8_酒場へ
2025.8.31 一部表現等を修正しました。
「……そういえば、ですけど」
「ルナちゃん、どうした? 私に何か聞きたいことあった?」
「いえ、この後会う方……“初例”の方、この前晴香さんが仰っていた“泥棒猫”のことだと思うんですけど、どういう方なのかな……って。さっきまでの話を聞いていた限りでは、晴香さんとは、随分と仲が悪そうに見えますけど」
カゲトが指定した時間まで待つ間、部屋に戻っていると、晴香さんがなぜか部屋に来ていた。
“泥棒猫”の話が気になっていた私は、つい彼女に聞いてしまった。
「そうねえ……でも、あの娘との仲自体は、そう悪くないわ。ただ、問題なのは、あの朴念仁が、四十にもなって、嫁と子供がいながら、未だに年下の誰に対しても、貴方みたいに優しく接していることが、私にとっては不快なだけよ。しかも、よりによって、私の目の前で、さも当然かのように、堂々とやるのが余計に、ねぇ……。兄上も、どうして……いや、これは違うわね。彼女が“初例”なのだから」
明らかな愚痴も中にはみられるが、目の前の皇女様が亭主の言動・行動を嫌がる理由も分かる。
「……ただの嫉妬じゃないですか、それ」
「当たり前でしょ!? 嫁と子供を放っておいて普段は軍務に邁進。それで、何か事件が起きる度に、しれっと女を連れて屋敷に上がり込むんだよ!? それも、それがさも当然みたいにしているのも、ねえ? 余計に腹が立つ……」
「晴香さんのお怒りは、ご尤もかもしれませんが……カゲトも貴方に角が立つのを防ぐために表に立ってるのかも知れませんし」
なんとかして宥めようとするが、一向に晴香さんの怒りは収まらない。
「だとしたら、なんで、私にいちいち紹介もするのかな……」
「……何となく言いたいことも分かりますが、それは、もう、そこまでにして下さい。
それで、どんな方なんですか?」
「……まあいいや、言いたいことはたくさんあるけど」
にじみ出る怒りをなんとか抑えて貰い、話題を無理矢理変えようとする。
「それで、彼女のことね。一言で言うのなら、だけど……天才、ね。人の気持ちを読み取る天才。
今回、兄上――陛下が、カゲトに、ルナちゃんと彼女を引き合わせるよう命令した……そういうことになっているみたいだけど、多分、貴方をこの屋敷に連れてきた時点で、すぐに連絡は取ってたと思うよ。その時点で彼女も何となく、巻き込まれるかもと察してたんじゃない?
……だけど、正式に申し入れが入っても、この屋敷に来ることを拒否して、彼女の酒場へ呼びつけたのは、極力面倒ごとには巻き込まれたくない……そう考えたんじゃない? 多分、だけど」
天才。人の気持ちを読み取る、天才。
昔の記憶にその言葉が引っかかる。
「天才、ですか」
「本人はそう言って囃し立てて欲しくはないと思うけど、紛うことなき天才だね」
昔の記憶を少しずつ辿る。その中で、同じように言われていた人が一人、思い浮かぶ。
「後で本人にも色々聞いてみるといいよ。本来なら幹部待遇で、どこかには残れたみたいだけど……戦争に従事した者の、被害者に対する贖罪だなんだといって、公の舞台からおりてしまった、みたいよ」
晴香さんの話を聞けば聞くほど、頭の中に鮮明に一人の女性が浮かぶ。
彼女は天才と呼ばれること、持ち上げられることを明確に嫌がっていた。
それに、周囲がそう持ち上げていたことにも辟易としていたと、かつて私にも語ってくれていた、彼女の名前が浮かぶ。
「その方の名前って、リカ、さん……です、か?」
「凄いね、ルナちゃん……でも、どうして分かったの? もしかして、彼女のこと、知ってるの?」
「……いえ、その人は、過去に、私に色々なことを教えてくれていた、学校の先生だった……多分、その人だと思うので。
だけど、数年前に、私と同じよう……かは知らないですけど、“死んだ”と聞いていたので……」
「へぇ、あの娘が、先生……ねぇ」
「私にはとても優しい先生でしたよ。でも……」
「いいわよ。言えないことを無理に言おうとしなくても。その顔、泣きそうだよ?」
「……先生が、私のこと、覚えてないかも。そう思っちゃって……」
私が軽く涙ぐみながら話すと、晴香さんはポンポンと頭を軽く叩きながら答えた。
「大丈夫よ……多分、それは無いと思うわ。彼女、ここに居た頃は、ずっと自分とは別の何か、少し違うことの心配をしていたのよ……何かは判らないけど。貴方のこともその一つじゃない?」
「……そう、ですかね?」
「それなりに付き合いがあれば、覚えてるわよ。何年くらい? 彼女との付き合いは」
「……大体ですけど、六年くらい、だったと思います」
「最後に連絡を取ったのは?」
「……四年くらい前、だったと思います。それが最後に会ったとき、ですね」
「……おかしいわね、多少ズレがあったとしても、時間が合わない」
私が忘れられないことは、間違いようのないことだと思っていた。だから、それが合わない筈はないと思い、思わずぽかんとしてしまう。
「彼女が拾われたのは、四年半くらい前。でも、ルナちゃんと彼女が最後に会ったのが四年前……」
お互いに訳が分からず、考え込んでしまう。暦に違いがないとあり得ないだろう。
「すみません……一年って、何日ですか? もしかしたら、そこがズレの元、かも」
「一年が何日って……一ヵ月が二九日だから、三四八日だけど?」
「だったら、こっちの……元の世界と、やっぱり違う。微妙にだけど、ずれてる」
晴香さんの言葉で、全てが繋がった。基本的に三六五日が一年の元の世界と、一年が三四八日となっているこの世界。二〇日近くもずれていれば、年度の感覚も大きく変わる。
「……ともかく、四年だろうと、四年半だろうと、彼女がルナちゃんのことを忘れている……そうは思えないよ」
「そう……ですかね」
「ルナ、そろそろ時間だ。出立するぞ」
どうやら時間になっていたみたいだった。カゲトが扉を開けて入ってくる。
「よく起きてこれたわね」
「私がいましたから」
「……そう」
カゲトはどうやら、普段は寝起きが悪いみたいだが、副官もいる手前では、下手には寝こける訳にはいかないようだった。晴香さんは相変わらずなのか、冷めた目をしていた。
「ちょっと町外れにあるからな……馬車を用意してある。これに乗っていくから」
「分かった」
カゲト、そしてその副官のマリさんと一緒に馬車の中へ乗り込み、彼女の待つ酒場へと向かった。
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