1.最後の魔女、皇都へ行く
「みんな、さようなら!」
リンネアは両手を広げて、生まれ育ったファルクス村の空気を胸いっぱい吸い込んだ。
ここは、エインヘリア帝国の北方の切り立った山々と、濃い森に囲まれた小さな集落だ。物心ついた時から慣れ親しんだ景色は、絵筆で描けるほど鮮明に記憶に刻まれている。
小さい頃に両親を流行り病で亡くし、祖母と二人で暮らしてきた家は、村の外れにあった。その祖母も先日天寿を全うした。
小川のせせらぎと鳥のさえずりに囲まれた静かな場所で、祖母が作る薬は村人たちから重宝されていた。もちろん、リンネアもその手伝いをしてきた。
薬草を摘んで煎じ、瓶詰めにする作業は手慣れたものだし、お礼に運ばれてくるパンや果物で食卓が賑わうのは悪くなかった。けれど、祖母は必要以上に彼らとの交流を避けていた。
「ごめんね、おばあちゃん。私、皇都に行くよ」
リンネアはそう一人ごちて、祖母とのやりとりを思い出す。
小さい頃、村長の孫娘が皇都スカディのお土産をくれ、リンネアは自分も皇都に行ってみたいと祖母にねだったのだが、首を縦には振ってもらえなかった。
『そんなに人がたくさんいる所に行って、魔女だということが知られたら大変だ』
祖母はそう言って、薪を積んだ暖炉に向かって人差し指を軽く振る。すると暖炉にポッと赤い火が着き、あっという間に部屋が暖かくなった。
『魔法は便利な力なのに、どうして秘密にするの? みんなも喜ぶんじゃない?』
幼いリンネアは、椅子に腰かけて空色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
かつては、たくさん魔法を使える人間がいた時代もあったらしい。
『便利だからだよ。大昔にはこの力が戦に利用された。その過ちを繰り返さないためにも、隠れて生きていかなきゃならない』
祖母は鍋に入っているスープをかき混ぜながら、肩をすくめた。
『そんなの……つまんない』
リンネアは唇を尖らせる。
『仕方がない。ご先祖様たちも好きで戦争に加担していたわけじゃないと思いたいけどね。特にエインヘリア帝国を狙おうと隣国からずいぶんと攻め込んだらしいから、帝国側も必死に戦って、魔女狩りも辞さなかったらしい』
『魔女狩り……?』
初めて聞く言葉だったけれど、なぜだかぞわりと肌が粟立ったのは本能がさせたのだろうか。
『そうさ。帝国側は魔女のことをよく思っていない。今でも見つかったらどうなるかわからないんだよ』
祖母は器にスープを盛るとリンネアの方に差し出した。
『ずいぶん前は魔女同士の秘密の交流会もあったんだが、すっかり途絶えちまった。この世に魔女はもう、私とリンネアしか残っていないかもしれない』
祖母は寂しそうに笑って、自身の分のスープを用意する。
『おばあちゃんと私だけ……?』
『おそらくね。だから、伴侶を選ぶ時は、秘密を守れる男にするんだよ』
『はんりょ……?』
『はは、リンネアにはまだ早かったね。さあ、冷めないうちに食べなさい』
祖母は笑いながら、パンやミルクをテーブルに並べてくれた。
あの時は、祖母の言っていることがよくわからなかったけれど、今ならわかる。
――うん、秘密を守れる男を選ぶなんて……無理!
そんな大事なことを、いったいどうやって見極めろというのだろうか。だいたい、人との接触を控えろと言っておいて、伴侶を探すなんて、絶対不可能に決まっている。
「私は一生独りで生きていく。最後の魔女として、自由を謳歌するのよ!」
そう宣言して、肩に斜めにかけた鞄の紐をぎゅっと掴む。その中には薬草瓶とサンドイッチが入っていた。
――人前で魔法を使わなければいいのよ。
簡単なことだと思いながら軽い足取りで歩き続け、夕方には隣町に着いたのでそこで一泊し、馬車を乗り継ぐこと数日――。
緑の平原に、白い城壁と高くそびえる塔が天を衝くように建ち、壮大な王宮の屋根が金色に輝いていた。その城壁の合間からたくさんの家々が並んでいるのが見える。明らかにこれまで通ってきた町とは比べ物にならない規模だ。
「やっと着いたんだわ、皇都へ!」
リンネアは早く馬車を降りたくて、うずうずした。
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