第八十四章 旅の音色、織りの調べ
真夏の陽射しが照りつける午後、光の谷の石畳を若い旅の音楽隊が通り過ぎていった。街の子供たちが興味津々で後を追いかけ、大人たちも足を止めて耳を傾けている。
エマは工房の窓から、その様子を眺めていた。陽光に照らされる楽器たちが時折まばゆい光を放ち、音楽隊の奏でる軽やかな音色が石畳の街並みに心地よく響いている。
「まあ、珍しい音楽隊ね」
マリーお婆さんが、薬草の束を抱えて工房に立ち寄った。
「ええ。でも、あの中の一人、何だか様子が違うような……」
エマの目は、音楽隊の末尾で控えめにフルートを吹く少女に釘付けになっていた。他のメンバーが派手な演奏で観客を沸かせる中、その少女は静かに、しかし確かな存在感で音色を紡いでいる。
「あの子、リリアっていうのよ。私の知り合いの孫なの」
マリーお婆さんの言葉に、エマは驚いて振り返る。
「リリア?」
「ええ。北の町で修行中の音楽師なんだけど、今は旅の音楽隊と一緒に修行の旅をしているの」
その時、音楽隊は中央広場で演奏を始めていた。陽射しを浴びて輝く噴水を囲むように、楽器が次々と音を重ねていく。リリアのフルートは、その中で静かに、しかし確かな存在感を放っていた。
演奏が終わり、人々が三々五々と散っていく頃。エマは月詠みの花が咲く裏庭で、一人たたずむリリアの姿を見つけた。
「花があまりにも綺麗で、つい……」
リリアは申し訳なさそうに微笑む。その手には、まだフルートが握られていた。
「ええ、どうぞゆっくりしていって」
エマは温かく微笑み返す。月詠みの花は、まるでリリアを歓迎するかのように、かすかな光を放っていた。
「あの、このフルート、おかしいと思いませんか?」
突然、リリアが不安げな表情で尋ねる。
「おかしい?」
「はい。最近、音色が少しずつ変わってきて……でも、楽団の誰にも気付いてもらえなくて」
エマはリリアの差し出すフルートを、そっと手に取る。一見すると普通の木製フルートだが、「祝福の雫」の力を使うと、確かに何か特別なものが宿っているのが分かった。
「このフルート、魂を持っているわ」
「え?」
「そう、長年の演奏で、フルートに魂が宿ったの。珍しいことじゃないわ。光の谷では、職人の道具にも魂が宿ることがあるもの。長く道具を使っていると、それはもはや物ではなくなるのよ。生きているの」
リリアの目が大きく見開かれる。
「じゃあ、音色が変わってきたのは……」
「フルートが、あなたの音楽と共に成長しているのよ」
その言葉に、リリアの表情が明るくなる。
「よかった。壊れているんじゃないかって、心配で……」
「むしろ、とても素晴らしいことよ。楽器に魂が宿るのは、奏者の真摯な想いがあってこそなの」
そこへマリーお婆さんが、お茶の準備を整えて現れた。
「まあ、リリア。こんなところにいたの」
「マリーおばあちゃん! 本当に久しぶり!」
リリアは駆け寄り、マリーお婆さんと抱擁を交わす。
「エマ、リリアはね、私の知り合いの孫娘なの。北の町で音楽を学んでいるのよ」
三人は月詠みの花の下で、マリーお婆さんの淹れた薬草茶を飲みながら、しばし談笑する。リリアは音楽の修行の話を、エマは織物の話を、マリーお婆さんは昔の思い出話を。時間が緩やかに流れていく。
「実は……私、この旅の音楽隊から離れようと思うんです」
夕暮れが近づく頃、リリアが静かに告白する。
「どうして?」
「みんなは派手な演奏で観客を沸かせることを求めるけど、私は……もっと繊細な、心に響く音楽を奏でたいんです」
エマはリリアの言葉に、どこか懐かしいものを感じる。完璧さを求めるあまり、本当に大切なものを見失いそうになった自分の過去が、重なって見えた。
「ここに、しばらく滞在してみない?」
エマの提案に、リリアは驚いた様子で顔を上げる。
「でも、ご迷惑では……」
「光の谷には、音楽を愛する人が多いの。きっと、あなたの音色を理解してくれる人も見つかるはず」
マリーお婆さんもうなずきながら、
「ええ、私からも音楽隊の方には説明しておくわ。リリア、ここでゆっくり自分の音楽を見つけなさい」
その夜、リリアは音楽隊から離れ、エマの工房に滞在することになった。
それから数日が過ぎ、リリアは光の谷の生活に少しずつ馴染んでいった。朝は工房の裏庭で練習し、昼は村の子供たちにフルートを教え、夕方には広場で小さな演奏会を開く。
フルートの音色は日に日に変化していく。派手さはないものの、聴く人の心に静かに染み入るような、温かな響きを帯びていった。
エマは織物を織りながら、その変化を見守っていた。リリアの音色は、不思議と織物の模様にも影響を与えているようだった。エマの織る布は、これまで以上に柔らかく、優しい表情を見せ始めていた。
「エマさんの織物って、まるで音楽みたいですね」
ある日、リリアがエマの作業を見ながら呟いた。
「音楽みたい?」
「はい。模様が旋律のように流れていて、色の重なりがハーモニーを奏でているみたい」
その言葉に、エマは織物と音楽の不思議な共通点を見出す。どちらも、技術だけでなく、心を込めることで初めて魂が宿る。
マリーお婆さんは、そんな二人の様子を温かく見守りながら、ある日こっそりとエマに古い技法書を渡した。その中には、「音織り」という失われた技法の記録があった。
「音を織り込む……ですか?」
リリアは目を輝かせながら、エマの手元の技法書を覗き込む。
「ええ。でも、難しい技法みたい。月の力と『祝福の雫』の両方が必要なの」
それからの二人は、空き時間を見つけては「音織り」の研究に没頭した。リリアが音を奏で、エマが織りを試みる。成功には至らないものの、少しずつ手応えを感じ始めていた。
満月が近づくある夜、リリアは庭で月に向かってフルートを吹いていた。その音色は、これまでで最も美しく、透明感のあるものだった。月詠みの花が一斉に光を放ち、まるで音色に共鳴するかのように揺れている。
エマはその光景に、ある確信を得る。
「リリア、今夜、試してみない? 音織りを」
リリアは少し驚いた表情を見せたが、すぐに優しく微笑んだ。
「はい。私も、なんだか今夜なら出来る気がします」
月が天頂に昇る頃、二人は庭で向かい合っていた。これまでの練習とは違う、特別な空気が漂っていた……。




