第三十七章 風便り
季節は巡り、再び春が訪れようとしていた。エマの工房は、以前にも増して温かな光に満ちている。壁には様々な風の布が飾られ、訪れる人々の心を癒やしていた。
その日も、エマは静かに織機に向かっていた。窓から差し込む陽の光が、銀色の髪を優しく照らしている。
「エマ! エマ!」
クララが息を切らして駆け込んでくる。
「北の山で、風を操る術士が新しい癒やしの技を広めているって! きっと、ルークさんのことだわ」
エマの手が、一瞬止まった。胸の奥が、かすかに熱くなる。
「そう……元気でやっているのね」
エマは、窓辺に立って北の空を見上げた。季節の変わり目の風が、頬を撫でていく。
「この風……懐かしい温もりを感じるわ」
それは、あの日ルークが見せてくれた風の道を思い出させる、不思議な風だった。
「ねえ、クララ」
「なあに?」
「私ね、今すごく幸せなの」
エマは、自分の作品に満足げな視線を向けた。
「ルークさんと出会えたこと。風を知ったこと。そして、この工房で大切な人たちと共に過ごせること」
工房の裏庭では、月詠みの花が新芽を出し始めていた。その若葉が、春風に揺られている。
「風は、ルークさんの言葉を運んでくれるの。『また会おう』って」
エマは、織りかけの布に手を触れた。そこには、まだ見ぬ風の物語が、静かに息づいていた。
「それまでの間、私は布に風を織り続けるわ。この光の谷で、私にしかできない方法で」
春の風が、エマの銀髪をそっと揺らす。その風は、遠い北の空から吹いてくる風。エマは目を閉じ、その感触を心に刻んだ。
風は、いつか必ず約束の時を運んでくる。そう信じている。だって、風は嘘をつかないから。
工房の窓辺に立つエマの姿は、もう迷いを知らない、一人の美しい織り手のものだった。春の光に包まれて、静かに微笑むその横顔に、確かな幸せが宿っていた。




