9.王族とご対面
なんとか息苦しさと格闘して身に纏ったドレスは、夜空に瞬く星々を思わせる、深い静寂の中で輝く宝石のような色合いで、リンネアの肌を包み込んでいた。
シルクの生地は光を受けて淡い光沢を放ち、歩を進めるたびに流れる水のようにしなやかに揺れる。その裾には微かな銀糸が織り込まれていて、まるで月明かりが波紋のように広がっているかのように美しい。
「リンネア様、とてもお似合いです」
侍女たちが満足そうに頷いているが、こちらは息をするのに精いっぱいでそれどころではなかった。
「では次はアクセサリーとお履き物と、お化粧と……」
「まだあるの〜!?」
――ここでぶっ倒れなかった私を、誰か褒めて。
その後、どこかのお姫様みたいな装いに仕上がったリンネアは、祝賀会が開かれるという大広間に向かっていた。
王族や彼らに招待された限られた人しか入れないというバルコニー席があるというので、そちらを目指し、衛兵に案内されている。
ただでさえ裾の長いドレスは足元が見えなくて不安なのに、その足には踵の高い靴を履かされていた。リンネアは深紅の焔獣のぬいぐるみを片手で抱きながら、もう片方の手でドレスの裾を摘まみ、エリダと共にひたすら慎重に長い通路を歩き続ける。
「お着きになりましたよ。皆様お揃いのようです」
エリダに言われて顔を上げると、通路の先に、数人が立っているのが見えた。
一人は会ったばかりなのですぐにわかる、あの冷血皇帝ラーシュだ。
黒を基調とした詰襟の礼服を身に着け、黄金の勲章がついた深紅のサッシュをかけている。緻密な金の刺繍が施された光沢のある濃紺のマントは床につくほど長く、謁見室で会った時よりも皇皇しい。
冷たい印象は受けるが、たしかに見目麗しい。これで優しい言葉を紡いでくれたら冷血などとは呼ばれないだろうに。
彼のそばには壮年の男女と、背の高い青年と利発そうな若い女性。こちらを見ている全員から発せられるオーラが眩しくて、リンネアは怯んでしまう。
「我々を待たせるとはいい度胸だな」
ラーシュから凍てつく言葉が飛び出すが、こちらも好きで遅れたわけではない。
「まさか、こんな格好をさせられるとは思っていなかったので」
リンネアは彼の目の前までやってくると、ひきつった笑いを浮かべた。
「まあ。お兄様に言い返す人なんて初めて見たわ」
若い女性は金色の長い睫毛の乗った目をぱちぱちと瞬く。
リンネアよりも年下に見えるが、今「お兄様」と言ったということは、彼女は彼の妹、つまり皇女ということだ。
そこから導き出される結論は、他の人物も彼の家族――ヴァロケイハス家の面々ということ。
「君が、聖剣を抜いた乙女か。案外普通の女の子なんだね。あれ、聖剣は持ってきていないの?」
ラーシュの後ろに立っている色素の薄い金髪の青年が、きょとんと目を丸くして尋ねてきた。
「え……っと」
リンネアはぎくりとした。しかし彼女が言い訳を考えるより先に、別の人物が口を開く。
「お前たち、名前も名乗らずに無礼だぞ」
白髪交じりの壮年の男性が二人をたしなめてからこちらを向き、目尻にしわを浮かべた。
「失礼した、聖剣を抜きし乙女よ。私はハーラル・ウルリク・フロド・ヴァロケイハス。ラーシュの父だ」
「は、はじめまして……リンネア・ライネです」
ぎこちなくドレスの裾を摘まみ、頭を下げる。
ラーシュの父――すなわち先代の皇帝。堂々たる雰囲気は彼に負けていない。
リンネアは小さく震えた。
「リンネアさん。私がラーシュの母のイングリッドよ。こちらはラーシュの弟のアスゲイルと妹のユーリア。あなたのご家族は? 一人で皇妃選定の儀にいらしたの?」
イングリッドは声も雰囲気も温かいのでほっとした。
「家族はいません。私一人です。ファルクス村から半月前に出てきて、たまたま今日ここでお祭りをやっていると聞いて参加しました」
そう答えるとイングリッドは目を瞠って、ハーラルと顔を見合わせていた。
「たまたま? 運命? 惹かれ合う二人……ってこと?」
きゃあっと小さく悲鳴を上げたのはユーリアだ。
「さすが聖剣の乙女だね。ところで、ぬいぐるみが好きなの?」
アスゲイルに指摘されて、リンネアは慌てて深紅の焔獣を両腕で抱きしめた。
聖剣をぬいぐるみに変えたなどと知られたら、制裁されるのではと背筋が凍る。
「もうそろそろいいだろう? 皆を待たせている」
答えに窮していると、ラーシュが、ため息交じりに会話を遮ってきた。
「それもそうだね。あとでゆっくり聞かせてもらうよ」
アスゲイルが、笑みを浮かべながらこちらに伸ばしかけた手を引っ込める。
――もしかして、今、かばってくれた?
リンネアは、ラーシュの方を見たが、彼の表情はまったく変化がない。
――そんなわけないか。
リンネアが困っているのを見て止めに入ってくれたのかと思ったが、気のせいかもしれない。
「では、参ろうか」
ハーラルがそばにいた侍従に声をかけると、扉の前に立っていた二人の衛兵が厚みのある大きな扉を両方から開いた。
途端に中から盛大なファンファーレが鳴り響き、リンネアはびくっと肩を震わせる。
「リンネア様。わたくしは大広間の方で待機しておりますね。のちほどまた」
そう言って、後ろに控えていたエリダが深く頭を下げて行ってしまう。
残されたのは皇帝一家と田舎娘だけ。不安しかない。
侍従が高らかに王族の入場を宣言し、彼らは順に進んでいった。




