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6.契約主

 リンネアは謁見の間から衛兵に連れられ、静かな廊下を進んでいた。彼女の心は、怒涛の展開についていけず、胸が苦しくなるほどの不安と混乱でいっぱいだ。


 やがて彼らは大きな扉の前で立ち止まる。扉には繊細な草花模様が刻まれ、中央には帝国の紋章が描かれていた。


「こちらが皇妃殿下のお部屋でございます」

 衛兵に案内されてリンネアが足を踏み入れた部屋は、今まで見たこともないような贅沢な空間だった。


 高い天井からは繊細な装飾が施されたシャンデリアが下がり、壁には柔らかなクリーム色と金色の縁取りが施された上品なデザイン。窓から差し込む光が床の大理石を滑らかに輝かせている。


「はじめまして、侍女長のエリダと申します」

 背後から声をかけられて、リンネアはハッと振り返った。


 落ち着いた声で挨拶してきたのは、お仕着せに身を包んだ聡明な顔立ちの女性だ。年の頃は四、五十代といったところだろうか。少しだけ張りのある声が、自信に満ちた彼女の性格を表しているようだ。


「は、はじめまして、リンネア・アライネです」

 黙ったままなのも失礼かと思い、こちらも頭を下げた。


「リンネア様、どうぞよろしくお願いいたします。それとこちらは、アメリーとジゼルです。本日より、あなた様の身の回りのお世話をさせていただきます」

 エリダの隣に立っていた若い二人の侍女が揃って頭を下げた。


 アメリーは薄い栗色の髪をふんわりとまとめた、可愛らしい印象の女性で、ほんのり頬を染めて微笑んでいる。ジゼルはそれとは対照的に、きっちりと編み込まれた黒髪と涼しげな目元が印象的だ。彼女はリンネアに向けて少し緊張した笑みを浮かべていた。


「ただ今お茶を淹れてまいります。夜会のご準備はその後いたしましょう」

 アメリーが柔らかな声でそう言い、ジゼルも無言で頷く。


 リンネアは戸惑いながらも「ありがとうございます」と小さな声で答えた。


 侍女たちが丁寧に一礼して部屋を出て行くと、彼女だけになった部屋には静かな空気が訪れる。


 そっとソファにぬいぐるみを置くと、改めて部屋を見渡した。壁にかけられた絵画や、刺繍が施されたカーテンはどれも見事だ。けれどそれ以上に目を引いたのは、大きな窓の向こうに広がる景色だった。


 窓辺に近づいてレースのカーテンを捲ると、緑の芝生に色とりどりの花が並ぶ庭園が広がっている。整然とした花壇の間を石畳の小道が走り、中央には噴水が水しぶきをあげていた。


「……別世界に来たみたい」

 思わずぽつりとつぶやいたその瞬間――。


あるじはどこから来たの?」

 背後から聞き慣れない声がして、リンネアは驚いて振り返る。


 目を凝らしても部屋には誰もいない。だが、ふとソファの上を見て、彼女は息を飲んだ。

 さきほどまで座らせておいたぬいぐるみが、立ち上がっていたのだ。


「え……嘘……っ!?」

 目の錯覚かと思って目をこするが、ぬいぐるみ――深紅の焔獣(フランムルージュ)は短い手足を使って器用にバランスを取りながら、彼女の方を向いて立っている。


「そんなに驚かないでよ。これでも僕は、元々動ける存在なんだから」

 声の主は、まぎれもなくそのぬいぐるみだった。口がわずかに開き、そこから声が響いている。


「フランちゃんが……しゃ、喋ったぁぁぁ……っ!?」

 リンネアはびっくりして後ずさる。


 すると、ぬいぐるみ――フランも黒曜石のような瞳をまん丸にして(いや、もともとガラス玉のような大きな瞳だったが)、前足を万歳をするように上げた。


「わぁっ、急にそんな大きな声出さないでよ!」

 フランは、なおも腕を上げたまま。


「な、なにそのポーズ……?」


「威嚇してるんだけど? もっと怖がってよ」

 もう一度フランは両腕を上げるが、リンネアは目を輝かせるだけだった。


「か、かわいい……」

 動いている所は愛くるしいだろうなと思っていたが、これほどとは。


「ていうか、フランちゃんって何?」

 フランは、ため息をつきながら諦めたように腕を下ろした。


「フランムルージュのぬいぐるみだからフランちゃん。買ったら、そう名前を付けようと思ってたの。でも、あなた……お店にあったものじゃないわよね?」

 リンネアは目を瞬かせて尋ねる。


「違うよ。僕の新しい契約主である君が、僕にこの姿でいてほしいと願った。だから、剣からコレになったわけ」

 フランは、耳をぴくぴくと動かし、やや不満げに首を振った。


「契約主?」

 目を丸くするリンネアに、フランはすました口調で続ける。


「千年前に竜が封印されたのは知っているだろう? エインヘリアの初代の王と聖剣の乙女の話」


「それは……ただのおとぎ話でしょ?」


 千年前、大陸に暴れ竜がいた。そこで立ちあがったのが初代エインヘリア国王と、彼に並び立つ乙女。彼女の手には聖なる剣があった。それを扱えるのは乙女のみだったという。

 二人は力を合わせて竜を封印し、大陸にあった国々はエインヘリアの(もと)に一つとなった。


 やがて乙女は一人旅立つが、その際に残した言葉がある。


 ――聖剣が抜かれる時、竜が再び甦る。次なる聖剣の乙女がエインヘリアの王と共に禍に立ち向かえば、大陸に平和をもたらすであろう。すなわち二人が結ばれることは運命(さだめ)であり、誰にも引き裂けない。


 子供の頃から聞かされてきたおとぎ話だが、思い返せば、どうやらこれが「皇妃選定の儀」のもとになっているようだ。


「創作話だとでも?」

 フランは尻尾をふさふさと振りながら、首を傾げる。


「だって竜とか……そんな突拍子もない話、信じられないわよ」

 言葉に込められた意味を理解しようとするリンネアの頭は、混乱していた。


「聖剣が抜かれたってことは――つまり、前の契約主の魔力がもう尽きるということ。竜の復活は近いな」


「よくわからないわ。その人は千年も生きているの?」


「そういうわけじゃない。彼女の魂が今も――」

 フランが言いかけた時、扉が軽くノックされる音が響いた。


「リンネア様、お茶をお持ちいたしました」

 侍女の声が扉越しに聞こえる。


「は、入っていいですよ」

 リンネアが答えると、ぬいぐるみは床の上にころんと転がった。そこからはうんともすんとも言わない。


「あ、あれ? フランちゃん!?」

 慌ててぬいぐるみを拾い上げ、懸命に声をかけるが、ぴくりとも動かなかった。


 その時、銀盆に白磁のティーセットを載せたワゴンを押しながらアメリ―が入ってくる。


「リンネア様、いかがなさいましたか?」

 アメリ―はいぶかしげに首をかしげた。


「な、なんでもないです!」

 リンネアは慌ててぬいぐるみをソファに置いて愛想笑いを浮かべると、その隣に腰かける。


 ――契約主。

 フランがさきほど口にした単語が気になった。


 魔女と契約できるのは悪魔のはずだ。しかし、この国では、数百年前の魔法大戦の際に多数の犠牲者が出たことから、魔法使いや魔女の印象はよくないと祖母から教わっている。悪魔も然りだ。


 だが、フランが悪魔だとすると、聖剣の乙女は、悪魔と契約ができた――()()だった可能性がある。


 ――いったい、どうなっているの?


 聞きたいことがたくさんあるのに、どうやら他の人間がいる時にはぬいぐるみに徹するスタンスらしい。


 もどかしいが、二人きりになれるのを待つしかないようだ。


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