第七十八章 市場の冒険
春の陽気に誘われ、エマは朝市に出かけた。市場には既に多くの村人が集まっており、露店から漂う香ばしいパンの香りと、色とりどりの春野菜が目を楽しませる。時計塔の鐘が七時を告げる中、エマは籠を片手に歩き始めた。
「エマちゃん、今朝のほうれん草は特においしいよ!」
青果を扱うマルタおばあさんが、艶のある緑色の葉野菜を手に取って見せる。確かに「祝福の雫」の光を帯びており、生命力に溢れている。
「あら、本当ですね! これは絶対に買わないと……」
エマは籠にほうれん草を入れながら、自然と笑みがこぼれる。春の朝市には特別な魔法がある。人々の声が溶け合い、野菜たちが放つ小さな光が空気を温かく染めていく。
「それから、このにんじんもどう? 昨日の雨で甘みが増しているのよ」
次々と勧められる野菜たちを、エマは気がつけば調子にのってどんどん買っていた。見ると籠は山盛りになっており、両手で抱えきれないほどの量になっていた。
「大丈夫かい? 手伝おうか?」
ガラス職人のルーカスが心配そうに声をかける。
「ありがとうございます! でも、これくらいなら……きゃっ!」
エマの言葉が終わる前に、籠が傾き始める。必死に支えようとするものの、野菜たちは次々と転がり出していく。
真っ赤なトマトが石畳の上を転がり、市場を駆け抜けていく。青々としたキャベツが風に乗って舞い、レタスが階段を滑り降りる。エマは慌てて追いかけるが、野菜たちはまるで意思を持ったかのように、様々な方向へ逃げていく。
「あっちだよ! トマトが噴水の方へ!」
パン屋のリーゼが声を上げる。
「キャベツは教会の方に転がっていったわ!」
陶芸家のアンナも加わり、いつの間にか村人たちが総出で野菜探しを手伝い始める。子供たちは歓声を上げながら、野菜を追いかける。
一時間後、時計塔の下に集まった村人たちは、拾い集めた野菜を見ながら大笑い。野菜たちは少し傷んでいたものの、まだ十分に食べられる状態だった。
「こうなったら、みんなでスープを作りましょう!」
エマの提案に、誰かが「いいね!」と声を上げる。たちまち広場は即席の調理場と化し、それぞれが得意分野を活かして準備を始める。
トーマスが大きな鍋を持ち出し、ルーカスがガラスの器を用意する。アンナは特製の陶器のお玉を持ってきて、リーゼは香り高いハーブを摘んでくる。
夕暮れ時、広場には野菜スープの香りが漂っていた。マリーお婆さんが最後に「祝福の雫」をかけると、スープは七色の光を帯びて輝き始める。
「失敗も、時には祝福になるのよ」
マリーお婆さんの言葉に、エマは深くうなずく。小さな失敗が、思いがけない形で村人たちの心を一つにした。春の陽が傾きゆく中、エマは心の中で誓う。これからも、この村での暮らしを大切にしていこうと。
月が昇り始める頃、広場には人々の笑い声が響いていた。野菜スープは、その日一番の味に仕上がったという。




