3.皇妃選定の儀
「気に入ったものはあったかい? 今日は建国祭だから、みんな大通りや王宮の方に行っちまって商売あがったりなんだ」
「あ、あの……すみません。どれも素敵なんですけど、もう少しお金を貯めてからきてもいいですか?」
リンネアは値札に記されていた価格をちらりと見てから、そっとぬいぐるみを棚に戻した。
残念だが、これを買ったら、ほとんど一文無しになってしまう。
「ありがとう。これ、俺の趣味みたいなもんなんだけどさ、『素敵』なんて言ってもらえて嬉しいよ」
店主は照れくさそうに答えた。
リンネアも自然と笑みがこぼれる。
「ところで、建国祭ってなんですか?」
そういえば宿屋の人もそう言っていたのを思い出した。
「お嬢さん、知らねえのか? 今日はヴァロケイハス王家の始祖が、千年前に聖剣を持つ乙女と共に竜を封じた日とされてる。だから、その前後の期間、町は祭りで盛り上がるのさ」
「へえ……」
竜退治の話は子供の頃に聞かされたことがある。眠る前のおとぎ話として。
だからこんなに人が多いのか。
「丘にある王宮の広場に行けばその聖剣が見れるぜ。今日だけは平民にも敷地内が解放されてるからな。毎年飽きないものだが」
「そんなに素晴らしいものなんですか?」
「というより、その聖剣を抜けるか試せるんだ。抜いた者は皇妃になれるらしい。『皇妃選定の儀』っていうんだ。平民でもかまわないっていうんで、観光客も来て盛り上がってるよ。もっとも今まで一度も抜けた人間はいないから、祭りの余興みたいなものだろうけどな」
「皇妃に……?」
リンネアは目をぱちくりさせた。
「そうさ、今回はあのラーシュ皇帝陛下の妃だから、列も短いだろうよ」
「あの……って?」
リンネアは黒髪を揺らし、首を傾げた。
「なんだ、お嬢さん。陛下の噂も届かないほど遠くからやってきたのかい?」
「あ……はは、かなり山奥に住んでいたので……」
リンネアは笑いながら、頭をかいた。
世間知らずもいいところだろう。これから皇都で一人で生きていかなくてはいけないのに、自分で自分が心配になってくる。
――これから。そう……これからいろいろと覚えていけばいいのよ。
うんうんと彼女は一人で納得し、頷いた。
「陛下は目的のためには手段を択ばない、情け容赦ねぇお方だよ。流れる血すら凍りついている『冷血皇帝』って呼ばれているくらいだ」
店主は眉をひそめ、他に聞いている者もいないのに小声になる。
「つい先日も干ばつで食糧難だった国に援助を送ったのに、その一部を中抜きした貴族がいて、そいつらみんな領地没収の上、一族郎党処刑されたって話だ」
世間話みたいにサラッと語ってくれるが、なんという恐ろしい内容だろう。
「そんな冷血漢と結婚……? それでもいいんだ」
リンネアがぽつりとつぶやくと、店主が豪快に笑った。
「娘たちも怖がっているが、もし王族の仲間入りとなればこれ以上の誉はないからと、心を決めて行っているみたいだ」
まるで生贄を差し出すみたいに言って、店主は苦笑いを浮かべる。
――そんな怖そうな人の妃なんて絶対なりたくない。
その点、リンネアは別に家の名誉のためなんて大義はないから気楽なものだ。
「でも、剣が抜けたことはないんですよね?」
「ああ。だから、もともと皇妃候補として名を連ねている令嬢の誰かが選ばれるんだろうよ」
それを聞いて、彼女は頷く。
「そうなんですね。面白い話をありがとうございました。それじゃ、私、お祭りを見て回ってきます」
そう微笑んで答えると、肩にかけた鞄をよいしょとかけ直した。
「ああ、聖剣は美しいから、まだ見たことがないなら一見の価値はあるぞ。平民には今日限りの公開だからな」
「わかりました。じゃあ、ちょっと行ってみます。またこちらにも来ますね」
早くこの町に慣れて、仕事が安定したらぬいぐるみを買うのだ。
ただ、深紅の焔獣というぬいぐるみが端にある一つだけというのが気にかかった。
――次に来るまでに売り切れませんように!
「いつでも来てくれ」
「はい。それじゃ」
にこやかな店主に別れを告げ、リンネアは広場に向かって歩き出した。