腐肉の夢
ボクは腐った肉の匂いに慣れている。
*
夏の終わり、ボクは廃屋の庭で膝をついていた。掌に食い込む土の冷たさ。地面に這いつくばり、シャベルで穴を掘る。土を掻き出すたびに、ミミズやヤスデが断面から姿を現す。切断された身体をくねらせて蠢く様は、まるでボク自身を見ているようだった。
穴は既に五十センチほどの深さになっている。もう少しだ。あと三十センチ掘れば充分だろう。額から汗が滴り落ち、土を濡らす。シャツは背中に張り付いて不快だが、手を止めるわけにはいかない。
「なあ、手伝えよ」
後ろに立つ男に声をかけた。鈴本だ。高校の同級生で、見た目は爽やかだが中身は腐っている。今日もヘラヘラと笑いながら、ボクの作業を眺めているだけだ。
「やだよ、服汚れるじゃん」
「お前が持ってきたんだろうが」
ボクは振り向かずに言った。鈴本が持ってきたもの――それは黒いゴミ袋に包まれた、異様に重い何かだった。袋の口は結束線で固く縛られ、中身は見えない。だが匂いで分かる。生臭さと、微かな腐敗臭。
「だからって俺が埋めるとは言ってないし」
鈴本は相変わらずヘラヘラしている。こいつはいつもこうだ。面倒な部分は全部人に押し付けて、自分は安全な場所から眺めている。
「お前、本当にクズだな」
「そう言うなよ。お前、こういうの好きだろ?」
*
穴が完成した。深さ八十センチ、幅は六十センチほど。鈴本が黒いゴミ袋を引きずってくる。ずるずると地面を這う音。袋の底から、赤黒い液体が染み出している。
「重いな、これ」
鈴本が袋を穴の縁まで運ぶ。ボクは立ち上がり、軍手についた土を払った。袋を覗き込む。結束線を切ると、袋の口が開いた。
――中身は犬だった。
いや、犬だったものだ。毛並みは茶色で、中型犬。首から下が異様に膨れ上がり、腹部は破裂している。内臓が飛び出し、蛆が無数に這っている。白くて小さな身体をくねらせながら、肉を貪り食っている。目は濁り、舌は黒ずんでいた。
「……交通事故か?」
「さあ。道端で死んでたから拾ってきた」
鈴本は無表情で答えた。嘘だと思った。この犬の死体には、明らかに不自然な傷がある。肋骨が折れて突き出ている。頭蓋骨には陥没がある。これは事故じゃない。誰かが殴り殺したんだ。
「お前がやったのか」
「証拠は?」
ヘラヘラ笑う鈴本。ボクは何も言わず、袋を穴に蹴り落とした。ドサリという鈍い音。蛆が数匹、穴の外に飛び出して地面を這う。ボクはそれを靴底で踏み潰した。
シャベルで土を掻き込む。一回、二回、三回。土が死体を覆っていく。蛆も、腐肉も、すべて土の下へ消えていく。
「なあ」
鈴本が口を開いた。
「次はもっと大きいの、埋めようぜ」
「はあ?」
「犬じゃつまんねえだろ。もっと――」
*
土を被せ終わり、足で踏み固める。表面を平らにならして、その上に雑草を被せた。これで分からないだろう。鈴本は黙ったまま、ボクの作業を見ていた。さっきまでのヘラヘラした様子は消えている。
「じゃあな」
ボクはシャベルを肩に担ぎ、廃屋の庭を後にした。振り返らない。鈴本が何を考えているかなんて、どうでもいい。
夕暮れの空は血のように赤かった。遠くで鴉が鳴いている。ボクの手は土と汗にまみれ、爪の間には黒い汚れが詰まっている。だが不思議と嫌な気分ではなかった。
腐肉の匂いは、もう消えていた。いや、ボクの鼻が慣れてしまっただけかもしれない。家に帰れば、また母親の怒鳴り声が聞こえるだろう。妹が泣き叫んでいるだろう。それでも構わない。ボクはもう、何も感じない。
感じたくない。感じることを、やめたんだ。
*
――その夜、ボクは夢を見た。
廃屋の庭で、土が盛り上がっている。何かが地中から這い出そうとしている。土を押しのけ、地面に亀裂が走る。
黒い犬が穴から這い出してくる。いや、犬の形をした何かだ。腐った肉が剥がれ落ち、骨が露出している。眼窩には蛆が蠢いている。それでもその生き物はボクを見つめている。
「お前も、こっちへ来い」
犬が口を開いた。腐臭が溢れ出す。
「お前の場所は、ここだ」
ボクは動けなかった。足が地面に縫い付けられたように動かない。犬が近づいてくる。一歩、また一歩。肉が剥がれ落ちるたびに、ボタボタと音を立てる。
そして犬がボクの足元に到達した時――。
ボクは目を覚ました。
*
朝だった。窓から差し込む光が眩しい。身体は汗でびっしょりだった。心臓が早鐘を打っている。夢だ。ただの夢だ。
そう自分に言い聞かせたが、部屋には微かに腐肉の匂いが漂っていた。ボクは爪の間に詰まった黒い土を見つめた。昨日、洗い流したはずなのに、また戻っている。
――ボクは腐った肉の匂いに慣れている。
だから、この匂いだけは、決して消えない。
その時、携帯電話が鳴った。鈴本からのショートメール。
『もっと大きいのを拾ったぞ』




