第四十四章「風の子守唄」
冬の夜明け前、エマの工房に急なノックの音が響いた。
「エマさん! 助けてください!」
マルタ先生の声には、切迫した響きがあった。開けた扉の向こうで、孤児院の先生は小さな包みを抱えている。
「赤ちゃんが……高熱が下がらないんです」
薄い布に包まれた赤子の顔は、蒼白く、か細い息づかいを繰り返していた。
「最初はマリーお婆さんのところにも行ったのですが、お留守で……」
エマは、迷うことなく赤ちゃんを受け取った。その小さな命の重みが、胸に深く沁みる。
「分かりました。私にできることを……」
工房に入った途端、赤ちゃんの泣き声が響き始めた。それは弱々しく、まるで消えてしまいそうな声だった。
エマの心に、前世の記憶が蘇る。病室のベッドで、点滴を受けながら命が消えていく感覚。誰かの温もりを求めながら、一人で闘わなければならなかった孤独。
「今度は違う……。あなたを一人にはしないわ」
エマは、七色の豆を煮出したスープを作り始めた。その間も赤ちゃんを片腕に抱き、もう片方の手で作業を続ける。
「不思議ね……」
赤ちゃんを抱く感覚が、どこか懐かしい。まるで、ずっと前から知っていたような。
スープができあがる頃、エマはふとルークから教わった風の技を思い出した。
「そうよ……風には、命を包み込む力がある」
エマは、織機に向かった。赤ちゃんを優しく寝かせながら、特別な布を織り始める。風の流れを織り込んだ布は、まるで子守唄のような波紋を描いていく。
「ねえ、お話しましょうか」
エマは織りながら、静かに語りかけ始めた。自分が前世で経験した孤独、そしてこの世界で見つけた温かな絆について。その声は、いつしか本当の子守唄となって、工房に響いていった。
夜が明ける頃、不思議なことが起きた。エマの織った布が、まるで生き物のように赤ちゃんを包み込み始めたのだ。そこから、かすかな風の音が聞こえる。
「まあ……」
エマは息を呑んだ。布の中で眠る赤ちゃんの頬に、少しずつ血色が戻っていく。その寝顔は、もう苦しそうではなかった。
「エマ! 大丈夫かい!? 赤ちゃんが大変だって聞いて……」
マリーお婆さんが駆けつけてきた時、工房には不思議な光景が広がっていた。風に揺られるように浮かぶ布の中で、赤ちゃんが穏やかな寝息を立てている。
窓から差し込む朝日が、エマと風花を優しく包み込む。エマの心に、これまで感じたことのない温かな感情が広がっていった。それは母性と呼ぶべきものなのかもしれない。
「よく頑張ったわね」
マリーお婆さんの言葉に、エマは静かに頷いた。命を守ることの尊さ、そして新しい絆が生まれる瞬間の祝福。それらが全て、この小さな命との出会いによって教えられたのだ。
工房の窓を、優しい風が吹き抜けていった。




