8.奇跡
「お父様と呼んでくれて構わない」
「お兄様と呼んで欲しい」
ハウアー公爵邸で熱烈な歓待を受けた。
「もうこの館とイーサンの名ばかりの爵位しか残っていないが、公爵家令嬢の体裁が欲しいならば、いつでも養女にするから言ってくれ」
「君が従妹で嬉しいよ」
そんな経緯で私はエディット·ハウアー公爵令嬢になった。
ハウアー公爵家からサマーナイトの王子の花嫁を輩出すれば、ロレッタ様の醜聞で失墜したハウアー公爵家の評判と体面も多少は回復できる筈なので、それを考慮して養女にしてもらった。
ハウアー公爵家の皆様には色々お世話になったので。
クローデル子爵は母の出自を知らされていなかったので、驚いていたというか泡食っていたわ。
サリエリまでサマーナイトの王子だったから、クローデル子爵家の人々は腰を抜かしてしまった。
私はハウアー公爵家に戻ってからも修道院へ行くつもりでいた。
サリエリには申し訳ないけれど求婚を断ろうと思っていたの。
けれど、『奇跡のビスケット』を食べてから、私の微々たるものだった聖女の力が、大聖女並みの力に変容してしまったのよ。
聖フランシーヌ女子修道院及びこの国には現在既に大聖女様に匹敵する方がいるため、大聖女は二人もいらないのよね。
私がこの国の修道院に入ったら院内を混乱させてしまうから、修道院に行くのは断念することにした。
大聖女同士にそんなつもりはなくても、周囲の人達に派閥ができてしまう可能性もあるのよね。
私はそれは全く望んでいないことなの。
しかも王家の血を引いているとなると、良からぬことを企む人が寄って来そうだし。
私はどうやらこの国の中には聖女としては居場所が無いようなの。
それならば聖女のいないサマーナイト王国としては、是非とも大聖女様を迎え入れたいということになって、サリエリ王子と婚姻を結ぶように王命が下ってしまった。
これで決定的に修道院ヘ入るわけには行かなくなってしまったの。
自国や他国の王家は大聖女の嫁ぎ先としては一般的、最も妥当なものなのよね。
結局サリエリ王子の求婚を受け入れて、私はサマーナイト王国へ嫁ぐことが決まった。
婚約式まで後数日、それまではサリエリと共にハウアー公爵邸に滞在することになった。
「私達も連れて行ってください!」
「どうか同行する許可をください」
公爵の許可が下りてアマンダとロラン様が私についてきてくれることになった。
フリード様が餞別として青い飛び猫を一匹私にプレゼントしてくれた。
「いただいてよいのですか?」
「もうすぐ子どもが産まれますから大丈夫ですよ」
青い飛び猫は、私に抱かれるとゴロゴロと喉を鳴らした。
サリエリが私のかつての実家のクローデル子爵家へ従者としてやって来たのは数年前。
執事の親戚にサマーナイトの貴族がおり、そのツテを頼ったらしい。
その頃サマーナイト王家では、第一王子が夭逝したことで王太子を決める跡目争いが苛烈になって、自分が火種となることを避けるためにマセットへ逃げ込んだ。
第二王子と第四王子の争いとなったが、サリエリは側妃の子だったために王位争いから努めて距離を置いた。
サリエリは私よりも二つ歳上で、従者として同じ貴族学園にも通った。
先日起きた身内の不幸とは、王太子だった第二王子が不慮の事故で亡くなったのだった。
第四王子が王太子となり、その補佐をするべくマセットを引き上げて帰国することになった。
サマーナイトへ帰るにあたり、サリエリが以前から想いを寄せていた私が婚約破棄したことを知り、求婚を申し込むことにしたのだとか。
子爵家を出た私が修道院へ入ると聞かされて慌てて追って来たのだそう。
「なぜ私に求婚を? 王子殿下であれば引く手あまたなのに」
「君が常にまわりの人のことも考えて動くことができる人だったからかな」
「それなら私じゃなくても、そういう人なら他にもいるわよ?」
「······う~ん、それでも君が良かったんだよ、上手く言えないけど」
サリエリは照れくさそうに頭をかいた。
私が大聖女のような力を発現したのは予想外だったようで、普通の令嬢として連れて帰る筈だったのに、マセット王家まで巻き込む大ごとになって済まないと彼は謝った。
「あなたのせいではないわ。私もまさかあなたが王子で、王命でサマーナイトに嫁ぐことになるなんて夢にも思わなかったわ」
これも奇跡のビスケットのせいなのかしら?
「ビスケットはまだ残っている?」
「ええ、あるわ」
私が箱を差し出すと、一枚取って食べはじめた。
「うん、旨いな」
「ねえ、王子様にとっての奇跡ってどんなこと?」
「う~ん······なんだろう、考えたことがないんだよね」
サリエリはいたずらに奇跡を願い頼るよりも、堅実な道を選んで歩く人、自力で切り開いて行く人だものね。
これまでの彼の従者時代を知っているからそう思う。
「じゃあ、君にとっての奇跡って何? 大聖女になることではなかったんだよね?」
「そうなの、私もあまり考えたことがなかったの。でも、今思うと家族が欲しかったのかも」
「家族?子爵家の家族ではなく?」
「ええ。多分、自分を本当に愛してくれる家族、私を大切に思ってくれる家族が欲しかったんだと思うわ」
子爵家の人達は、意地悪だとか冷たい人ではなかったけれど、みんなどこかよそよそしくて、他人みたいだったのよね。
「それで、奇跡は起きたの?」
「ふふふっ、予想外の暑苦しい父や兄ができたわ。でも、子爵家よりもずっと温かいわ」
「プッ、暑苦しいんだ?」
「わりとね。でも優しくて好きよ」
ロレッタ様はなぜこんなに良い家族がいたのに、その家族を困らせるようなことしかしなかったのだろう?
愛されすぎても、何が愛なのかわからなくなるのかしら?
温かい家庭、愛情深い家族に囲まれて生きることができるというのは、それはあたりまえのことではなくて、それ自体が奇跡みたいなものよね。
人それぞれに奇跡はあって、同じではないかもしれないとしても、私にとっては特別な何かが起こるのが奇跡ではなくて、普通の幸せ、日々のささやかな幸せが長く継続してゆくことの方が奇跡だと思うわ。
「あー、他には?」
「えっ?」
ああ、あなたも私の家族になるわね。
でもまだ結婚はしていないし。
「えー、他にいたかしら?」
とぼけてみたら、私の未来の旦那様がたちまちしゅんとしてしまったので、言い直した。
「もうすぐ私の家族になる人が、私にとって一番の奇跡かもしれないわね」
サリエリもこの後魔力量が増量して、もしも魔王がいたならば、彼一人で倒せそう。
でもこれは二人だけの秘密。
(了)
本編はこれでおしまいです。
最後までお付き合いくださって、どうもありがとうございます。
ロレッタのその後を番外編でお楽しみください。




