琥珀のとある一日
窓から差し込んだ光をぼんやりと眺めながらわたしは身体を起こします。
ここは一年以上暮らしている大洲宮の自宅の寝室、畳敷きより一段高くなった空間に敷布団を用意して毎晩眠るのがわたしの安眠の秘訣です。床で寝るより落ち着くんですよね。
窓からの光は太陽光……も少し混じっていますが、大洲宮の建物に一斉に灯りがついたことによる眩しさが半分以上です。この城壁のような堀に囲まれた宮殿都市は真上からの太陽光しか受け付けず、朝の昇りたての日差しはそうそう入りません。ちょっと寂しいというか無機質ですが……まあ起きるのには問題ありませんし。
早速襦袢から着物に着替えて、その間に眠気が覚めれば朝ご飯の準備です。
奏水さんは『しょくぱん』というものを朝に食べるらしいですが……小麦からできているそうなので、この国にはありません。小麦自体は外から少し入っていますが、調理方法も確立していませんし。
神力のお釜でご飯をさっさと炊いて、氷属性の神力を使った食料保存庫から漬物を取り出します。奏水さんはこの子のことを『れーぞーこ』と言っていました。変な名前ですね。
最後に焼き魚を網の上で調理してお皿に盛って、大根おろしをちょっと添えて。
というところで奏水さんが起きてきました。
やっぱりご飯の匂いは人を惑わせるのか、いや、単純に目が覚めただけですね。
そのまま寝ぼけ顔の奏水さんを水場に連れ込んで顔を洗わせ、髪を整えさせ、徐々に正気にさせます。奏水さんはついでに『らじおたいそー』というへんてこな動きをしているのですが、これが存外目覚ましにちょうどよく、わたしも一緒にやってみたところ身体の調子が上向きになりました。これが異界の知恵なのですね。
そうしてご飯を食べて、まず午前中は奏水さんもわたしも部屋に籠って勉強とお仕事の時間です。
わたしはこの国の現状を知るべく各地の巫女からの報告書類を読んで勉強します。世界の様相は日々変わり続けますから、勉強は学院を卒業した後だって必須です。
奏水さんは相変わらず楽器を作ったり、曲を書いてみたり、演奏の練習をしたりと音楽制作に余念がありません。時々お茶を持ってお邪魔するとヘッドホンを付けて真剣に画面と向かい合う姿がちょっとかっこいい……あと可愛いなって思っちゃいます。なんででしょう、可愛いんですよ。
そういえば奏水さんの髪は高い所で結って一本にしてから真っ直ぐ下ろすという珍しい髪形をしています。『ぽにーてーる』って言うらしいです。もしかしたらこれが可愛いと思う理由の一つかも?
そうしてお昼が来たら軽く食事を摂ります。
今日は珍しく街で買ってきたお惣菜が色々あるので、お喋りしながらもぐもぐ。普段はお茶漬けとかで済ませちゃうんですけどね。朝より数段意識がはっきりしている……というか元気な奏水さんは元の世界のこともたくさん話してくれて毎回感心します。
ここよりずっと進んで、外の国とも積極的に関わっている世界……気になりますね。いつかわたしも行ってみたいです。奏水さんみたいな音楽をやってる人が星の数くらいいるらしいです。ふむふむ。
そうして午後は日によってまちまちですが、今日は奏水さんは神術の練習で訓練室を借りているそうなので、自主練習ということで一人で出て行きました。いい心がけですね。
訓練室には神力を使った疑似的な対戦相手もいるので模擬戦初心者には最適です。
そして、かくいうわたしは―
―――
(……うーん、どうやって書こうかな?)
奏水さんの部屋、奏水さんの机を借りて楽譜に向き合っています。
昨晩、新しい曲を仕上げた奏水さんが自信満々でわたしに聴かせてきて、また前と同じように詞を書いてほしいと言ってきたのです。作詞、やっぱり難しそうで怖いという気持ちもありますが、これを乗り越えてこそ二人ですごい神楽を披露できるのです。がんばります。
奏水さんに教えてもらって『おんがくぷれーやー』という便利な『そふとうぇあ』を多少触れるようになったわたしは再生のところをぽちっと押し、何度も聴いて、気になるところは『ばー』を『どらっぐ』して戻しながら何度も聴き込みます。
不思議な外国の言葉ですが、ちょっとは慣れていかないと。ヘッドホンは綺麗に発音できるようになりましたし、こっちも練習ですね。
さて、繰り返し耳に馴染ませたところで紙でできた楽譜を見下ろします。
奏水さんが用意してくれたこの『音符』とかいうやつの集合体ですが、わたしは意味が読み取れませんし変な記号もよくわかりません。とりあえず文字数を合わせるために使っています。
今回の曲は琴を使うところは前と同じですが、そこに以前聴いた『ばいおりん』という楽器が入ってきます。さらにそれにそっくりな『ちぇろ』というやつが混じってくるので大混乱です。
でも旋律はとても優しく、そして弦楽器たちの切ない音色がそこに絡んで美しいのに悲しいという叙情的な仕上がりを見せています。不思議とわたしにもすんなり馴染めたし、たぶんこの国の人にも気に入ってもらえると思います。
そして楽譜の端っこには奏水さんからの書き置きがあります。
「曲名は『紅灯恋歌』でお願いします」
「構成はA-C-A-C-Inter-Cです」
前者はいいです。後者はなんですかこれ? 外国の文字?
この屋根みたいな形の文字はなんです? 右側が空いてる円も謎です。あと五つ目の変な並びはなんですか? もう全然わかりません。
……と思ったのですが、これを見ながら聴き返すとわかっちゃいました。
どうやらこれはメロディの種類のようです。一個目のメロディと二個目のメロディを二回繰り返し、次に歌が入らない部分が長く続いて、最後に二個目のメロディが来て終わり。
これです! わたしの推測、完璧じゃないですかっ?
なるほど。これを意識するだけで物語感が出てきます。
そしてこの曲名、紅灯ということは遊郭でしょう。この国にも昔は身売りがあったと聞きました。そこで暮らす子が恋をしてしまい、けれどその想い人と結ばれることはできず……
これです。これなら楽器の切ない雰囲気とも合います。なんか急に想像が捗ってきましたっ、書けます! これなら書けそうです!
まずは一個目のメロディのところで最初に片想いをしてしまった時の出会いを書いて……次の二個目のメロディで恋する気持ちの昂りを文字にしましょう。せっかく紅灯というお題がありますから風景描写が欲しいですね。紅灯とその中で映える鮮やかな桜色の着物の人……その姿が夜の闇の中に浮かび上がって美しく……その描写にどきどきを込めて綺麗に表現……そして盛り上がる二個目のメロディで恋心を書きます! 質素な着物とやつれた自分、そこに美しい人との対比、身分違いの恋愛、でも抑え切れない高鳴り……
うん、いいですね!
わたしもしかして才能があるのでしょうか?
では次の繰り返しもいきましょう。
まず一個目ではそんな美しい人を間近で見てしまった体験を書きます。綺麗なもの、きらきらしたところ、風景と人物描写で心情は一旦抑える……そして二個目で思わず声を掛けてしまう主人公を書きます。言葉を交わしてしまう、どきどきが止まらない、でもすぐに終わってしまう、最後のにこっと微笑んだ表情が忘れられない……
ここから『ばいおりん』と『ちぇろ』と琴が重なる切ない演奏がちょっと続きます。
まるで主人公の心の高鳴りが弦楽器で表現され、しかし切ない現実がお琴の音色でひっそりと染み込んでくる……そして最後は悲劇。名前も知らない誰かに身売りされてしまう主人公、悲しい叫びが心中で響き、その切なる祈りは誰にも届かず、最後は琴の音色だけになって儚く夢は散り―
…………
あれ、書けちゃいました。
えっ、わたし、ひとりで書けちゃった?
「うう……わあぁぁっ!!」
やったぁ! 書けました!
自信作です! これでわたしも奏水さんの番として立派に舞台に立てそうです!
あっ、でも待ってください。
この前奏水さんにだめ出しされたことを思い出しましょう。
感情が昂る高い音は「あ」の音を使うと綺麗に発声できます。
ふむ、じゃあここの母音は直したいし、言葉自体を違うものに入れ替えましょう。
こっちは語尾を変えればいいですね。より切なく響くように、っと。
そして最後の部分は悲痛な叫びが木霊するところです。
ちょっと強く発音して悲壮感を出したいですね。では逆に濁音を増やしてもがいている感じにしましょう。この言葉、ちょっと綺麗すぎるので世俗的な単語に置き換えて―
うーん、大体こんな感じですか?
あとは一度歌ってみて気になったところを修正しましょう。
……あっ、奏水さんが言ってた自分で詞を書く利点ってこういうことなんですね。
しっくりこない、歌いづらいところを自分で直せる。わたしの喉や発声に合った音に置き換えられる。なるほど、いまさら腑に落ちました。やっぱり奏水さんは先見の明があります。
さて、じゃあヘッドホンを付け直して、再生をぽちっと押して―
よし、歌ってみましょう!




