第四十五章「祝福の織り手」
初夏の朝陽が、エマの工房の窓から優しく差し込んでいた。今日から始まる若手職人の登竜門である技芸祭に向けて、銀髪の織り手は最後の仕上げに余念がなかった。
風と光を織り込んだ作品は、ルークから学んだ技法と、ユーリアから受け継いだ想いが溶け合った特別なものになっていた。しかし、エマの心の奥には小さな迷いが渦巻いている。
「本当に、これでいいのかしら……」
前世では常に完璧を求め、その結果、命さえも削り取ってしまった。今度は違う道を選びたいという想いと、やはりやるからには一番になりたいという気持ちが、心の中で綱引きをしていた。
「エマお姉さん!」
リリーが、小さな布袋を抱えて飛び込んできた。
「見て! 私も、技芸祭に出す作品ができたの!」
エマは、少女の瞳に宿る期待と不安を見逃さなかった。かつての自分と同じような、完璧を求める想いが見えたのだ。
「リリーちゃん、素敵な作品ね」
「でも、まだ全然ダメで……。エマお姉さんの作品みたいに、もっと素晴らしいものを作りたくて」
エマは、ふと立ち止まった。リリーの言葉に、何か大切なことを気付かされたような感覚がある。
「ねえ、リリーちゃん。一緒に仕上げてみない?」
「え? でも、それじゃあ競争になりませんよね?」
「競争? ああ、そうね……。でも、私たちが目指すべきものって、本当はそれじゃないのかもしれない」
朝日が昇るにつれ、二人は布を広げ、互いの技を教え合い始めた。エマはルークから学んだ風の織り方を、リリーは自分なりに編み出した光の表現方法を。
マリーお婆さんが訪れたのは、そんな時だった。
「まあ、なんて素敵な光景」
「マリーお婆さん! 私たち……競争のはずなのに」
「そうね。でも、これこそが本当の『祝福の織り手』の姿かもしれないね」
お婆さんは、窓辺に置かれた月詠みの花に目を向けた。
「この花も、一輪だけでは寂しい輝きしか放てない。でも、みんなで支え合うことで、こんなにも美しく咲ける」
エマの胸に、温かいものが広がっていく。そうか、自分が求めていたのは、勝利ではなく、この温かな分かち合いだったのだ。
技芸祭の会場となる中央広場には、すでに多くの若手職人たちが集まっていた。エマは自分の作品を並べながら、それぞれの個性が輝く作品群に目を奪われる。
「みんな、本当に素晴らしいわ」
心からの感嘆の声が漏れる。以前の自分なら、ライバルとして警戒していたはずの作品たちが、今は仲間の想いが詰まった宝物のように見えた。
「エマ、準備はできた?」
アンナが、新作の陶器を抱えて近づいてきた。
「ええ。でも、アンナさん、一つお願いがあるの」
「なあに?」
「私の作品に、アンナさんの陶器を組み合わせてみたいの。きっと、もっと素敵な何かが生まれると思うの」
アンナの目が、驚きと喜びで輝いた。
「本当に? でも、それって規則に……」
「大丈夫です」
ハインリヒ長老が、穏やかな微笑みを浮かべて二人に近づいてきた。
「むしろ、それこそが私たちの谷の本来の姿だ。技を競い合うのではなく、分かち合うことで、新しい価値が生まれる」
その言葉に背中を押されるように、エマたちの共同制作が始まった。風を織り込んだ布が、アンナの陶器を優しく包み込む。するとそこに、これまでにない調和が生まれ始めた。
「見て! 布が、陶器の模様と共鳴している!」
二つの作品が織りなす光が、見る者の心を温かく包み込んでいく。それは、まるで「祝福の雫」が形を変えて現れたかのようだった。
その光景に触発されたのか、他の職人たちも少しずつ寄り集まってきた。ガラス職人のルーカスは風鈴を、リーゼはレースのアクセントを、クララは羊毛の装飾を。それぞれの技が、少しずつ溶け合っていく。
マリーお婆さんは、その様子を見守りながら静かに頷いていた。
「エマ、あなたは大切なことを思い出させてくれたわ」
「私が、ですか?」
「ええ。私たちの技は、決して一人のものではない。代々受け継がれ、分かち合われ、そして新しい形で未来へと続いていく」
エマは、自分の手のひらを見つめた。そこには、前世からの記憶と、この世界での学びが、確かな光となって宿っている。
夕暮れ時、技芸祭の会場は思いがけない光景に包まれていた。個々の作品を競い合う場のはずが、今や大きな一つの作品へと変容していたのだ。
エマの布を中心に、様々な職人の技が星座のように繋がり、それぞれが互いを引き立て合っている。その姿は、まるで光の谷そのものを具現化したかのようだった。
「エマ」
エマの工房で修行を始めたばかりの少女、サラが震える声で呼びかけた。
「私……今まで間違っていたのかもしれない」
「どういうこと?」
「技を極めることばかり考えて、誰かに教わることを恥ずかしいと思っていた。でも、違うんですね」
エマは、サラの頭を優しく撫でた。その仕草に、かつてマリーお婆さんがしてくれたような温もりが込められている。
「私も同じよ。でも、教えることも、教わることも、きっと同じくらい尊いことなのね」
その時、会場に柔らかな光が満ちていく。「祝福の雫」が、まるで雨のように降り注ぎ始めたのだ。
「見事だ」
ヴィルヘルム神父が、深い感動を湛えた声で言った。
「これこそが、私たちの求めていた『真の祝福』だったのかもしれません」
光は、やがて作品の中に静かに溶け込んでいった。しかし、その温もりは確かに、全ての人の心に残されていた。
帰り道、エマは満天の星空を見上げた。ルークが見せてくれた風の道が、まだどこかにあるように感じられる。
(ルークさん、私、少し強くなれたかもしれません)
工房に戻ると、月詠みの花が新しい蕾をつけていた。それは、まるで次の世代への約束のように見えた。
エマは、静かに織機に向かう。今夜は、誰かのために織る布ではなく、誰かと織る布を始めようと思う。それは、光の谷の新しい物語の始まりとなるはずだった。
窓から差し込む月明かりが、銀色の糸を優しく照らしている。その輝きは、分かち合う喜びという名の祝福に、静かに包まれていた。




