12_記憶と過去
2025.10.17 改稿しました。
ルナとリカが酒場で再開したその日の夕方。
リカとカゲトとの話し合いも終わり、ルナはリカの邸宅に居候のような形で住むことが決まった。
リカの邸宅は広大であり、彼女の弟子達もそれぞれ住んでいたため、一人増えたところで変わらないとのことだった。
ルナは、マリの部屋やリカ自身の居室にほど近い一室を割り当てられることになった。
借りることになった部屋の中で、ルナはしばしの休息を取っていた。そこに、コンコン、と扉を叩く音がした。
ルナは休息を邪魔されたことで、少しだけ顔を強張らせるが、部屋の扉は彼女の想定とは裏腹に、がらりと無遠慮に開けられる。
開いた扉の先にいたのは、この邸宅の主と、それに付いてきていたマリの二人だけだった。
「先生、どうしました?」
ルナは恐る恐る、リカに問いかけた。普段は自分から干渉しようとはしない“先生”が、わざわざこの部屋へと足を運んだ理由をルナは知りたかっただけだった。
ルナの問いかけにリカは、声のトーンを低くして答えた。
「あの酒場で、カゲトも居る中で、下手に問い詰めるのはさすがに酷かなと思ったから、改めて、三人で話をしたいと思っただけよ。
あたしが言えたことかは別として……恩人の言葉を無視して、この世界へと“来てしまった”、分からず屋のきかん坊に、何があったのか、をね」
そう言い放つリカの声色には、どこか怒気のような、それでいて呆れもあるようなニュアンスが含まれていた。
ルナは、言われた内容はある程度想定できていたものの、どうしてリカが、マリも参加させたのか理解できていないまま、彼女の話を聞く。
「どうせ、――――なんだろう?」
リカの放った言葉は、ルナの心を深く突き刺し、マリは軽く青ざめる。
そう言ったリカも、若干、彼女への同情も含んでいたのだろうか。哀れむような顔だった。
「……私が、きかん坊呼ばわりされるのなら、先生は――」
「ルナも、あたしを、薄情者だと言いたいんでしょ?
……貴女に言われずとも、分かってるわよ。あたしが、とてつもなく薄情者だったってことは」
どうにか言い返そうとするルナだったが、リカは簡単に自分の非も認めてしまう。
「ねえ……なら、なんで、なんで勝手にいなくなったの!? ……ねえ!」
ルナは悲しいような、怒りたいような、いろいろな感情がぶつかり合って、ぐしゃぐしゃになっていた。そのせいで、それ以上の言葉を続けられなくなっていた。
「……ごめんなさい。あのときは、ね……でも、また、こうして会えて良かった」
リカは感情を抑えられなくなった少女を抱き寄せるようにし、落ち着くまでなだめていた。
ルナはようやく落ち着いたと思えば、疲労が溜まっていたのかリカの膝元で眠ってしまっていた。それを見て、今までと何かが違うと思ったマリが一言呟いた。
「師匠って、随分とドライですよね。この子以外には」
「あら? ルナに対しての、先の話を聞いても、そう思う?」
「……はい。多分ですけど……ギルとか、旅団の誰かが泣いていたとしても、多分師匠は放っておくと思いますから」
マリが返した言葉はあさっての方向に行っており、思わずリカは笑ってしまう。
「まあ……この娘だけは、ルナだけは、特別かもね。この娘自身、色々と抱えていたモノがあったし……」
リカは、“向こうの世界”での出来事を少しずつ思い出していく。その中で、彼女への世話は、随分としたことを鮮明に思い出せた。
小学生のときに、大変な目に遭い、当時はほとんど時が止まっていたようにも見えたルナを、担任教師という枠を飛び越え、まるで親代わりのように接していた。
「そう、なんですね……ルナさんに関して、師匠から何か教えられることって、ありますか? 例えば、こういうことがあった、とか」
何も知らないマリは、二人の過去に、そしてルナの抱える秘密に、心惹かれていた。
だが、リカは、それを知っているからこそ、例え信頼できる弟子であったとしても、本当に話しても良いものなのか、考えていた。
二人の話していた内容を、何も知らないままルナは目覚める。気付けば、彼女の流していた涙は止まっていた。
「……起きたね。ルナ、少し、昔の話をしてもいい?」
「……ん、いつの……?」
「あたしと初めて会ってから、ちゃんと学校に、通えるようになるまでのこと」
そう聞いて、ルナは顔を少しだけ曇らせた。
彼女は”それ”があった故に、ほとんどの人から理解を得られず、大きく苦しみながら育った……そう呼んでも差し支えないほどだった。
しかし、彼女の返答は、少し明るいものだった。
「……いいよ、私は。私から喋るのは、今も嫌。だけど、先生が、先生から見た、見えていたモノは私も気になる。それに……」
「それに?」
「今、あのときのこと……どうしてここに来たのか、多分だけど、思い出した。
あと、この世界に来てから、あいつが、レイが、『中』にいない」
「……は?」
唐突なルナの告白に、リカは唖然としていた。
******
その後、リカが話した内容は、非常に残酷で、衝撃的なものだった。
ルナには、過去のトラウマがきっかけとなって、いわゆる多重人格と呼ばれる状態になったという。
ルナの場合、二人の人格――厳密には四人だと後でルナから訂正が入った――が、一人の人間の中に存在していた。
マリはこの話をした時点で、既によく分かっていない顔をしていたが、あえてリカは話を続けた。
普段は元からいた、所謂主人格と呼称されるルナと、もう一人の人格――レイと名乗ったらしい――が生活していたという。
しかし、完全に別個の人格となっているが故に、最初期、それを信じられていなかったときは、それぞれが聞いた情報は共有されることがなかった。
そのためにリカは、全く同じことを二回教える必要があり、悩むこともあったということだった。
情報の共有は最初こそできなかったものの、全ての人格が生活に慣れていくうちに、交換ノートの要領で情報の共有をし始めたという。
それ以降、学校へと少しずつ通うようになっていった彼女の学校での成績も格段に向上していったという。
マリは、二人が言う元の世界の環境についても気になっていたが、それはまた別の機会に、と流されていた。
その後、普段は絶対言わないけど、と前置きをした上でルナは補足をした。
曰く、リカがこの世界に来た頃、統合、つまりは人格の誰かが他の人格と一つになることで、四人だったのが三人になっていたらしい。これにはリカも驚いていた。
その結果、ルナの中でのバランスが少し崩れて、不安定になったことで、危機感を全員が感じたのだろうか、だんだんと頭の中で記憶の共有が自然とできるようになっていったという。
完全に意思疎通が可能になったと思われる頃……つまり、あの滝壺で発見される一週間ほど前に、一番精神面で不安定だった人格が、不意に、この世界へ来るきっかけを与えたのだろう、と言う。
此処までの話を聞いて、マリは頭の中をうまく整理できないでいたため、ルナが話し終えてすぐに、その部屋を後にした。
結果的には、自室へ戻ってもあまり理解できる話ではなかった。
ただ、今まで頑なにルナが自身のことを語らなかった理由だけはよく分かった。
少なくとも、そういうことが、起きることがあることを理解していなければ、それは夢物語の類でしかない。
話を聞いて貰えたとしても、まともな対応が見込めない。それどころか、下手な捉え方をされてしまえば、どうなるか分かったものではない。
彼女の上官であるカゲトですら、これを聞いたところで、どういう反応をするのかが分からない。
この世界で、このことを知られてしまったら、異常な人間だと考えられて、二度と日の光を浴びることができるのか分からないと……ルナはどこであっても、常にその恐怖を抱えていたのだろう。
これを言うことで、果たして帝国は、陸軍は、カゲトはどう考えるのだろうか。
状況によっては、マリは上官たるカゲトには話さなければならないことではあろうが、先程、マリ自身が考えていた通りにならないかを気にしてしまう。
マリは結局、時が来るまで、記憶の中に閉じ込めてくべきと考えた。
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