第六十九章 窓の光
朝の工房に一筋の光が差し込んでいた。エマは織機に手をかけたまま、その光の中に漂う埃の舞いを見つめている。
「なんて自由なんだろう」
思わずつぶやいた言葉が、静かな空気に溶けていく。
薄明かりの中、埃は何の意図も持たず、ただ光に照らされるままに舞い上がっては沈んでいく。その姿に、エマは織機から手を離した。
窓辺に立ち、光の帯に手をかざす。透き通った指の間から零れる光が、床に不思議な模様を描いていた。
「エマ、おはよう」
マリーお婆さんが、薬草の籠を抱えて訪ねてきた。
「あら、まだ織物に手をつけていないの?」
「はい。今、光を見ていたんです」
「光を?」
マリーは不思議そうな顔をしたが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。
「そうね。光には不思議な力があるわ」
お婆さんは籠から一枚の布を取り出した。年月を経て色褪せた染物だ。
「これはね、五十年前に染めた布。でも見て、光に透かすと……」
マリーが布を窓辺にかざすと、そこには かすかに花の模様が浮かび上がった。
「染料は消えても、布目の記憶は残っているのね」
エマは息を呑んだ。
「でも、これは計算して作ったものじゃない。ただ自然に、布と染料と光が出会ってできた模様なの」
マリーの言葉に、エマは深くうなずいた。
工房に戻ったエマは、織機に向かって座り直す。けれど、今までのように手を動かすことはしなかった。
光は時とともに移ろい、工房の中に様々な表情を作っていく。織機の影が伸び、糸が光を受けて輝き、埃が舞い、すべてが呼吸をするように動いていた。
「この光の動きを、布に封じ込められないだろうか」
エマは立ち上がり、保管していた未染色の布を取り出した。それを窓辺に広げ、光に透かしてみる。
目を凝らしていると、布目の一つ一つが光を受けて、小さな宝石のように輝いていた。
「そうか……」
エマは布を織機にかけ、普段より粗めに織り始めた。意図的に隙間を作り、光が差し込む余白を残していく。
昼過ぎ、アンナが工房を訪れた。
「エマ、この織り方……」
「うん。光のための隙間を作ってるの」
二人は黙って布を見つめた。粗く織られた布は、一見すると失敗作のように見える。けれど、光に透かすと、そこには不思議な深みが生まれていた。
「まるで、光が踊ってるみたい」
アンナの言葉に、エマは静かに頷いた。
夕暮れ時、エマは織り上げた布を持って、丘の上まで歩いた。
沈みかける太陽に布を翳すと、無数の光の粒が地面に降り注ぐ。風が吹くたびに、光の模様が揺れ動く。
エマはその布を「光の織目」と名付けた。それは技を競うための作品ではない。ただ、光という自然の贈り物を、受け止めるための布。
帰り道、エマは工房の窓から漏れる明かりを見上げた。小さな埃が、また光の中で舞っている。
「ありがとう」
誰に向けた言葉か、エマにも分からなかった。ただ、すべてのものに対する感謝の気持ちが、胸の奥からあふれ出てくるのを感じていた。
工房に戻ったエマは、また新しい布を織り始めた。今度は、月の光を受け止めるための布。
織機の音が静かに響き、光の粒が、また新しい物語を紡ぎ始めていた。




