6.王女の婚約者
クレオス様は一人でいたところをフリード様に化けた敵に襲撃され、気を失ってしまったらしい。
気を失いつつも、彼の特殊能力でヤモリのような生き物に変身していたようだ。
クレオス様の特殊能力は、変身だそうだ。
追跡を終えた帰りに青い飛び猫によってクレオス様は回収された。
青い飛び猫は、部屋の白い壁に自分が追跡した結果を、眼から光線を放って映像として映し出して見せた。
そこにはマセットの王城にいる王女殿下の姿があった。
ロレッタ様の暗殺に失敗したクレオスに化けた男は、王女の配下の者によって口封じとして殺処分されていた。
「まさか王女殿下がここまでなさるとは······」
ロラン様とフリード様は驚愕した。
「婚約者をロレッタ様に奪われてしまったことが、どうしても許せなかったのでしょうね」
アマンダも深い溜め息を吐いた。
だからと言って従妹を暗殺しようとするなんて怖すぎるわ。
私はまた王女殿下に命を狙われてしまうのだろうか。
親族が殺意を抱くほど、ロレッタ様の素行不良は度を越しているのかもしれない。
しばらくするともう一匹青い飛び猫が現れた。
「ご苦労様、お前もお食べ」
フリード様が猫の顎を撫でながら、ビスケットを与えた。
この猫も追跡結果を同じように映し出した。
「ロレッタ様······!」
アマンダが叫んだ。
ロレッタ様と思われる令嬢は、駆け落ち相手とされる侯爵家令息の頬を、激昂しながら二度平手打ちをしていた。
そして貴族の令息らしき別の青年と馬車に乗って去ってしまった。
場面が切り替わると、貴族の邸宅らしき場所で、ロレッタ様と令息が睦まじくしている様子が映し出された。
「「「「「はあぁ·····」」」」」
この部屋に居合わせている全員が、呆れきった嘆息を同時に漏らした。
王女殿下の婚約者を誘惑し駆け落ちした挙げ句、袖にして他の男にすぐさま乗り換えるとは······。
自分の行動の傍若無人さに無頓着過ぎるにも程がある。
王女殿下に刺客を送られても仕方がない気もする。
こんな彼女が大人しく修道女になるとも思えない。
だからこその替え玉なのだけれど。
王女殿下の婚約者は、あれから国に一人ですごすごと戻って来たそうだ。
王家に謝罪した後、自邸に引き込もっているらしい。
侯爵家の跡取りとして廃嫡は免れないだろう。
彼には、流刑地に近い劣悪な環境下での奉仕作業者として生涯を送る処分が下るということだ。
なぜ彼はロレッタ様の誘惑に乗ってしまったのだろう。
確かに彼はロレッタ様が関心を抱くほどの美丈夫ではあったけれど、ロレッタ様以上に王女殿下は美姫だった。
魔が差したとしか言いようがない。
フリード様の青い飛び猫は、一匹はまた追跡のために放たれ、残りの一匹は私の護衛につくことになった。
「エディット様のビスケットが気に入ったようですよ」
猫なのにこの猫達は全く鳴き声をあげない。それは猫とは別物の魔獣だからだそうだ。
後一日で、目的地の修道院に着く予定。どうか何事もなく無事に辿り着いて欲しい。
安全のために、私は侍女のお仕着せを着て侍女に扮し、ロレッタ様に化けたクレオス様が私の身代り役を務めた。
最後の休憩に立ち寄ったのは、名水で有名な湧水地だ。
聖フランシーヌ女子修道院の『奇跡のビスケット』も、この水を使っていると言われている。
実際、聖フランシーヌ女子修道院で販売されている「奇跡のビスケット」が、汲み上げた湧き水を売るここの店でも売られていた。
私は嬉しくなって、12枚入り一箱のものを購入した。
一枚のバラ売りから最大36枚入りまで様々な包装のものがあった。
厚紙でできている非常に頑丈な箱は、空になった後も、何かを保管する箱として重宝がられていて、食べ終わった空箱だけが蚤の市などで売られていたりするほど人気がある。
私も子供の頃にこの箱をもらって、リボンやお菓子の綺麗な包み紙などを入れる宝物入れにしていた。
義母に見つかって「貧乏臭い!」と取り上げられて箱ごと中身も全部廃棄されてしまった苦い思い出だ。
馬車へ戻ると、早速開封して皆に一つずつ配った。
御者様が食べると腰痛が嘘のように治ったと感激していた。
即効性がある人と、そうではない人、何も起きない人もいるようだ。
何がその人にとって奇跡なのかは人によって違うのでしょうけれど、ともかく私も本家本元の『奇跡のビスケット』を一枚食べてみた。
「ロレッタ!見つけたぞ」
この馬車には私とロレッタ様に扮したクレオス様しかいなかった。
敵意を込めて叫んだのは、ロレッタ様に捨てられた王女殿下の婚約者だった。
やつれた顔に無精髭を生やしている彼は、青い猫が見せてくれた映像の人物とは別人のようだった。
ロレッタ様の処分を知って、修道院に入る前に危害を加えようと思ったのか、クレオス様に飛びかかったが、すぐにねじ伏せられた。
叩き落とされたナイフが石畳に転がった。
クレオス様に押さえつけられている侯爵令息がロレッタ様を罵倒する言葉を放っていたので、私は奇跡のビスケットを砕いて彼の口へ押し込んだ。
「むぐっ······」
「駆け落ちの誘惑に乗ったのは、あなた自身の責任でしてよ」
私はビスケットをなおも押し込んだ。涙目になりながら咀嚼し飲み下した侯爵令息は大人しくなって、涙を溢しながら王女殿下の名前を何度も口にした。
彼は取り押さえられて、刑部の馬車で王都に送り返された。
殺人未遂まで起こした彼は、流刑地送りでは済まないかもしれない。
ロレッタ様の他人の人生を狂わせる力は凄まじくて、改めて戦慄した。
そんな令嬢の身代りとはなんて重いのだろうか。




