第三十五章 風織りの想い
夜明け前、エマは工房で静かに布を織り続けていた。月詠みの花の蜜で染めた糸が、月光のような輝きを放っている。
一針一針に、言葉にできない想いを込めていく。出会いの喜び、共に過ごす時間の温もり、そして――いつか訪れるかもしれない別れへの覚悟。
「エマ? こんな早くから」
朝日が昇る頃、ルークが工房を訪れた。
「ルークさん……ちょうど、完成したところです」
エマは、織り上げたばかりのショールを広げた。薄い月光色の布地に、風の流れのような模様が浮かび上がっている。光に透かすと、その模様が生命を持ったように揺らめく。
「これは……すごい」
ルークが息を呑む。
「風が、布の中で踊っているみたいだ。しかも、この温かさは……」
「私の想いを、全て込めたんです」
エマは、少し震える声で続けた。
「ルークさんは、いつか旅立つかもしれない。でも、この布には、今この時の私たちの想いが永遠に残ります」
ルークの表情が、真剣なものに変わった。
「エマ……僕は」
「いいんです。何も言わないでください」
エマは、微笑みを浮かべた。
「ただ、このショールを身に付けてほしいんです。そうすれば、どこにいても私の想いが、あなたを包んでくれる」
朝日が工房に差し込み、ショールが神々しい輝きを放つ。その光は、まるで二人の心を映し出すかのようだった。
「ありがとう、エマ」
ルークは静かにショールを受け取った。その瞬間、不思議なことが起きた。ショールが風のように舞い上がり、自然とルークの肩に巻き付いたのだ。
「風が……このショールを認めてくれたんだ」
エマの目に、小さな涙が浮かぶ。それは悲しみの涙ではなく、想いが確かに相手に届いた喜びの涙だった。
◆
その日の夕暮れ時、ルークはエマを羊飼いの丘に誘った。夕陽に照らされた草原が、黄金色に輝いている。
「エマ、君に見せたいものがあるんだ」
ルークは、エマの織ったショールを身に付けたまま、杖を掲げた。すると、夕暮れの空に不思議な光の帯が現れ始めた。
「これは……!」
「風の道だよ。風が通る道筋が、目に見える形で現れるんだ」
空には、様々な色を帯びた風の流れが浮かび上がっていた。青い風、金色の風、そして優しい桜色の風。それらが織りなす模様は、まるでエマの布のようだった。
「ルークさん、こんな美しいものを……」
「君の布から、新しい風の見え方を学んだんだ。君は布に風を織り込み、僕は風に布の優しさを教えた」
エマは、胸が熱くなるのを感じた。二人の技が響き合い、新しい表現が生まれたことが、この上ない喜びだった。
「でも、これが僕からの別れの贈り物になるかもしれない」
ルークの言葉に、エマの心が凍りついた。
「明日、僕は旅立つよ。北の山々で、新しい風の術を学ぶ必要があるんだ」
予期していた言葉なのに、やはり胸が痛む。でも、エマは強く微笑もうと努めた。
「分かっています。風の民は、一つの場所に留まれないって」
「エマ……」
「でも、私は大丈夫です。あなたから学んだことは、私の中でずっと生き続けます」
夕陽が沈みゆく中、二人は黙って空を見上げていた。風の道が、まるで二人の想いを優しく包み込むように、光を放っている。
夜風が二人の周りを舞い、エマの銀髪とルークのショールを優しく揺らめかせる。それは、まるで祝福の風のようだった。




