第六章 祈りの朝
春の大市まで、あと三日。
早朝の光が差し込む聖ルチア教会で、エマは静かに祈りを捧げていた。工芸の守護聖人に祀られた祭壇には、朝露のように清らかな光が満ちている。
「お導きください……」
エマの傍らには、完成間近のショールが置かれていた。月明かりと春の光を織り込んだその作品は、祭壇の光を浴びて神秘的な輝きを放っている。
「ああ、エマか」
優しい声に振り向くと、ヴィルヘルム神父が立っていた。白髪まじりの髭面に、温かな笑みを浮かべている。
「神父様……」
「作品の具合はどうかね?」
「はい、形にはなってきたのですが……」
エマは言葉を選びながら続けた。
「なにか、足りないものがあるような気がして」
「ほう?」
神父は興味深そうにショールを見つめた。
「だが、これはすでに素晴らしい作品じゃないか。月の光と春の息吹が見事に調和している」
「ありがとうございます。でも……」
エマは深く息を吸い込んだ。
「この作品に込めたいのは、癒しの力なんです。見る人の心を温かく包み込むような……」
言葉につまるエマに、神父は静かに頷いた。
「なるほど。では、聞かせてほしい。エマ、君は何に癒されるかね?」
「私が……?」
その問いに、エマは考え込んだ。そうだ。自分は人を癒す作品を作ろうとしているのに、自分自身の心が求める癒しとは何なのだろう。
前世での記憶が、静かに蘇ってくる。際限のない締切に追われ、完璧を求め続けた日々。その果てに、自分の魂を焼き尽くしてしまった結末。
でも、この世界では違う。
「私は……」
エマはゆっくりと言葉を紡いだ。
「朝の光に。仲間の笑顔に。風の声に。そして、素材との対話に……」
話しながら、少しずつ気付いていく。
「この光の谷での、小さな日々の営みのすべてが、私の心を癒してくれているんです」
「そうか」
神父の声が、祭壇に灯る光のように柔らかく響いた。
「では、その想いをそのまま、作品に編み込んでみてはどうだろう?」
「編み込む……」
その瞬間、エマの心に閃きが走った。
「そうか! 祝福の力を……!」
立ち上がったエマに、神父は温かな笑みを向けた。
「さあ、行きなさい。君の作品が、誰かの心に光を灯すことを祈っているよ」
教会を飛び出したエマは、そのまま工房へと急いだ。朝日が昇りきる頃、作業台に向かったエマの手が、新たな祝福の力を編み込み始める。
今度は、自分が癒された想いそのものを、作品の中に織り込んでいくのだ。村で過ごした穏やかな日々、仲間との温かな時間、素材との優しい対話……。
エマの指先から、淡い光が溢れ出す。
(ああ、なんて不思議なんでしょう)
前世では、必死に自分を追い込んで作品を作っていた。でも今は、心が自然と溢れ出すように、作品が形作られていく。
窓の外では、小鳥たちが朝の歌を奏でていた。軽やかな風が、エマの銀髪をそっと撫でる。
工房に充ちた光の中で、新たな祝福が宿る作品が、静かに、しかし確かな輝きを増していった。




