ヒロインは闇堕ちしました
全身が痛み、身体が熱を発している。
先ほど伯爵家のお嬢様から、鞭で背中を打たれたからだ。
痛みで気絶して、手当もされずにここに放り込まれたようだ。
朦朧とする意識の中で、私は理解した。
『私』が死んで、空っぽの身体に引っ張られた私が、新しいこの身体の主であると。
そしてこの世界が、前の世界で言う乙女ゲームの世界だと言うことを。
いわゆる、乙女ゲーム転移?だ。
転生ではない。
だって身体の持ち主である前の『私』は、死んでいるから。
魂だけ転移して、憑依した感じだ。
乙女ゲーム『福音の神子』。
学園物とバトル物の要素があり、その中で出会った5人の男性と恋愛しつつ、世界を救う内容だ。
私はパッケージのイラストと口コミに惹かれ、ゲームを始めた。
だが思っていたよりもしっくりこなかったため、一人も攻略せずに投げ出してしまった。
評判はまずまずだったけど、私には響かなかった。
ゲーム名とあらすじは覚えているけど、詳しい内容は全くわからない。
乙女ゲームの世界に来ると知っていたなら、無理にでも全クリしていたのにと後悔している。
ただ一つわかるのは、私がヒロインだと言うことだけ。
小説やラノベは好きだったので、ゲームの世界に転生しちゃった系の話も好んで読んでいた。
そこから推察するに、よくある不遇なヒロインが、成り上がるやつだと思う。
どれだけ痛くても、辛くても、ヒロインだから死にはしない。
だからと言って、いつまで耐えればいいのか。
いつ助け出されるのか、わからない。
死ななければいいと言う問題ではない。
埃の被った古い物置部屋。
ご飯は、こっそり残飯を漁る日々。
出来ないことを押し付けられて、案の定、出来なくて鞭で打つ。
伯爵家の人間や使用人たちからも疎まれ、暴言、暴力は日常茶飯事。
私たちが何をしたと言うのか。
いや、理由は知っている。
ご丁寧に教えてくれる人がいたから。
みんなから慕われていた伯爵夫人である母親が、『私』を出産する時に亡くなったからだ。
出産にリスクは付きものだ。
それが嫌なら、子作りしなければよかったじゃないか。
もしくは、命が危なくなった時点で、『私』を殺していればよかった。
それなのに人殺しと責められるのは、違うだろう。
ラノベでもよくある設定だったが、私はいつも言いたかった。
リスクを承知で、子どもを望んだ親の責任だ、と。
生まれた子どもを責めるのは、唯の八つ当たりに過ぎないぞ、と。
ああ、考えていたら、物凄く腹が立ってきた。
私たちのせいではない。
ふざけるな。
あんな奴ら、みんな居なくなってしまえ。
私と『私』の負の感情が渦巻き、相乗効果で何倍にも膨れ上がる。
悔しい。
悔しい。
憎い。
痛い。
辛い。
悲しい。
寂しい。
私に力があれば、あいつらにやり返せるのに。
どうして私は弱い?
どうして力がない?
力が欲しい。
私がヒロインなら、力を寄越せ!!
渦巻く負の感情に身を委ね、魂の奥底にあった枷を引き千切る。
それは決して、触れてはならない力。
触れられるはずのない力。
神によって枷がかけられていた、禁忌の力。
かつて人は、誰もがその力を持っていた。
力を使い、神と交信し、国を富ませた。
けれどその強すぎる力は、人の心を蝕み、負の感情を増幅させる原因となってしまった。
次第に、人を国を自然を蝕み、破滅へと導く結果となってしまった。
故に神々は、その力が使えないように魂の奥底に封じ込め、何重にも枷をかけたのだ。
それを今、ヒロインの力で無理矢理引き摺り出した。
幼い身体と真っ白な魂に、膨大な負荷がかかる。
それは生きたまま、身を引き千切られる苦痛を伴う。
「う、あぁぁぁ…」
その力の片鱗を感知した世界が騒めき、やがて神々の世界にも伝播する。
そして、よりにもよって、繋がってはいけない神と繋がってしまった。
「ほう、人間の癖に、面白いことをしているな。」
「とても心地いい、負の感情。実に良い。それを寄越しなさい、人間。」
「お前の望む通り、力をやろう。その代わり、私たちにその感情を捧げろ。」
「さあ、早く。」
「……何でもあげる。だから、力をちょうだい!!」
「「契約成立。」」
「死ぬなよ、人間。」
「精々、楽しませなさい。」
姿の見えない声だけの存在に、躊躇いもなく差し出した。
幾何学模様の陣が、私を中心に広がる。
見たことがないほど、あらゆる色を煮詰めた混沌の黒。
見えない鎖で、繋がれた感覚がした。
魂に直接刻まれた混沌の鎖。
この先、死んで転生したとしても、決して逃れることのできない永劫の鎖。
それが繋がれた。
灼熱の炎と厳寒の氷に晒された魂は、軋みをあげる。
私は見えない魂が砕けないように、身体を抱えて必死で繋ぎ止めた。
どれほどの時間を耐えていただろうか。
いつの間にか気絶していたらしい。
けれど私は生きている。
生きて、力を手に入れた。
鞭で打たれた傷も、傷から出た熱も感じない。
あるのはただ、混沌の力のみ。
力を得て、確信した。
私が契約したのは、世界に混沌をもたらす魔神であることを。
神が私を助けてくれないなら、力をくれた魔神に全てを捧げよう。
私は光に背を向け、深淵の闇へと一歩踏み出したのだった。
かくして、神から福音を受けて、世界を救う唯一の神子になるはずだった少女は、魔神の神子となって、世界に混沌を齎すことになった。
だが人々は、まだそれを知らないでいた。




