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光の谷のクラフトマスター ~癒しの転生スローライフ~  作者: 霧崎薫


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第五十三章「王妃の試練」

 初夏の陽射しが石畳を照らす朝、エマの工房に予期せぬ来客があった。


「エマ! 大変なの!」


 リーゼが息を切らして駆け込んでくる。その表情には、これまで見たことのない緊張が浮かんでいた。


「王妃様が、私たちの村に……!」


 エマの心臓が、小さく跳ねた。


 朝もやの立ち込める中央広場には、既に大勢の村人が集まっていた。そこに一台の馬車が静かに佇んでいる。深い紫を基調とした装飾が、その主の高貴さを物語っていた。


「陛下がお出ましです」


 ハインリヒ長老の声に、広場は水を打ったように静まり返る。


 馬車から降り立ったのは、まだ若い女性だった。銀糸を織り込んだドレスをまとい、その佇まいには凛とした気品が漂う。しかし、エマはその瞳の奥に、何か深い憂いが宿っているのを見逃さなかった。


「光の谷の皆様」


 王妃の声は、予想以上に柔らかく響いた。


「私は、あなた方の技を試させていただきに参りました」


 ざわめきが広場を包む。王妃は静かに続けた。


「この度、北方諸国との和平の証として、特別な首飾りが必要とされています。その制作を、光の谷に託したいのです」


 エマは、思わず息を呑んだ。前世の記憶が、鮮明に蘇る。自分も似たような重圧を感じる仕事を、何度も経験してきた。そして、その度に完璧を求めすぎて……。


「ただし」


 王妃の声が、少し強さを増す。


「制作者は、私が選ばせていただきます。三日間、皆様の作品を拝見させていただきたい」


 エマの胸に、不思議な予感が走った。それは前世でよく感じた、大きな転換点が近づいているような感覚。


「エマ」


 マリーお婆さんが、静かに近寄ってきた。


「あの方の瞳に、何か見えなかったかい?」


「はい……。深い悲しみと、それを超えようとする強さ」


 マリーは満足げに頷いた。


「そう。あの方は、ただの威厳を求めているわけではない。もっと深いものを探しているのよ」


 三日の審査が始まった。村中の職人たちが、それぞれの技を競い合う。ガラス細工、陶芸、金属細工、織物……。どの作品も、光の谷の誇りをかけた渾身の出来栄えだった。


 エマは、自分の工房で静かに布を織り続けていた。王妃の瞳に宿る影。それは、前世の自分が抱えていた孤独に似ている。


「エマさん、まだ作品を出さないの?」


 クララが、心配そうに訪ねてきた。


「ええ。もう少し……」


 織機を踏む音が、静かに響く。エマの手元では、月光のような銀糸と、深い紫の糸が、不思議な模様を紡ぎ出していた。


「まあ、この模様……!」


 クララが息を呑む。布地には、月明かりに照らされた花園が浮かび上がっていた。花々は、まるで風に揺れるように見える。


「でも、これだけじゃないの」


 エマは、月詠みの花から抽出した特別な染料を取り出した。


「この花の持つ癒しの力を、布地に染み込ませるの」


 染料が布に触れた瞬間、花の模様が淡く発光し始めた。それは、エマの魂が放つ光のようでもあった。


「エマ、王妃様がいらっしゃるわ!」


 リーゼの声に、エマは顔を上げた。工房の入り口には、王妃が一人で立っていた。随行の侍女たちも付けずに。


「陛下、こんな場所まで……」


「噂を聞いたの。あなたは、布に魂を込められる織り手だと」


 王妃の声には、かすかな期待が込められていた。エマは、その瞳の奥にある想いを、はっきりと読み取っていた。


「私に、見せてくれないかしら?」


 エマは静かに頷き、織りかけの布を広げた。月光の花園が、工房の空気を優しく染めていく。


「これは……」


 王妃の声が、小さく震えた。


「独りぼっちの花たちが、でも決して独りじゃないって気付くお話なんです」


 エマは、自分でも驚くような言葉を紡ぎ出していた。それは前世の記憶と、現世での学びが、自然と溶け合った言葉。


「花たちは、月明かりに照らされて、初めて気付くんです。自分たちがみんな、同じ光に包まれていることに」


 王妃の瞳に、そっと涙が光った。


「あなた……分かるのね」


「はい。孤独は、時として人を強くする。でも、本当の強さは、誰かと心を通わせることから生まれるんです」


 エマは、染料を染み込ませた布地を、そっと王妃の手に載せた。布から放たれる温かな波動が、王妃の体を包み込んでいく。


「この温もり……」


 王妃は、深く目を閉じた。その表情には、長い間抱えていた何かが、少しずつ溶けていくような安らぎが浮かんでいた。


「決めました」


 王妃が、静かな、しかし確かな声で言った。


「首飾りは、あなたに託したい」


 エマは、深く頭を下げた。それは単なる仕事の請負ではない。魂と魂の約束。そう感じていた。


 窓から差し込む陽の光が、二人の間に淡い虹を描いていた。それは、新しい物語の始まりを告げるように、優しく揺らめいていた。


 その日から、エマの挑戦が始まった。布に込められた想いを、どのように首飾りという形に変えていくか。それは、技術を超えた魂の対話となっていく。


「エマ、これを使ってみない?」


 ルーカスが、特別なガラス玉を持ってきた。月光を閉じ込めたような、神秘的な輝きを放つそれは、エマの織った布と不思議な共鳴を見せた。


「アンナさんも、何か提案があるんです」


 若き陶芸家は、真珠のような光沢を持つ特殊な釉薬を開発していた。


 一人ではない。エマは、そのことを深く実感していた。村人たちの技が、少しずつ溶け合い、新しい作品が形作られていく。それは前世では決して知ることのできなかった、共創の喜びだった。


「エマ、いいものを持ってきたよ」


 マリーお婆さんが、小さな布袋を差し出した。


「月見草のエッセンスよ。これを布に染み込ませれば、布自体が生命の輝きを放つはず」


 工房には、次々と村人たちが訪れた。それぞれが、自分にできる形で力を貸そうとする。その姿に、エマは深い感動を覚えていた。


「でも、大丈夫かしら……」


 リーゼが、不安そうな表情を見せた。


「北方諸国は、派手な装飾を好むって聞くわ。エマの作る優しい作品が、受け入れられるかしら?」


 エマは、静かに首を振った。


「派手さを求められているんじゃないの。人と人との心の架け橋が、必要とされているのよ」


 夜が更けても、エマは作業を続けた。布を織り、染め、そこにガラスと陶器のパーツを組み合わせていく。それは単なる装飾品ではなく、光の谷の人々の想いが込められた祈りの具現化だった。


 月が昇る頃、工房を訪れる影があった。


「まだ、作業を?」


 王妃だった。今夜は、ローブの裾だけを月光が照らしている。


「陛下……」


「エマ、あなたの作品には、不思議な力があるわ」


 王妃は、窓辺に置かれた月詠みの花を見つめた。


「私ね、実は怖かったの。北方との和平が、この首飾り一つで決まるかもしれないなんて」


 その声には、深い孤独が滲んでいた。


「でも、あなたの作品を見ていると、何か希望が見えてくるの。この首飾りは、きっと架け橋になってくれる」


 エマは、王妃の言葉に深く頷いた。


「はい。だからこそ、形だけの美しさじゃなく、心を癒やす力を込めたいんです」


 月明かりが、二人を優しく包み込む。その光は、まるで祝福のようだった。


 完成まであと三日。エマの工房では、最後の仕上げが進められていた。織物のリボンは、月明かりのような銀糸と深い紫の糸が織りなす優美な模様。そこにガラスと陶器のパーツが、まるで露のように煌めく。


 一つ一つのパーツには、村人たちの祈りが込められている。ルーカスのガラス玉には風の囁きが、アンナの陶器には大地の温もりが、そしてマリーお婆さんの染料には、生命の息吹が宿っていた。


「前世なら、こんな風に人を信頼できなかったかもしれない」


 エマは、月明かりに照らされた作品を見つめながら、そっと呟いた。完璧を求めるあまり、誰の力も借りず、一人で抱え込んでいた日々。


「でも今は違う」


 指先が、優しく作品に触れる。そこには確かな温もりがあった。


「エマお姉さん!」


 ミラが、小さな花束を抱えて駆け込んできた。


「これ、庭で咲いてた月詠みの花。お守りにって……」


 エマは、思わず胸が熱くなった。子供たちまでもが、自分にできることを探してくれている。


「ありがとう、ミラちゃん。この花の想いも、作品に込めるわね」


 夜が更けていく中、エマは最後の仕上げに取り掛かった。月詠みの花から抽出した露を、一滴ずつ作品に染み込ませていく。


「まるで、星々が降り注いでいるみたい……」


 クララが、息を呑む。染み込んだ露が、作品全体に神秘的な輝きをもたらしていた。それは単なる装飾品の輝きではない。人々の想いが結晶化したような、温かな光だった。


 そして、ついに完成の時を迎えた。


 朝もやの立ち込める広場に、村人たちが集まっている。王妃の馬車の前で、エマはそっと箱を開けた。


「まあ……!」


 王妃の声が、感動に震える。首飾りは、朝日を受けて七色の光を放っていた。銀糸と紫の糸が織りなす花園の模様。その中で、ガラスと陶器のパーツが露のように輝く。そして何より、作品全体から温かな波動が広がっていた。


「これは、単なる首飾りではありませんわ」


 王妃は、その意味を理解したように頷いた。


「そうね。これは祈りの具現化。平和への願いが形になったもの」


 作品が王妃の首元に納められた瞬間、不思議な光景が広がった。月詠みの花が一斉に花開き、その光が首飾りと呼応するように輝いたのだ。


「見事です」


 王妃の瞳には、もう迷いの色はなかった。


「この首飾りは必ず、人々の心を結ぶはず。エマ、あなたは大切なことを教えてくれた」


「私も、多くのことを学ばせていただきました」


 エマは深く頭を下げた。


「一人で背負い込まなくていいこと。人と人との絆こそが、最も尊い宝物だということを」


 朝日が昇り、新しい一日が始まろうとしていた。エマの銀髪が、光に照らされて輝く。それは前世の重荷から解き放たれ、新しい希望に満ちた輝きだった。


 工房に戻ったエマを、月詠みの花が静かに出迎えた。その花びらには、まだ朝露が光っている。エマは、その一滴一滴が、人々の想いの結晶のように感じられた。


「これからも、みんなと一緒に……」


 その言葉が、新しい誓いとなって、朝の光の中に溶けていった。


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