第四章 祝福の手仕事
陽が少し傾き始めた頃、エマの工房に一人の来客があった。
「エマ、いらっしゃる?」
階下から聞こえてきた声に、エマは作業の手を止めた。
「マリーお婆さん? はい、二階です!」
階段を上ってきたのは、村一番の薬草と染色の達人として知られる老女だった。白髪を素朴に束ねた姿からは、穏やかな威厳が漂っている。
「まあ……」
工房に足を踏み入れたマリーは、作業台の上に広げられたショールを見て、目を細めた。
「これは素晴らしい試みね」
白い絹織物の上には、春の光そのものを封じ込めたような模様が浮かび上がっていた。ラベンダーの紫、カモミールの黄色、ローズマリーの青緑が、まるで光の粒子のように布地に溶け込んでいる。
「まだ途中なんです」
エマは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「でも、不思議なんです。素材と向き合っているうちに、布が自分から語りかけてくるような……」
「ああ、それこそが『職人の祝福』よ」
マリーは懐から小さな革袋を取り出した。開くと、中から清らかな香りが漂う。
「これは?」
「月下で摘んだ月見草のエッセンス。春の大市に出品する作品のために、と思って持ってきたの」
エマは思わず息を呑んだ。月見草から抽出したエッセンスは、魔法の触媒として珍重される貴重な素材だった。
「でも、こんな大切なものを……」
「いいのよ。あなたの目を見ていれば分かるわ」
マリーは静かに微笑んだ。
「あなたは、素材の声を聴ける子。それなのに、どこか深い場所で傷ついている。その傷を癒しながら作品を作れば、きっと見る人の心も癒されるはず」
その言葉に、エマの目に涙が浮かんだ。
そうか。
私の中の傷、前世から引きずっている魂の疲れは、まだ完全には癒えていないのだ。
マリーお婆ちゃんはお見通しなんだ。
「ありがとうございます」
エマが頭を下げると、マリーは優しく肩に手を置いた。
「さあ、続きを見せてちょうだい。私も少しアドバイスさせてもらうわ」
午後の陽射しの中、二人は静かに作業を続けた。マリーから学ぶ染色の技法は、前世の知識では想像もつかないものばかり。
「この結び方を見て。祝福の力を編み込むの」
マリーの指先が、糸を紡ぐように光を編んでいく。
「ここに、月見草のエッセンスを一滴……」
透明な雫が布地に落ちると、それまで淡かった色合いが、急に深みを増した。
「まるで、月明かりの下で咲く花のよう……」
エマの囁きに、マリーは満足げに頷いた。
「そう、私たちの仕事は、自然の美しさを形にすること。決して焦って自分を追い詰めてはいけないわ」
その言葉は、エマの心に深く沁みた。前世では、自然の営みなど気にも留めず、ただがむしゃらに作品を作り続けた。でも、この世界では違う。
夕暮れが近づき、マリーが帰った後も、エマは静かに作業を続けた。月見草のエッセンスが溶け込んだショールは、今や春の光と月明かりが溶け合ったような、神秘的な輝きを放っている。
窓の外では、夕焼けに染まった空が、さらに作品に深い色合いを与えていた。
「ありがとう……」
エマは完成間近のショールに、そっと語りかけた。
「あなたのおかげで、私も少しずつ癒されていくみたい」
夕暮れの工房に、優しい風が吹き抜けた。その風は、まるでエマの言葉に応えるように、ショールを静かにそよがせていた。




