第六十五章 朝露の道
夜明け前、まだ月が残る空の下で、エマは畑へと足を向けた。露が降りた野菜たちが、月光を受けてかすかに輝いている。
「おはよう」
エマは小声で野菜たちに語りかけた。前世では考えられなかった穏やかな朝の時間。かごを手に、一つ一つ丁寧に収穫していく。
薄明かりの中、一枚の枯れ葉が風に舞い、エマの前に落ちた。その儚い舞いに、エマは立ち止まる。
「あぁ……」
思わずため息が漏れる。枯れ葉の上で露が真珠のように光っていた。
エマは前世を思い出していた。完璧を求めすぎて、自分を追い詰めていた日々。しかし今、この枯れ葉の上で輝く露に、深い美しさを感じている。
「マリーおばあさんが言っていた意味が、今わかったわ」
エマは空を見上げた。東の空が、少しずつ白み始めている。
工房に戻ったエマは、織機に向かった。今朝見た光景を織物にしたい。そんな衝動に駆られる。
「祝福の雫」が、エマの指先で輝き始めた。糸を選び、色を重ねていく。露のきらめき、枯れ葉の質感、夜明け前の空気感。それらを一つ一つ、布に込めていく。
時が流れるのも忘れて織り続けた。気がつけば、日は高く昇っていた。
完成した布は、一見すると地味な茶色の織物。しかし光の加減で、露のような輝きが浮かび上がる。それは儚さの中にある永遠を表現したかのようだった。
「エマ、素晴らしい作品ね」
マリーお婆さんが、いつの間にか工房に立っていた。
「この布には、命の循環が織り込まれているわ」
エマは微笑んだ。前世では気づかなかった。美しさは完璧さの中にだけあるのではない。朽ちていくものの中にも、確かな輝きがある。
「これを見た時、自然と手が動き始めたんです」
エマは枯れ葉を取り出した。マリーお婆さんは、深い理解を示すようにうなずいた。
「それこそが、本当の『祝福の雫』よ。私たちは自然から学び、それを形にする。それが職人の道」
窓の外では、新しい朝の光が差し込んでいた。エマの織物は、その光を受けて静かに輝いている。
後日、この作品は「朝露の記憶」と名付けられ、多くの人々の心に深い感動を与えることとなった。見る者は、儚さの中にある永遠の美しさを感じ取り、心が洗われるような思いを抱いたという。
エマは、その反応に驚きながらも、確かな手応えを感じていた。前世の自分が求めていた完璧な美しさとは違う、新しい価値を今、見出したのだから。
それからのエマの作品には、いつも朝露のような透明な輝きが宿るようになった。それは、儚さを受け入れることで見出された、永遠の輝きだった。
「今日も、新しい朝が始まる」
エマは、また畑への道を歩き始めた。露に濡れた道は、まだ誰の足跡もつかないまま、静かに光を湛えていた。




