第九十一章「木霊の手紙3」
二日目、エマの織物は少しずつ形を成していった。普段なら規則的な模様や意図された色合いを追求するところだが、今回は違った。感情の赴くままに、時に激しく、時に静かに織り進めていく。
窓辺の植物はさらに成長し、今では小さな木の形になっていた。その葉は透き通るような緑色で、光に当たると虹色に輝いている。不思議なことに、エマが織物に没頭すればするほど、植物の成長も促されるようだった。
午後には、アンナがエマの様子を見に訪れた。
「こんにちは、エマ。新しい作品?」
エマは作業の手を止め、アンナに微笑みかけた。
「うん、ちょっと特別なものを作っているの」
アンナは織りかけの布を見て、首を傾げた。
「不思議な織り方をしているわね。何か意味があるの?」
エマは言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。
「実は……言葉では説明できないんだ。言葉を超えたものを作ろうとしているの」
アンナは少し考えてから、理解したように頷いた。
「わかるわ。私も時々、言葉にできない何かを陶器に込めることがある。それが一番純粋な創作かもしれないわね」
エマは心強く感じた。他の職人も同じような経験をしているのだ。
「ねえ、アンナ。あなたは創作するとき、どうやって言葉にならない感情を形にしているの?」
アンナは窓の外を見つめながら静かに答えた。
「私はただ、心の中の静寂に耳を澄ますの。そこには言葉より深い何かがある。それを指先から粘土に流し込むように意識するわ」
その言葉は、エマの中で大きく響いた。心の静寂??前世では常に頭の中が騒がしく、次の企画や締め切りのことで一杯だった。静寂を感じる余裕などなかった。
「ありがとう、アンナ。大切なことを教えてくれたわ」
アンナが帰った後、エマは深呼吸をして心を落ち着かせた。そして再び織機に向かい、今度は心の静寂から生まれる感覚に身を任せて織り続けた。
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三日目の朝、エマが目覚めると、窓辺の植物は完全に成長し、小さな木となっていた。その幹は銀色に輝き、葉は風がないのに静かに揺れている。
織機の前に座り、エマは最後の仕上げに取りかかった。昨日までの作業で、布の大部分は完成していた。それは一見、普通の織物に見えるが、光の当て方や見る角度によって、表情が変化する不思議なものだった。
しかし、まだ何かが足りない。エマは完成間近の織物を見つめながら、自問自答を繰り返した。
「心の中の言葉にならない想いを形に……でも、私の中の言葉にならない想いって何だろう?」
その時、窓辺の木から一枚の葉が舞い落ち、エマの手元に届いた。それは普通の葉ではなく、透明な結晶のようなもので、中に小さな光が閉じ込められていた。
エマはその葉を手に取り、不思議な感覚に包まれた。葉に触れた瞬間、前世の記憶が鮮明によみがえってきた。病床で死を待つ日々、最後の作品を完成させたときの達成感と同時に感じた虚しさ。完璧を追い求めても、心の奥にあった本当の望みは別のところにあったという後悔。
そして現世での日々、光の谷での温かな交流、素材との対話、マリーお婆さんやアンナ、クララといった仲間たちとの絆。これらすべてが、言葉ではなく感情として彼女の中に流れ込んできた。
「そうか……私の中の言葉にならない想い、それは……」
エマは涙を浮かべながら、結晶の葉を織物の中心に組み込んだ。それはまるで織物全体が息を吹き返したかのように、柔らかな光を放ち始めた。
完成した「言葉なき織物」は、一見するとシンプルな織物だったが、触れる者の心に直接語りかける不思議な力を宿していた。それは言葉の壁を超えて、純粋な感情や想いを伝える媒体となっていた。




