4.聖剣をぬい(ぐるみに変え)てしまった
道のあちこちに屋台が並び、焼きたてのパンや甘辛いたれをつけた串焼き肉の香ばしい香りが立ち込めている。どこにも人だかりができていて、すぐには買えそうになかった。
「びくともしなかったわね、あの剣」
「ええ。皇妃になったら、綺麗なドレスを毎日着られると思ったのになあ」
「あら。あの陛下がそんな贅沢をお許しになるかしら?」
「それもそうよね。親には一応挑戦したと胸を張って答えるわ」
屋台に並んでいると、リンネアの前に立っていた若い女性たちの楽しそうな会話が耳に入ってきた。
「陛下は今年で二十五歳になるから、今年聖剣を抜く人がいなかったら、婚約者はディンケラ公爵家のエリザベト様に決まりかしら」
「平民から皇妃なんて、夢のまた夢なのよぉ」
彼女たちがため息をついて顔を上げた時に、目が合ってしまった。
「ねえ、あなたも聖剣を抜いてみた?」
突然話しかけられ、リンネアは言葉に詰まる。
「う。えっと、まだ……」
ふるふると首を横に振った。
「そうなの? もうすぐ王宮の門が閉まってしまうわよ」
女性は目を丸くした。
「そうなんですね。でも、別に皇妃とか興味ないですし……また来年もあるならそれでも……」
リンネアが笑って答えると、女性たちもつられるように笑顔を見せる。
「運試しみたいなものよ。どうせ誰にも抜けっこないわ。千年もずっとあそこにあるっていうんだもの」
「そうそう。錆もまったくついていない美しい剣だったわ。今ならほとんど待ち時間もなく挑戦できるんじゃないかしら」
「この屋台の列より、少ないわよ」
女性たちは首を揃えて頷く。
「わ、わかりました」
儀式に興味はないが、せっかく今日ここへ着いたのも何かの縁だ。
リンネアは彼女たちに軽く頭を下げ、丘の方へ向かうことにした。
「余興だっておじさんも言ってたしね」
とりあえず聖剣を眺めたら今後の生活のことを考えよう。
丘へ向かう道は広場から少し離れていて、歩いているうちに周囲の喧騒もだんだんと遠ざかっていった。
やがて、緑に囲まれた宮殿の庭にたどり着くと、そこには数人が列を作っていた。少し柄に触れただけですぐに手を離す者や、真剣に両手で懸命に引っ張ろうとしている者、さまざまだった。
「もう少し近くに行かないと、ちゃんと見えないわ……」
小柄な彼女は、つま先立ちで人の影から聖剣を覗き見しながら、前の人の後につく。
順番が近づくにつれて、周囲の緊張感が高まっているのを感じたが、彼女はそれほど大きな期待はなかった。ただ、竜を封じたという聖剣を一目見るという軽い気持ちしかない。
「聖剣が本物なら、魔力くらい秘めているはずよね」
魔女は、この世界に存在する生命力――魔力を感じ取ることで魔法を使うことができるのだ。
ただの剣では竜を封印したりできないだろう。
「やっぱり今年もだめだったなあ」
「あなた、毎年参加してたの?」
「ラーシュ陛下のお顔だけは素敵じゃない?」
「ああ……あのお方が『冷血皇帝』じゃなかったらねえ……」
落胆する者や笑っている者が前方からやってきて、リンネアとすれ違う。
そして、とうとうリンネアの番が来た。
前の女性が剣を前にしてもまったく動かせずに、苦笑いしながら立ち去っていく。
毎年みんなが余興を楽しめるように、もともと抜けない作りになっているのかもしれない。
剣は台座に垂直に固定されており、台座から見えている白銀の刃は太陽の光を弾いている。柄の部分は金と銀の美しい装飾が施されていた。その中央には真っ青な大きな宝石が嵌め込まれていて、微かに光を放っている。
「ふーん。これが、聖剣……」
リンネアは剣に近づき、柄にそっと手をかけた。
冷たい金属の感触が指先に伝わり、ふと一瞬の静寂が訪れる。
――そうだ、屋台に並び直す前にやっぱりあのぬいぐるみを買いに行こう。
リンネアは、ふと赤褐色の毛並みのぬいぐるみを頭に浮かべていた。
たとえ一文無しになっても、持ってきた薬草を売れば少しはまとまった金額になるはずだ。残り一つしかないようだったし、売り切れてしまってからでは遅い。
「んっ?」
その瞬間、柄を握っていた手が上方にずれる。驚くべきことに、剣はまるで羽のように軽く、するすると抜けてしまった。
あっさり過ぎて、魔力を感じられるか試す隙もなかった。
まさかの展開に、リンネアは自分の目を疑った。
「へ……? 嘘、抜けちゃった……?」
彼女が驚きの声を上げた瞬間、周囲もその光景を目にしてざわめき始めた。
「まさか! 本当に抜けたのか!?」
「すごい、あんなに簡単に?」
「歴史的瞬間に立ち会ってしまった!」
周りの人々の驚きと興奮の声が一斉に上がり、その場の空気が一気に変わる。
「え? え? どうして?」
リンネア自身、事態が理解できずに呆然としていたが、その驚きは次の瞬間さらに大きくなった。
抜けた聖剣は一瞬だけ虹色に光り、そして次の刹那、リンネアの手の中でふわっと柔らかいものに変わったのだ。
「な、何これ……?」
手元を見てみると、そこにあったのは手芸店で見た『深紅の焔獣』のぬいぐるみだった。
だが、さきほど店で見たものより手触りがよく、本物の毛が触れているかのようだった。
あまりの出来事に、ぽかんと口を開けて立っていることしかできない。
「ど、どういうこと!?」
うろたえながらぬいぐるみを抱きしめていると、周囲のざわめきが一気に大きくなり、あっという間に衛兵たちがリンネアの周りを囲んだ。
「聖剣の乙女殿、ラーシュ皇帝陛下の下へご案内いたします。どうぞこちらへ」
彼らは丁重ながらも、有無を言わさぬ態度で彼女を宮殿へと促した。
どうやら、この聖剣を抜いたことが一大事になってしまったらしい。
「ちょっと待って、これ……ただのぬいぐるみですけど〜⁉」
リンネアの調子はずれの声は、虚しく丘に響き渡るのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに次回はラーシュ皇帝が……!
おもしろかったら、評価、ブクマよろしくお願いいたします。