第八十二章 雨宿りのご馳走
夏の午後、突然の雷鳴が光の谷に響き渡った。エマは裏庭のハーブの収穫を急いでいたが、大粒の雨が落ちてきた瞬間、門の向こうから慌ただしい足音が聞こえた。
「エマちゃん、雨宿りさせてちょうだい!」
市場帰りのマルタおばあちゃんが、買い物かごを抱えて駆け込んできた。おばあちゃんの後ろには、同じく買い物帰りだったのか、リーゼとその妹のアンナ、パン屋のグレーテルが続く。
「みなさん、早く入ってください!」
エマが玄関を開け放つと、雨に追われるように次々と村人たちが飛び込んできた。リーゼの髪から雫が垂れ、アンナのエプロンは半分濡れている。グレーテルは抱えていたパンの包みを必死に守っていた。
びしょ濡れの村人たちを見て、エマは月詠みの花のお茶を入れることにした。夏の夕立は、すぐに上がるだろう。
お茶の準備をしていると、再び玄関から声が聞こえた。
「すみません、雨宿りを……」
今度は羊飼いのクララと、染め物職人のトーマス、そして薬草摘みから帰ってきたマリーお婆さんだった。マリーお婆さんの籠からは、摘みたての薬草の香りが漂う。
「まあ、みんなここに集まっていたのね」
マリーお婆さんが笑顔を見せる。工房の中は、思いがけない来客で賑やかになってきた。
「あら、これは良い香り!」
お茶の香りに誘われて、グレーテルが台所を覗き込む。
「月詠みの花のお茶です。みなさんもいかがですか?」
エマが差し出したお茶は、するりと喉を通り、体の芯から温めてくれる。濡れた体が徐々に温まっていくのを感じながら、村人たちは自然と円くなって座った。
「こんな日は、昔話でもしましょうか」
マリーお婆さんが切り出すと、若い娘たちの目が輝いた。
「ええ、ぜひ!」
「お願いします!」
マリーお婆さんは、若かりし頃の光の谷での思い出を語り始めた。50年前の春祭りで、今は亡きご主人と出会った話。二人で月の灯りの下で交わした約束。そして、光の谷に伝わる「祝福の雫」の力を初めて感じた瞬間。
話に聞き入る中、エマは気づいていた。工房の窓から差し込む光が、徐々に柔らかな黄金色に変わっていることに。夕立は上がり、夕暮れが近づいていた。
「あら、もうこんな時間!」
マルタおばあちゃんが立ち上がろうとする。しかし、エマには別の考えがあった。
「みなさん、せっかくですから、一緒に夕食をいただきませんか?」
エマの提案に、マリーお婆さんが目を細める。
「それは素敵な考えね」
みんなで手分けして準備をすることになった。マルタおばあちゃんの買い物かごからは新鮮な野菜が、グレーテルのパン包みからは焼きたてのパンが出てきた。マリーお婆さんは摘んだばかりのハーブを料理に使うことを提案した。
トーマスとクララは裏庭から追加の野菜を収穫し、リーゼとアンナは手際よく野菜を洗い、切り分けていく。エマは大きな鍋でスープを作り始めた。
工房に染み込んでいた雨の匂いは、いつの間にか温かな食事の香りに変わっていた。窓の外では、夕陽に照らされた雫が虹色に輝いている。
「出来上がりましたよ!」
テーブルの上には、野菜たっぷりのスープ、切り立てのパン、ハーブを散らした温野菜が並んだ。マリーお婆さんが「祝福の雫」をそっとスープに落とすと、鍋から優しい光が漏れ出る。
「いただきます!」
思いがけない雨宿りから始まった即席の夕食会。村人たちの笑顔に、エマは心が温かくなるのを感じていた。窓の外では、雨上がりの空に大きな虹が架かっている。
マリーお婆さんが静かに言った。
「雨は時として、人の心を近づけてくれるものね」
エマは深くうなずいた。今宵の雨は、確かに特別な贈り物をくれたのだから。




