ってなに?)


謎でしかなかった。けれどすれ違う人のほとんどが似たようなことを言うものだから気が滅入ってしまう。こちらに背中を見せる琥珀からはどこか悲しそうな色が浮かぶのは気のせいだろうか。


そうしている間にも耳に悪い言葉が次々と飛んでくる。

出来損ない、迷惑、恥さらし、失敗作、欠陥品、面汚し、厄介者。


とても聞くに堪えない言葉の応酬に奏水も胸が痛くなる。

そしてそれらが真に投げかけられているのは目の前の少女だった。


そんな張本人である琥珀がどんな顔をしているかは見て取れないが、その言葉をぶつけられる度に手を握る力がぎゅっと強くなって、足取りが早くなるのは感じていた。

その困惑と苦痛に少々心を削られながら、ある小さな建物の前で手を離した琥珀は一瞬だけ振り向いて奏水を呼び寄せた。


「ここです、入ってください」

「……はい」


そうして二人ともが屋内に入って扉を閉め、そこでようやくふっと深く息をついた琥珀。

しばらくぶりに見たその表情はいくぶんか曇っていた。


無言で付いてくるように促す琥珀。それに従って靴を脱いで踏み入れればその先は綺麗に整えられた和風建築の居間だった。畳敷きの部屋はゆうに十畳を超えていて、奏水の一人暮らしの部屋よりもよっぽど広い。その先には簡易な台所も見え、左右にもまだ部屋が続いているように見える。


そしてこの空間で脱力したように薄い笑顔を浮かべた琥珀の様子から、ここは間違いなく琥珀の居住空間なのだとわかった。


「奏水さん、ここはわたしの自宅です。他の人の目は届かないので……今晩はここで休んでください」

「あ、ありがとうございます……!」

「あとで部屋もご案内しますね。ですがその前にお風呂に入ってもらったほうがよいですね」

「そ、そうですね。ではお言葉に甘えて」


先程までの侮辱発言を受けていた理由が一体なんだったのかもわからないまま、流されるままに浴室へ連れて行かれる。そこは清潔に保たれた大理石の床と木製の湯船が迎え入れてくれる空間で、この不可思議な世界に迷い込んで気付かぬうちに心身を摩耗していた奏水にはうってつけの休息をもたらしてくれる存在だった。


「えっと、着替えは襦袢を置いておきますので使ってください。汚れた着物は明日洗濯しますから近くに置いてもらえれば大丈夫です」

「はい」

「では奏水さんがお風呂に入っている間にご飯を用意しますので、ゆっくり入ってきてくださいね」

「えっ……あ、はいっ、ありがとうございます……」


そう言ってそそくさと脱衣所を去っていった琥珀に、「どうしてこんなにも良くしてくれるのだろう」という新たな疑問が生まれ、もやもやしたまま浴室に入る奏水。


お風呂のお湯はまるで訪問者を知っていたかのように適温で保たれ、シャワーこそないがそこからお湯を手桶で掬って使えば身体を洗うのに不足はない。知らぬ間に疲れていた身体に温かいお湯が沁みる。


手早く髪と身体を洗って、湯船に浸かってしまえば一瞬だけ高級旅館に泊まっているような気分になる。迷子になっても変わらずお風呂が癒しであるという事実に少し心が穏やかだ。


けれど気になる。

先程まで琥珀が向けられていた悪意のある言葉と感情たち。これまでの会話と行動で琥珀に不審な点はなかったし、なにか悪いことをしたようにも思えない。とすればその理由を知ることで、自分が迷い込んだこの世界がなんなのかを知ることにも繋がりそうだ。


そして自分への態度がどうしてこんなにも良いものなのか。

見ず知らずでいかにも余所者らしい人間をわざわざ家に上げて……というかそもそもこんなに厳しそうな宮殿都市の中に平気で入ってこられる琥珀という少女が一体何者なのか。知りたいし知るべきだと思う。


「あ、そういえばもう一個知りたいことが……」


ついでに知りたいのはこれまでの道中に女性しかいなかった理由だ。

こんないかにもな隔離空間で女性しかいないとなると、やはり後宮みたいなものなのか。それもちゃんと知っておかないと後々が怖い。


「っていうか私この先どうするんだろう」


お湯でのぼせたせいか最大の問題を忘れていた。

今晩は琥珀に保護してもらえるからそれでよいが、この先ずっとここにいられる保証はない。なんとか元の世界へ帰る手段を見つけるか、あるいは定住先を見つけるか。


知りたいことと考えねばならないことが溢れて渦を巻いて奏水の思考はだんだん遠くなっていく。温かいお風呂で脳みそごと蕩けたことで意識すら薄れていき―


「ふがーぁっ……」


見事に湯船で寝たのだった。

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