プロローグ
非常事態発生。
うっかり漏らした言葉一つで、今日この日が人生最期の日になりかねない――。
リンネアは背中にだらだらと冷や汗を垂らしながら、うつむいて真紅の絨毯の上に立ち尽くしていた。
ここはエインヘリア帝国の皇都スカディの中心に位置する宮殿、その中でも最上級に荘厳な謁見室。広い空間に響く自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。
彼女は張り詰めた空気に押し潰されそうになりながら、両腕で抱きかかえていた赤褐色のふわふわしたぬいぐるみを胸にぎゅっとくっつける。
前方から扉が開く音がして、絹擦れと誰かの硬質な足音がリンネアの耳に届いた途端、胸の奥が強く締めつけられるように波打ち、さらに鼓動が激しくなった。
「聖剣を抜いたのはそなたか。顔を上げて、名を申せ」
若い、それでいて人を従わせることに慣れているような、低く威厳に満ちた声だった。
彼がこの部屋の主であり、この国を統べる男で間違いなさそうだ。
「……はい。リンネア・ライネと申します」
必要以上におどおどすれば変に勘繰られるだけなので、ゆっくりと視線を上げ、できるだけ声を張って答える。
真紅の絨毯の先、数段上の壇上には、金で縁取られた大きな玉座が鎮座していた。そこに座る男――レオナード二世ことラーシュ・レオン・アーク・ヴァロケイハス皇帝。
太陽の光を集めたような癖のない黄金の髪に、目鼻立ちは神様が正確無比に並べたかのように完璧に整っている。手足はすらりと長く、漆黒の礼服には金刺繍が施されていた。
肩には、竜が描かれた盾と交差する二本の剣と、百合の花で縁取られているという帝国の紋章があしらわれたマントをかけている。
リンネアが生まれ育ったファルクス村にも、今日初めて訪れた皇都にも、これほど美しい顔立ちの男性はいなかった。遠くから眺めるだけなら目の保養になりそうなものだが、あいにく今はそこまでの心の余裕はない。
なにせ、相手は流れる血すら凍りついていると、人々から恐れられている冷血皇帝の異名を持つ男だ。
「そなたを余の妃とする」
ラーシュは眉一つ動かさず、薄く引き結んだ唇から冷然と告げる。
あまりの迫力に目を逸らしたい気持ちを必死で抑え、彼女はじっとラーシュに視線を返した。
「い、いえ……私はただの平民で……皇妃など畏れ多く……」
冷や汗をかきながらしどろもどろに答えるが、圧の強い目線に言葉が尻つぼみに萎んでいく。
「聖剣を抜いた者を皇妃とする、それが我が国の伝承だ。して――聖剣はどこにある?」
ラーシュの声は低く冷静だが、おそらく苛立ちを抑えているだけなのだろう。
ついに核心をつく質問がきて、彼女はびくっと肩を震わせた。
「こ、ここに……」
リンネアは、腕に抱いていたぬいぐるみを顔の前まで掲げる。
――あ、これなら陛下の凄みのきいた整ったお顔が視界に入らないから安心だわ。このままの状態で会話を続けられないかしら。
「なんだそれは。狸か?」
「いえ。深紅の焔獣のぬいぐるみです」
顔に当たるふわふわの毛並みは柔らかく、少しだけ緊張をほぐしてくれる。
「余は、聖剣がどこにあるかと聞いたのだが?」
声の調子は変わらないのに、部屋の空気が冷たく重くなった。
リンネアの肌がぞっと粟立ち、ぬいぐるみを持つ手が震える。
――ああ、もう! どうしてこんなことになっちゃったの~!?
はじめまして。最後までお付き合いいただけますと嬉しいです!
ネトコン13参加作品です!