第五章 優しい夜
夕暮れが深まり、村に灯りが燈りはじめた頃、エマは工房を締めることにした。
「今日はここまでにしましょう」
ショールに軽く手を触れると、布地が微かに明滅して応えた。まるで「お疲れさま」と言っているかのように。
一階に降りると、誰かがノックをする音が聞こえた。
「はーい」
扉を開けると、そこにはリーゼとクララが立っていた。
「エマ、今日は『月の灯』に行かない?」
リーゼが嬉しそうに誘う。『月の灯』は村のはずれにある小さな酒場。職人たちが一日の仕事を終えた後、集まって談笑する憩いの場所だった。
「でも、まだ作業中で……」
「だめよ、そういうの」
クララが優しく、けれど強い口調で遮った。
「作品も大切だけど、休息も大切。それに、マリーお婆さんが言ってたわ。『エマちゃんによろしく』って」
エマは思わず苦笑した。さすがマリーお婆さん、こうなることまで見越していたのかもしれない。
「分かりました。少しだけ……」
三人で歩く石畳の道には、すでに街灯が灯されていた。初春の夜気が頬を撫でる。前世では考えられなかった穏やかな時間。
「あ、ルーカスも来てる!」
『月の灯』に入ると、ガラス職人のルーカスが手を振っていた。その隣には陶芸家のアンナの姿も。
「エマ、久しぶり! 最近、工房に篭りっきりだったでしょう?」
アンナが隣の席を叩いて座るように促す。温かいスープが運ばれてきて、パンの香りが漂う。
「ごめんなさい。春の大市のことが気になって……」
「それはみんな一緒よ」
ルーカスがグラスを掲げながら言った。
「僕も新作のガラス細工に悩んでて。でも、時には離れることも大切なんだ。そうすると、意外なインスピレーションが湧いてくるんだよ」
テーブルの上には、それぞれの職人が試作した作品が並べられていく。アンナの形を変化させる器、ルーカスの光を織り込んだガラス玉、リーゼの露を編み込んだレース……。
「ねえ、エマの作品も見せて!」
「えっ、でも、まだ途中で……」
「いいから、いいから!」
促されるままに、エマは持参したショールを広げた。
「わぁ……」
月明かりのような光を放つショールに、みんなが息を呑む。
「これ、すごいわ。まるで月の光が溶け込んでいるみたい」
「マリーお婆さんの月見草のエッセンスを使わせていただいて……」
「なるほど! でも、エッセンスを使いこなせる人は少ないわ。エマ、あなた、才能あるわよ」
アンナの言葉に、エマは少し赤面した。
「違うの。これは、素材が教えてくれたの。私は、ただその声に従っただけ」
「それこそが才能じゃない」
ルーカスが静かに言った。
「僕たちの仕事は、素材と対話すること。でも、その声が聞けるのは、素材を本当に大切に想う心があるからなんだ」
その言葉に、エマは深く考え込んだ。前世では、素材は単なる道具でしかなかった。締切に間に合わせるための手段。完璧を求めるための材料。
でも、ここでは違う。
「ねえ、みんな」
エマは、少し震える声で切り出した。
「私ね、昔、とても大切なものを失いかけたの。自分の魂を。でも、こうして素材と向き合って、物を創る中で少しずつ分かってきたの」
グラスに映る灯りが、揺らめいている。
「本当の創作って、自分を追い詰めることじゃない。素材と、仲間と、そして自分自身と、優しく対話を重ねていくこと。そうして生まれた作品だけが、見る人の心も優しく癒せるんだって」
静寂が流れた後、アンナがそっとエマの手を握った。
「そうよ。だからこそ私たちは、この光の谷で作品を作り続けているの」
窓の外では、満月が村を優しく照らしていた。その光は、テーブルの上のショールと呼応するように、淡く輝いている。
エマは、心の奥底から温かいものが込み上げてくるのを感じていた。この世界で、本当の意味での創作の喜びを、少しずつ理解し始めているのかもしれない。




