第五十七章 静寂の園
春の終わりを告げる風が光の谷を渡り過ぎた朝、エマは自分の庭に異変を感じていた。いつもは小鳥のさえずりや風の音が聞こえるはずの場所が、不思議な静けさに包まれていたのだ。
「何かが違う……」
エマは慎重に庭に踏み出した。足元の草を踏む音さえ、まるで吸い込まれるように消えていく。
その静寂は、決して不気味なものではなかった。むしろ、深い安らぎを感じさせる空間だった。
「まるで……時が止まったみたい」
やがてエマは、庭の隅に見たことのない花が咲いているのを発見した。真珠のような白い花びらを持つその花は、触れると不思議な共鳴を起こし、心の声が聞こえてくるのだった。
「この子は……私に何かを伝えようとしているの?」
その時、マリーお婆さんが静かに庭に現れた。
「その花は『沈黙の華』と呼ばれるものよ。深い静けさを求める魂の傍らに咲くと言われているわ」
エマは花に近づき、そっと手を伸ばした。花に触れた瞬間、温かな光が心の中に広がっていく。
「不思議……この花、私の心の声を聴いているみたい」
「そうね。沈黙の華は、魂の奥底で眠る真実の声を映し出す鏡なのよ」
エマは庭の静寂の中で、花々と対話を重ねていった。それぞれの花が異なる声で語りかけ、時には前世の記憶さえも呼び覚ましていく。
ある日、リリーが工房を訪れた時のこと。
「エマさん、この庭に入ると、何だかほっとするんです。でも、どうして音が聞こえないんでしょう?」
「それはね、この庭が私たちの心の声を聴くために、静かになってくれているのかもしれないわ」
その言葉に、リリーは深く頷いた。
静寂の園での日々は、エマに新たな気づきをもたらしていった。すべての音が消えた空間だからこそ、心の中の微かな囁きが聞こえてくる。その理解は、これまでにない繊細な織物を生み出すきっかけとなった。
「まるで静寂そのものを織り込むみたい……」
エマの手から生まれる布は、着る人の心に深い静けさをもたらした。それは単なる癒しを超えて, 魂の真実の声を聴く力を与えるものとなっていった。
ある満月の夜、マリーお婆さんは月光の下でエマに語りかけた。
「静けさの中にこそ、すべての音が眠っているのよ。あなたは今、その真実に触れているの」
エマは静かに頷いた。この庭で過ごした時間は、彼女に新たな創作の扉を開いていた。魂の真実を織り込んだ布は、光の谷の人々に深い安らぎを与え始めていた。
そしてある朝、エマは庭の花々が一斉に光を放つのを目にした。
「私たちの声が、あなたの布に命を吹き込んだのです」
花々の声が、エマの心に直接響く。
「これからも、静寂の中で対話を続けましょう」
エマはそっと目を閉じ、花々の声に耳を傾けた。静寂の園は、新たな物語の始まりを静かに見守っていた。
その後、エマの織る布は「静寂の衣」と呼ばれ、身につける者の心に深い平安をもたらすようになった。それは、魂の真実の声を聴く力を持つ特別な織物として、光の谷に伝わっていくことになる。




