5.冷血皇帝、猛吹雪オーラを放つ
衛兵につれられ、リンネアは、肩をすぼませて宮殿の広い廊下をひたすらに歩いていた。
案内役の衛兵たちは無言で、足音だけがやけに響く。この場違い感がなんともいえず、胸が締め付けられるような気分だ。
「……これは夢、よね?」
小声でぼやきつつ、リンネアは頬をつねってみたが、普通に痛かった。じわりと涙が出そうになる。
宮殿の内部は広々としていて、壁には歴代の皇帝たちを描いた荘厳な絵画が並んでいた。天井は高く、装飾されたアーチが幾重にも続いている。ところどころに鎮座する黄金の彫像や、足元に敷かれた真紅の絨毯――どこを見ても、圧倒されるばかりの豪華さだ。
「こちらです」
無機質な声に促され、リンネアは厚みのある扉の前で立ち止まった。
緊張のあまり、すでに喉がカラカラだ。
扉が静かに開かれ、目の前には謁見の間が広がった。豪奢なシャンデリア、真紅の絨毯が導く道、その先の壇上にある金の玉座。威圧感が空間全体を支配している。
「陛下がいらっしゃるまで顔は上げないように。先に言葉を発するのもいけません」
衛兵の一言に押され、リンネアは半ばふらつきながら一歩踏み出した。
広い謁見の間で、リンネアはひたすら自分の鼓動が響くのを感じていた。手に抱えたぬいぐるみが微妙に重い。
――非常事態発生。
そう思っても、ここに彼女を助けてくれる者はいない。
やがてラーシュが姿を現し、リンネアに言葉を投げる。
「聖剣を抜いたのはそなたか。顔を上げて、名を申せ」
冷ややかなその声は威厳に満ちていて、リンネアの心臓を一気に締め上げた。
「……はい。リンネア・ライネと申します」
震えそうになるのをなんとか堪えて返事をし、恐る恐る顔を上げる。
黄金の髪、完璧な造形の顔立ち、漆黒の礼服――どこを取っても完璧すぎる皇帝の姿が目に飛び込んできた。そしてその無感情なアメジスト色の瞳が、リンネアの心をさらに萎縮させる。
「そなたを余の妃とする」
ラーシュは唐突にそう宣言した。
淡々とした声色に、リンネアはぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。
「い、いえ……私はただの平民で……皇妃など畏れ多く……」
逃げそうになる視線が揺れて、きっと自分は挙動不審な人物として彼の目に映っているんだろうなと思ったら泣きたくなった。
そして、ついに聖剣のありかをきかれ、手にしているぬいぐるみが聖剣だと伝えたのだが、どうにもわかってもらえないようだ。
「余は、聖剣がどこにあるのかと聞いたのだが?」
――ああ、もう、どうしてこんなことになってしまったの〜?
「ですから、抜いた聖剣が勝手にこのぬいぐるみに変わってしまったのです」
彼女は「勝手に」を強調してみた。
本当のことだったので、そこはぬいぐるみを下ろし、顔を覗かせて自信をもって返答できる。
「その狸が?」
「いえ、これは東方の森の守護者で、深紅の焔獣……の、ぬいぐるみです」
第一印象はたしかに狸に見えなくもないが、よく見ると全然違うのだ。
愛らしいこのぬいぐるみは、全体的に丸いフォルムをしていた。鮮やかな赤褐色の毛並みを再現した背中、短い四肢は漆黒で、ふさふさの長い尻尾は薄い輪状の模様がある。
顔も丸いが、耳は大きく尖っている。顔の毛は白く、目の周りに黒い模様で囲まれているのが、愛嬌があってかわいらしい。黒い小さな鼻、同じように小ぶりな口元はにっこりと口角が上がっていた。
「それとも衛兵に預けているのか? 今夜の祝宴には必ず携えて参れよ」
「ですから、これが――」
つい、ムキになって言い返したら、ラーシュが急に立ち上がった。
――びゃー! 斬られる!
リンネアは涙目になって、とっさにぬいぐるみで顔を隠す。
「伝承には絶対に従ってもらう。そなたに一切の拒否権はない」
頭ごなしに怒鳴られたわけではないのに、恐怖で身がすくむ。
まるで正面から猛吹雪が吹きつけてくるかのよう。
「そんな……だって、私、何もしていないのに、勝手にぬいぐるみに……」
「勝手に? そんな魔法じみた話があるものか」
冴え冴えとした紫色の瞳が鋭くリンネアを睨みつける。
その視線に背中がひやりと冷たくなった彼女はハッとした。
――そうだ。もしかしたら私、無意識に魔法を使ってしまったのかもしれない。
慌ててぬいぐるみを見つめ、手に魔力が集まるように集中した。
――戻れ……元に戻れ。剣の姿になって!
だが深紅の焔獣は、きゅるんとした黒曜石のような艶のある瞳でこちらを見つめ返してくるだけだった。
やはり、リンネアの魔法によって姿が変わったわけではないようだ。
これは、かなりまずい状況だ――元に戻す方法がまったくわからない。
彼女はがっくりと肩を落とした。
「私なんかに皇妃が務まるわけないです……」
どんな仕事をするのか知らないが、少なくとも一人で町へ出かけたり、森にいって薬草探しをしたりすることではないだろう。
それに、カラスみたいに真っ黒な髪を腰の辺りまで伸ばしっぱなしにして、明らかに自分は野暮ったい。
身に着けている淡い黄色のワンピースは村長の孫娘のお古を譲り受けたフリルやリボンがくたびれたもの。どう見てもこんな荘厳な場所には似つかわしくない人間だ。
「お願いします。このぬいぐるみは必ず元の剣に戻してお返ししますから、私を解放してください」
夏空みたいに綺麗だと家族に言われたことのある青い瞳を、これでもかと言わんばかりに潤ませて情に訴えかけてみた。
内心はびくびくだ。流れる血まで凍りついていると噂される皇帝の妃なんて、恐ろしくて心臓がいくつあっても足りない。
また猛吹雪が吹きつけてくるかと思ったが、一瞬だけラーシュの表情がつらそうに歪んで見えたのは気のせいだろうか。
「これ以上議論しても無駄だということはわかった。駄々をこねるような子どもの相手をしているほど余は暇ではない」
すぐに彼は冷淡な眼差しに戻って、茨みたいな言葉でリンネアをチクチクと刺す。
「子ども!? 私、今年で二十歳です、立派な大人ですよ」
むっとして頬を丸く膨らませる。
「ふん。その狸そっくりだな」
小ばかにしたような笑いを含んだ言葉に、彼女は顔を真っ赤にした。
「あなたこそ、そんないじわるだから、いつまでも聖剣が結婚相手を見つけてくれなかったんじゃないの?」
頭にきて咄嗟に言い返してから、慌てて口をつぐんだがもう遅い。
ラーシュの周りに猛吹雪オーラが復活して、精悍な顔つきは彫像のように動かない。これは相当怒っているのだろう。
「言いたいことはそれだけか。では失礼する」
彼は感情のない声で淡々と言い放つと、玉座から立ちあがって扉に向かって歩き出した。
「ど、どうしてもいやだと言ったら……」
すべてを拒絶するような背中に、無理やりすがるように言葉を投げる。
「命はないと思え」
振り返ることなく返答したラーシュが去った後の扉は、再び開くことはなかった。
――今、命はないって言った?
「そんな……そんな理不尽なことってある〜〜!?」
モフモフを抱き締めて天を仰いだリンネアの嘆きは、極彩色のステンドグラスに吸い込まれていった。
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