第八章 花々との対話
春の大市から一週間が過ぎた頃、エマの工房に小さな変化が訪れ始めていた。裏庭のハーブガーデンに、見たことのない花が咲き始めたのだ。
「この子たち、いつの間に……?」
朝露に濡れた花びらは、淡い紫色をしている。まるで月光を閉じ込めたような、神秘的な輝きを放っていた。
「ああ、それは『月詠みの花』ね」
声の主は、隣家の庭で作業をしていたアンナだった。
「マリーお婆さんが、エマの庭に植えていったのよ。春の大市でのあなたの作品を見て、きっと相性がいいと思ったんでしょうね」
エマは、そっと花に手を触れた。すると不思議なことに、花びらが微かに発光し、まるで応えるように揺れた。
「この子たち、私と話してくれるの?」
「ええ。月詠みの花は、職人の心に共鳴する珍しい品種なの。でも、誰にでも応えるわけじゃないわ」
アンナは土の付いた手を拭いながら、エマの庭に入ってきた。
「この花が咲くのは、その場所に住む人の魂が、自然と調和しているときだけなんです」
エマは、じっと花を見つめた。前世では、こんな風に植物と対話することなど考えもしなかった。締切に追われる日々の中で、自然の声に耳を傾ける余裕すらなかった。
「アンナさん、この花の育て方を教えていただけませんか?」
「もちろんよ。でも、まずは一緒に朝ごはんをいただかない? 私、新しい陶器で淹れたハーブティーを試してみたいの」
二人は、エマの庭に簡素な朝食のテーブルを広げた。アンナが持ってきた陶器は、朝露を象ったような繊細な模様が施されている。
「これ、美しい……」
「ありがとう。でも、まだ何か足りない気がして」
エマは、ふとあることに気付いた。
「この模様、月詠みの花を組み合わせてみたら、どうでしょう?」
アンナの目が輝いた。
「そうね! 私も陶器に祝福を込められるようになってきたけど、まだ自然との対話が足りないのかもしれない」
朝日が昇るにつれ、二人の会話は創作の喜びと悩みで溢れていく。前世では考えられなかった、ゆったりとした時の流れ。
「ねえ、アンナさん」
「なあに?」
「私ね、最近気付いたの。作品を作るって、決して一人きりの作業じゃないってことに」
エマは、庭に咲く花々を見渡しながら続けた。
「自然との対話、仲間との語らい、そして自分の心との調和。すべてが溶け合って、初めて本当の作品が生まれるんだって」
アンナは静かに頷いた。
「そうね。だからこそ私たちは、光の谷に集まっているのかもしれない」
朝もやが晴れていく空の下で、二人は新しい創作の可能性について、静かに語り合い続けた。月詠みの花は、その会話を聞くように、柔らかな光を放っていた。




